メディアグランプリ

落語から知った「与太郎」が求められるわけ。


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記事:結珠(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
私は時々落語を見る。YouTubeや旅行に行った時には時間があれば寄席にも行く。
周りからはおじさんが映像も文字もなくただ言葉で昔の話をするものだと思われたりする。
しかし、私は落語は今の社会に足りない事を考えるきっかけを与えてくれる娯楽でもあるのだ。
 
私が落語に興味を持ったきっかけは「水曜どうでしょう」という北海道のローカル番組を知ったことから始まる。「水曜どうでしょう」は、今やかなり有名になった俳優の大泉洋が彼が所属する芸能事務所の社長とディレクターとカメラマンの4人で、日本各地や時々世界を回る旅番組である。しかし、普通の旅番組と全く違う事がある。それは、番組のほとんどが移動の車中の映像とディレクターと大泉が口喧嘩をしている内容で占められている所だ。途中途中の名所の映像などはおまけ程度だ。
ほとんど、テロップと彼らの決して上品とは言えない言葉のやりとりで番組が進んでいく。しかし、彼らのやり取りがなんともいいようなく面白いのである。言葉の選び方のセンス、言い回し、落とし方などは視聴者を楽しませる「お笑い」対して本当にレベルの高い口喧嘩が繰り広げられている。
それ故に私を始めとする視聴者はその内容に釘付けになり、次はどんなやりとりが飛び出すのか心待ちにしてしまう。
 
「どうしてあんなに独特の言い回しが思い浮かんだり、間の作り方がうまいのだろうか」
 
そう思って調べてみたところ、大泉洋が子供の頃に家族でドライブに行くときにテープからいつも落語が流れていたというエピソードに辿り着いた。
 
なるほど、この疑問を解く鍵は落語にありそうだ。そう思い、まずはYouTubeから落語を見始めた。
実際に落語を見始める以前は、私も大半のイメージと同じようにお年寄りの娯楽だったり、昔話をするだけのものだと思っていた。
たしかにおじさんが自分の語りや動きだけで物語を進め、登場人物を全て1人で演じるものだった。
しかし、その言葉遣いや動き一つ一つにどれだけ当時の状況を観客に想像させるかといった落語家の芸の細かさが感じられ、その物語一つ一つには昔の日本の人々の生活や考え方が垣間見える、学びも得ることができるとても奥深い娯楽だということが見ていく中で分かってきた。
そして、そこから今の社会に足りない「受け入れる」ことの重要性も知ることができたのだ。
 
落語の中で「与太郎」という名前の登場人物が出てくることがある。
この「与太郎」は、お調子者やホラ吹き、阿呆な事をする登場人物の代名詞である。
「粗忽長屋」という題目では、行き倒れの死体を自分の死体だと信じ込み、本当の自分がどちらか分からなくなるという男が出てくる。
「金明竹」では、店番を命じられた小僧が、店に訪ねてくる客に対してトンチンカンな返しをしてしまい、周りを困らせるといった物語だ。
 
どちらも、「実際、こんな人いたら笑っちゃうよなぁ」と思ってしまうような信じられないうっかりやおかしな言動をする。
その物語に非現実感を感じさせず、登場人物にリアリティをもたせた語り口や動作で観客を引き込むのが落語家のすごいところでもある訳だが、話の中心にいるのはこの「与太郎」たちである。
 
「水曜どうしでしょう」の大泉洋も番組内でよく騙される。
北海道のテレビ局から行き先も告げられず車に乗せられ、空港の看板が見えているのにそれに気づかず海外まで連れ出される。
視聴者からしたら、車中の会話の中に存分にヒントが与えられているし、向かっている道も彼もいつも使ってるであろう空港への道ある。「普通気づくだろう」と思えるような場面だ。
しかし、大泉洋は、「うそだろぉ」と本気のリアクションで騙されていく。
そして、視聴者はその番組の主演である大泉洋のあり得ない「騙され」具合とリアクションに思わず笑ってしまい、その後の展開が気になってしまうのだ。
 
この「水曜どうでしょう」の中で、大泉洋はまるで与太郎みたいな役割を果たしている。
一見、あり得ないような状況を受け入れてしまったり勘違いをして、周りの中で1人慌てて、おかしな行動をしてしまうようなストーリーになっている。(一応、付け加えておくが実際の大泉洋さんは、テレビでもご覧の方もいるようにいくつもの映画やドラマに出演しており、会見でのコメントもユーモラスな多才な俳優である。)
 
しかし、その普通ではない事をしでかす人物が予想外の言動をするストーリーが、我々の笑いを誘い、ついつい見続けてしまうのだ。
 
そう。「与太郎」というのは周りの注目を集め、物語の中心になることができる立ち位置なのだ。
 
人と違う言動をしたり、人からあり得ないと見られる人は、今の社会では敬遠されたり、距離を取られがちなことが多い。
しかし、落語の中の与太郎はそこでは主役であり、人を引き込む魅力的な人物であり、その事を受け入れられている。
 
今の世の中で、そうした違うものを受け入れて楽しむ余裕というのが無くなってきている。
 
そんな世の中の中で、「与太郎」的なキャラクターや人間を受け入れ、良さを引き出し、明るい笑いに変える考え方が必要ではないのか。
落語やその落語を聞いて育った大泉洋が主役である水曜どうでしょうには、その必要性について考えることもできる、素晴らしいバラエティーなのである。
 
 
 
 
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2019-08-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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