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週刊READING LIFE vol.91

金魚鉢を飛び出し、灯台の光の先へ《週刊 READING LIFE Vol,91 愛想笑い》


記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「Aさんって大人しいよね」
「あはは……」
高校2年生の春、教室で昼ごはんを食べている時のこと。進級し、友人になったばかりの同級生に声を掛けられ、私の隣に座っていたAは曖昧に笑った。肯定でもなく否定でもなく、ただその言葉を受け入れる。
このような場面によく遭遇する私は、いつもAの隣で、心の中で首を傾げる。
Aと私は、子どものころからの付き合いだった。
彼女は、一見大人しそうに見えるが、大変芯が強いことを私は知っている。読書とゲームが大好きで、努力家で。
それなのに、いつもどことなく自信がなさそうで。古くからの友人たちには、明るくたくさんのことを話すのに、初対面の人に出逢えば、口を閉ざし、曖昧に笑う。いつも、どこか遠くの方に心を置いて、みんなの動向を観察しているように見えた。
 
もっと堂々としていればいいのに。
 
私を含め、古い友人たちは口を揃えて言う。だが、そういう時Aは決まって、寂しそうに笑うのだ。
 
「私、まながうらやましいよ」
 
高校2年の夏ごろだっただろうか。登下校、いつもの田舎道で、Aと二人で歩いている時のことだった。自転車を押しながら、Aはうつむきながらそう言った。
私は、また首を傾げる。
私の何がうらやましいのだろう。
Aは、何でもできた。彼女は偏差値が高く、期末テストなどではいつも上位の方にあった。学外のテストを受けると、成績がグラフになって後日、配布される。私は、国語と英語は得意だったが、その他は得意ではなかった。特に数学など壊滅的で。私の五教科の成績グラフは、凸凹と金平糖のような歪な形をしていた。だが、Aのグラフは美しい五角形。どれもまんべんなく点数が取れている。こんなにも違うものかと私は思っていた。
彼女は運動も得意だった。クラス対抗の運動大会で、ペア競技で優勝したこともあった。
私が、何よりうらやましかったのは、Aの生活環境だった。自営業を営む我が家と違い、共働きのAの家庭は、家計が安定していた。我が家は貧乏ではなかったが、もし、私が将来的に大学へ進学することになれば、奨学金を借りねばならない。だが、Aは借金を背負うことなく進学ができる。
私の目にはとても彼女は恵まれているように見えた。
「私は、Aの方がうらやましいけど?」
率直に言う私の顔を見て、またAが眉を下げて笑う。
「そんなことないよ。まなにはさ、夢があるじゃない、それが一番うらやましい」
そうだ、今はまだのんびりしているけれど、私たちは未来に向かって舵を切らなければならない。
大学進学、就職、先を目指して、自分の力で歩みだす。
私は、短期大学へ進学することを決めていた。興味のある言語や民俗学を勉強しつつ並行して、アルバイトで学費を貯め、自力で医療系の専門学校へ行くことを決めていた。本当は、専門学校へストレートで進学したかったが、様々な理由で少し遠回りしなければならない。
Aも四年制大学へ進むと言う。ならば、目標あってのことだろうと思っていた。
「特にね、これ! って決めて大学に行きたいわけじゃないの。親のためにも行っておこうかと思って」
Aの両親は古風な所があった。彼女は、それも背負って未来を決めなければいけないのだろう。私は、努めて明るく振る舞った。
「ならさ、大学にいる間にしたいこと見つければいいんじゃない?」
「……そうだね」
私の言葉に微笑を浮かべ、またAがうつむく。夏の晴れ晴れとした天気に似合わない、物悲しい顔だった。
 
高校を卒業しても、私はあいかわらずAとよく会っていた。少し大人ぶって、おしゃれなカフェで、ランチを食べていた時のことだった。Aが真剣な面持ちで私を見つめた。
「ねぇ、私って何が得意だと思う? 私、何ができるかな?」
私は、目を丸くした。
「え、Aは勉強も、運動も何だってできるじゃない。私と違って、やろうと思えばいくらでもできることはあるでしょう?」
私の言葉に彼女は納得がいっていないようだった。どうやら、彼女の求める答えではなかったらしい。私は、眉間にシワを寄せ、首をひねる。何か誠意のある返答をしてあげたかった。
「ん~、ならさ、好きなことをキーワードにしたらいいんじゃない?」
「好きなこと?」
私はうなずいた。
「Aは、ピアノ弾けるじゃない? それに子ども好きでしょ。だから、学校の先生とか、保育士さんとか、そういう職業についてもいいんじゃないかな? 例えばだけど」
私は、子どもに接するのが大変苦手だった。だが、Aは子どもが大好きで、道行く幼い子ども連れの家族を見るといつも、慈しむように目を細めて「かわいいね!」と言っていた。それが、Aの特異なことなのではないかと思った。私は、その時、思いつくままに、カジュアルに言ったつもりだった。
「そうか、そうだね。……なるほど」
Aは、神妙な顔でうなずいた。少しは彼女の力になれたようで私はホッとした。
 
