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メディアグランプリ

母への手紙


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:海風 凪 (ライティング・ゼミ日曜コース)
*この記事はフィクションです。
 
かあさん、僕はあいつとは違う人生を送れるだろうか。
 
僕の最初の記憶は、かあさんのいない夜だ。姉さんと二人、布団にくるまって泣いていた。たぶんあれは、弟が生まれるときだったんだろう。泣いてばかりいた僕を、誰かが優しく抱きしめてくれた。あれは、ばあちゃんだったのかな。
 
僕が3歳の時に上の弟が生まれ、その2年後に下の弟が生まれた。姉さんと僕、合わせて4人の子供がいたから、家の中はいつも賑やかだったよね。男の子が3人もいたら、家の中はすさまじかっただろうと思う。毎日外を駆け回り、泥だらけになって帰ってきた僕たちをお風呂に追い立てながら、かあさんは汚れ物を洗って、夕飯の支度をし、散らかった部屋を片付けていたね。
そのうちあいつが帰ってきて、かあさんが忙しそうに酒のつまみを用意していたのを覚えているよ。
 
「あいつ」って言うとかあさんは嫌がるかもしれない。だけどごめん、僕には「あいつ」としか言えない。たとえそれが血のつながった僕の父であったとしても。
そのころは「あいつ」なんて言ってなかったね。ふつうに「とうさん」と呼んでいた。そのころのあいつは、かあさんがすべてをこなすのが当たり前のように、食卓に座ると全く動かなかったね。かあさんばかり動き回って。
それでも、そのころは普通に幸せだったのかな。「普通」ってどういうことかいまだによくわからないけど、父親がいて、母親がいて、子供たちは毎日を憂うことなく暮らしているってことだろうか。
僕はかあさんの明るい笑顔を覚えているよ。
あの頃、僕はかあさんが世界一の美人だと思ってた。世界で一番きれいで、一番やさしくて、一番好きだった。
 
僕が小学4年生になったころ、あいつは家に帰ってこなくなった。その前から何日か家に帰らない日が続き、そして戻ってこなくなった。
「とうさんはどこに行ったの?」
まだ5歳だった下の弟は、かあさんによくそう尋ねてたね。
「しばらくよそのおうちにいるの。そのうち帰ってくるわよ」
いつもかあさんはそう答えていた。
姉さんも、僕も、上の弟も、かあさんには尋ねなかった。
だって知っていたから。あいつがうちを出て、ほかの誰かと暮らしていることを。
あいつは僕と弟の通う小学校の教師だったから、僕と弟はいやおうなく学校であいつの姿を見かける。あいつは僕たちがまるで透明な存在であるかのように、素知らぬ顔で横を通り過ぎていく。
 
僕は、一度だけかあさんが僕たちの前で泣いたことを覚えている。
あいつが家を出てから、僕たちの生活は困窮していた。給食費も払えなかった。集金袋を先生から渡されても、僕も1年生だった弟も、かあさんには渡せなかった。かあさんが夜遅くまで必死で働いている姿を見ていたから。スーパーの特売品を選んで買っていることを知ってたから。
僕や弟の担任は、察するところがあったんだろう。給食費はあいつに支払ってくれるよう頼んでくれていた。だけど姉さんは中学生だったから、担任はあいつのことを知るはずもなく、給食費が未納だとかあさんに電話をかけてきたよね。
その日の夜、下の弟を寝かしつけた後で、かあさんが僕たちに申し訳ないって泣きながら謝ったんだ。僕も弟もそんな母さんを見ているのがつらくて、二人とも泣き出してしまって、気丈な姉さんに
「男なら泣くな。かあさんを私たちでも守るんだから」って怒られた。
その日から、僕には「とうさん」はいなくなった。
 
かあさん、かあさんはなぜあいつを受け入れたんだ。
 
みんなで泣いた夜からしばらくして、かあさんは商売を始めた。大きな賭けだったと思う。それまでろくに働いたことのなかったかあさんが、お金を借り仏具店を始めた。なぜ仏具店なのか、かあさんに聞いたことがあるよね。そしたらかあさんは、
「始終人が来るわけじゃなくて時間が取れるし、割と金額が大きいから売れると利益もそれなりにとれるのよ」って言ったね。
かあさんは商売の才覚があったんだね。店は軌道に乗り、食べていけるくらいの収入にはなっていた。そのおかげで、僕は大学に行くことができた。
 
僕が大学に入った年の夏、あいつがやってきた。
肺がんになって、それまで一緒に暮らしていた相手に見放されたのか、あるいは最後に捨てた家族に会いたくなったのか、お盆のころあいつが家にやってきた。
その時僕は家にいなかった。いたらそのまま追い返してやったのに。偶然なのか、あるいはわかっていたのか、かあさんが家に一人でいるときにあいつは家にやってきた。そしてそのまま居ついてしまった。
当然のように家の中で自由にふるまうあいつに、僕も弟達も反発し、かあさんを責めたね。なんであいつがここにいるのかって。なんであいつを家に入れたのかって。
僕は反発して家を出た。その時付き合っていた彼女のアパートに転がり込んだ。
そしてそのまま、あいつが息を引き取るその日まで家には帰らなかった。かあさんごめん。その頃の僕は、自分の気持ちの持って行きどころがなくて、あいつを受け入れたかあさんさえも憎んでいた。
かあさんがあいつを受け入れたのは、夫婦としての愛情だったか。それとも人としての情だったか。最後まで離婚しなかったのは、あいつに愛情を持ち続けていたからだったからなのか。
聞いておけばよかった。
 
かあさん、今日僕は父親になった。
あいつのことがずっと心の重石になっていたから、僕は家庭を持つつもりはなかった。だけど彼女に子供ができ、責任を取る形で結婚した。望んだ結婚でも、望んだ子供でもなかった。
けれど今日、生まれてきたばかりの僕の息子を抱いた時、言いようのない感情がわいてきた。今まで感じたことがない、どう言葉で表していいのかわからない。只々「幸せだ」って思った。
あいつは僕らが生まれたとき、そう思ったことがあったのだろうか。
かあさんごめん、僕はまだあいつを許せてはいない。
いつか許せる日が来るのかもわからない。
 
僕は父親として、僕の息子を守っていく。
かあさん、遠くから僕と僕の家族を見守ってください。
いつか僕があいつを許せる日まで。
いつか僕の息子が、父としての僕を認めてくれる日まで。
 
 
 
 
***
 
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2019-05-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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