色がつくまえに
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【6月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:鈴木亮介(ライティング・ゼミ日曜コース)
「ふざけんじゃねぇーーーー」
僕はiPadを床に叩きつけた。
「お前はそんなこと、ぜっってぇ言ってねぇぞ!!」
普段はなかなかキレたりしない僕だが、このときばかりは堪忍袋の緒が切れた。さすがに我慢の限界だった。
「こちとら、てめぇの話をもう5回は聞いてるんだぜ! てめぇが偉そうに語る話を一言一句ノートに書き留めてるんだ! 断言できる、てめぇはそんなこと言ってなかったぜ」
iPadの先にそいつはいる。
しかしそいつは僕に構わず、また澄ました顔で言いやがる。
「Listen to part of a lecture in a biology class」
もう聞き飽きたTOEFLリスニングの出だしのフレーズ。そのリスニングの中でどうしても聞こえない部分があったのだ。僕の耳にはその音は「ゲラツ」とか「ギィロー」にしか聞こえなかった。からだの持てる感覚という感覚をあますことなく耳に集中させても、その何だか分からない音は僕の知っている音と一致しなかったのだ。
散々聞いた後に思った、
「もうこちらに非はないだろう。TOEFLは難しい表現がけっこう出るしな。どうせ専門用語か、複雑な構文を使ってたんだろう。その高尚な表現とやらをみてやるか」
そう思って解答ページのリスニングのスクリプトを見てみると、その音が表すフレーズはまるで人をおちょくったようにそこにあった。
「get rid of」
は? ゲットリッドオブ? 中学生で習ったワードじゃねえか。
なめてんじゃねえぞ。getもridもofも、何1つその片鱗を見せてなかったぞ。
5回も聞いた自分の耳を疑って、該当箇所を耳の穴をかっぽじってもう1回聞いてみた。
プロフェッサーと名乗るその男は悪びれもなくまた繰り返す、
「ゲロー」
「ふざけんじゃねぇーーーー」
iPadを床に叩き落とし、力いっぱいに僕はそう叫んだ。
そうか、そうか。これぞ本物の英語じゃよと上から目線で言ってんのか。「本物の英語」とやらに親しめていない僕をコケにしてんのか。高校まで先生の東北なまりの英語にしか触れていなかった僕を田舎者だとバカにしてるのか。そんな田舎っぺぇには、海外はまだ早いよとでも?
上等だ。何ならETS(TOEFLの主宰団体)の本部まで押しかけて、「プロフェッサー」の胸ぐら掴んで殴ってやろうか。どうせおめえらは足を組んでコーヒーをたしなみながら、陽気に「プロフェッサー」を演じてるんだろう。でも、こちとら令和フィーバーでお祭りムードのゴールデンウィークのど真ん中に、わざわざキャンパス奥の寂れた建物にある無機質な空き教室まで来て、修羅のごとき形相でお前らのレクチャーとやらを聞き込んでいるんだぜ。
「get rid of」くらい、もっと分かりやすく言ったらどうなんだ。
でも、本当はもう分かっている。僕には聞き取る力がなかっただけだ。TOEFL教材のほうに非があるわけない。非があるとしたら、聞き取れない僕なのだ。虚空に叫んでも意味がない。
でも、どうしても聞き取れない。聞こえない音を聞こうとするのは苦行以外の何者でもない。ネイティブ英語という名のボディーブローを徹底的に浴びせられている気分だ。もうダウン寸前だ。
他のTOEFL受験者はこの苦行をすべて経てきたとでもいうのか。山手線周辺に点在するTOEFLの英語塾では、決まってそのHPに目標点数に到達して留学の機会を勝ち取った受講生の声を載せている。
彼らはささやかな笑みを浮かべて口々に言う。
「最初はできなかったけど、がんばって練習したら点数が伸びました」と。
しかし、「がんばって」の最中にいる僕には、TOEFL勉強は暴虐の限りを尽くした拷問にしか感じない。どうせあんたたちは、幼少期に海外で生活していた経験があって、ちょっと練習しただけなんでしょう。それとも純ジャパなのに、この辛い期間を悪魔的な忍耐力で乗り切って今そこにいるとでも? はいはい、あなたたちはすごいですね。すごい、すごい。残念ながら、どうせ僕には海外経験も強いメンタリティーを持ち合わせてはいないですよ……
きっと塾の広告塔になっているあなたたちは英語学習者の覇者、自然界でいうライオンみたいなもので、その足元には夢なかばに敗れた屍が数多く転がっているんだろう。ふん、そんなことは分かっている。大学受験のときに河〇や駿〇で、嫌というほど味わったぜ。
そうやって目標達成した人を「普通じゃない人」と特別視している自分に嫌気がさし始めたころ、やっと落ち着いて「やんなきゃな」と思うようになる。
やっぱり……やらなきゃ前に進めないんだ。
そして僕は再び机に向かう。
再開してもなお辛さを感じてはまたYoutubeに現実逃避したり、机を叩いて物に八つ当たりして、僕はこのいつ報われるか分からない苦行を何とか続けている。
すると辛さが麻痺してきたころにふと訪れる。
「ゲロー」を、頭が「get rid of」と認識している瞬間が。
この瞬間だけは、悲痛な叫びが、喜びの雄叫びへと変わる。
今日TOEFLが終わった。その日のうちに、僕は急いで筆を執った。そう、歴史を変えないためだ。
一般に、苦労したエピソードはその後の成功体験ありきで、回想の形で語られる。合格者の声はその最たる例だ。でも、渦中にいる人間はもちろん成功を持っていない。今やっていることが報われるかどうか分からず、不安なまま戦っているはずである。だから成功を持たぬ受験生に、合格者の声は意外に届かない。
でも人間であるかぎり、過去を回想するときや他人に体験を語るとき、ある体験をその後の結果と結びつけてしまいがちである。これは、避けられないのかもしれない。
もし良い結果が返ってきて、後輩からどうやって勉強したんですかと問われたら、僕は「TOEFLなんて2週間やり込めば点数なんて余裕で上がるよ!」などと得意げに語ってしまうかもしれない。一方で悪い結果が返ってきたら、「TOEFLなんて純ジャパにはいくらやっても無駄だよ」とニヒルな笑みを浮かべてしまうかもしれない。
どちらも違う。僕は、不安も希望も経験した。僕は、この体験をありのままの形で宝石箱の中に納めたいんだ。
成功や失敗という色に染まる前に、僕は今日急いで筆を走らせた。
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