子育てが終わる前に始める夫育てのすすめ
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記事:CHACO(ライティング・ゼミ平日コース)
「子供はいずれ巣立っていくけどさ、夫は巣立たないじゃん。先立つことはあっても……」
これは私がある女子会で放ったことばである。周りの女子たちに「名言」とまで言わしめたほどのインパクトがあったようだ。
だが、私はこれを書いている今も大真面目に言っている。
子育てのことを考えてみてほしい。
どんなに自分の時間が奪われようと、どんなに自分のことは後回しの毎日になろうと、日々イライラしながらもなんとかやっていけるのは、「子供はいずれ自分のもとから離れていく」ことがわかっているから。いつかその時が来るとわかっているからだ。
夫はどうだろう。
我が子が巣立った後、ようやく自分のペースと時間と自由が取り戻せると思いきや、傍らには定年退職して何もしない夫が座っていたりするのではないだろうか?
そのときに「しまった! 遅かった!」とならないように、今すぐ始めることがある。
それは、「夫育て」だ。
私が、夫を育てなければ、と考えたのは子供がまだ1歳の頃。日本に住みたいというドイツ人の夫の願いをかなえるべく日本にやってきたはいいが、夫は日本語がほとんどできない状態だった。一切の役所手続きから家探し、保育園探し、家財道具一式をそろえたり、諸々のことを私が一人でやった。
いや、私一人で完結してやれるならまだよいが、夫の希望を聞き疑問・質問に答えながら、ドイツとは異なるシステムに納得させながら、これでは私がもたないと思ったのだ。
だからその分、日本語力には関係ない子育てや家事の部分は、当然のことながらやってもらった。
「やってもらう」
家事・育児に関しては、この表現がどうも引っかかる。夫も親である限りは、子育てをするのは当たり前だし、同じ空間に住む限りは家事をするのも当然のことだ。半分ずつ分担せよと言っているのではなく、状況に応じてだれがどのくらいやるのかはそれぞれで決めればいいと思う。
幸い、ヨーロッパ人の夫は分担することにさほど抵抗はなかったようだ。考えとしては、である。考えに抵抗はなくても、やりたいかどうかはまた別の問題で、ここで苦労した。20代の一人暮らしのころから食洗器を持っていた夫に、いまさら家族全員分の食器を毎食後に洗おうという気が自然に起こるはずがない!
私が全部やれば、食器はきれいになるし、油も泡も残らない。でも、私はこれを一生、1日3食、1年365日、この人と一緒にいる限りやり続けたいかと言うと答えはナイン!(ノー!)である。
となると、やるしかない。夫育てを!
掃除も然り。ドイツの子供たちは自分たちの教室を自分たちで掃除することがない。業者がやるのだ。家庭でも共働きであれば家の主だった掃除は外注することが多い。外国人の移民の人たちがその業界を担っている。つまり、ドイツ人は掃除をしないのだ。日本ではあたりまえの年末年始の大掃除など、こんな寒い時に意味不明だとすら思っているふしがある。
まだまだある。夕食の準備は毎日頭を抱える仕事である。夫が平日遅くまで仕事をしている我が家では、私が平日の食事当番をする。代わりに土日は夫の担当だ。
「やさしい旦那さま」と思った方もいるかもしれないが、食事当番とやさしさにはなんの関係もない。やさしさは別のところで表現すればいい。
洗濯はそれぞれがそれぞれのタイミングですることになっている。そもそも洗濯など毎日やる必要はないのだから。
当然のことだが、夫は大人である。同じ大人である妻ができることをできないのはおかしいし、やったことないのであれば、今からやればいい。妻も最初からできたわけではない。
このように家事育児を分担する家庭内システムを数年かけて作り上げながら、私は、はたと自分の父親に思い当たった。早くに妻(私の母)を亡くした父は、それまでお茶ひとつ自分でいれなかった人だったのに、突然すべてを自分でしなければならなくなった。商売をしながら、である。家庭のことを一切、何もしてこなかった男性がある日を境に、単なる日常生活にすら困る状況になってしまった。日常生活を相手に頼りきってしまうことのリスクは大きい。
私は、もし私に何かあった場合、自分の夫にそうなってほしくなかった。ならば、夫が今できないことをできるように育てるしかないのだ。
我が家の場合特殊なのは、日本語力も上げていかねばならないということだ。私がいないときに自分や家族が病気になったら、状況を見て病院に行ったり、場合によっては救急車を呼ばねばならない。命を守るためにはある程度の日本語力が不可欠なのだ。でないと、私は出張にも、旅行にも行けない。それは困る。自分のことくらい自分でできないと私が困る。
つまり、夫を育てるということは、妻が選択と決定の自由を得ることに他ならない。夫の食事の準備をしてからでないと出かけられないなんて、まっぴらごめんだ。そもそも1食くらい抜いたところで、いまどきダイエットにはなっても、それで死に至ることはない。
先日14回目の結婚記念日を迎えたが、私の夫育ても、なかなかいいところまで来ていると思う。夫が一人でできないことは、おそらく私の葬式を出すことくらいではないだろうか。それができなくても、私の知ったこっちゃない。その時もう私はこの世にはいないのだから。
お互いに自立して人生を楽しむことを前提とし、いざとなったら途方に暮れることなく相手を支えることのできる、依存しすぎない関係を作っておくことは実は男女に関係なく大切だと思う。
日本の妻たちは、夫を育てた結果、得られる自由というものをぜひ想像してみてください。
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