「私、保育士になろうと思う」
「え!?」
数ヶ月後、そう宣言したAの顔を見つめ、私は素っ頓狂な声を上げた。もうそのことは彼女の中で決定事項だそうで。それらの資格を取るための、学校の申し込みもしてしまったらしい。大学に通いながら、並行して技術を習得したいのだという。
「い、いいの? 大丈夫?」
慌てふためく私を、Aが不思議そうな顔で見つめる。
私は、ただ世間話の延長のような気持ちだったのだ。聞かれたから、答えてしまっただけで。まさか、その意見のせいで、人一人の人生の進行方向を示してしまうとは、微塵も思っていなかったのだ。
 
いいのか? 私は、教授でも、専門のカウンセラーでもないのに。素人の意見で未来の方向を決めてしまっても。
 
私の背中に、冷や汗が流れる。Aは賢いから熟慮した上での決断だろうけれど。何やら大変なことをしてしまったという罪悪感が押し寄せる。それとは対象的に、Aはどことなく晴れ晴れとしていた。
 
あれから数年の歳月が流れた。
私は、短期大学を卒業し、専門学校へ入学。何とか、希望していた職種に就く事ができた。だが、そこから、転がるように私の人生は暗転した。
私は確かに、学校で知識を身に着けた。だが、それだけではその業界では生きていけなかった。業務内容は、実地で学んで鍛錬することはできる。だが、それだけでは埋められないことがある。常に緊迫した雰囲気、スピードと正確さが求められる業務、深夜までの残業。本当に目まぐるしい日々だった。戦場のような現実が、どこか遠くのことのように見えてきた。まるで、私だけ隔離されているような。私は、上手く呼吸することができなくなった。
苦しんで悩んで、私はその職場を離れることにした。
私は、抱えていたすべてを手放した。
無職になり、それがとても悲しくて情けなくて、私は家から出られなくなった。社会との繋がりがプツリと切れてしまった。
この先どうしたらいいのか、わからなくなってしまった。
途端、自分が何やらおぞましい生き物のようになった。夢を失ったことで、心は空っぽになり、器だけが残ってしまったような。自分がまっとうな人間には思えなくなった。
 
何とかしないと、このままではダメになってしまう。
 
私は、焦りながら、ハローワークに向かった。施設内のPCを借りて、求人表を閲覧できるという。さっそく、PCの前に座り、愕然とした。
 
何と検索したらいいのだろう? 私がやりたいことって何?
 
キーボードの上に置いた手が震える。どうしたらいいのかまったくわからない。事務職の求人が多いようだけれど。私は、数字関係にめっぽう弱い。とても、自分ができるとは思わなかった。ならば、自分の得意なことをするしかないだろう。
 
私の得意なことって何だ、今の私に何ができる?
 
ますます私は混乱した。目がぐるぐると回るようだ。逃げるように、貸出カードを返し、ハローワークを飛び出した。
それから、大手リクルートサイト、卒業した大学の支援センターでカウンセリングと適職診断を受ける。結果は同じだった。
「あなたは、コツコツと積み重ねることが得意で、真摯に仕事に向き合えます」
隣には、グラフでの精神分析・能力診断結果。ほぼ正五角形、何でも適度にこなせるという意味だろう。私は、何度目かの憤慨をした。
 
何だこれは、何の参考にもならないじゃないか!
 
機械的な診断ではダメだ。私はそう思い、大学時代の恩師を訪ねた。先生なら、私のことをよく知っている。何かヒントをくれるに違いない。
「緒方は真面目で素直だから、色んなことに挑戦したらどうだ。まだ若いんだ。失敗してもいいから、飛び込んでみなさい。適応能力も高いし、頭の回転が良いから何だってできるだろう」
「……ありがとうございます」
私は、表面上は納得したような顔をして、曖昧な笑顔でうなずいた。恩師の家を出て、歯ぎしりでもしそうな、苦々しい顔をする。
 
何でもできるじゃ困るんだ。コレ! って明確に示してくれないと。
 
どの返答も私の満足の言った答えを出してはくれなかった。それならばと、またハローワークに出向き、求人票の新規の物に目を通す。何か引っかかるものがみつけられるかもしれない、そう思った。
だが、現実は厳しい。
一般的な事務職でも、簿記や何らかの資格が必要なことが多い。または、職業経験何年という条件もある。
やはり、何者でもない人間を社会は受け入れてくれないらしい。
 
世界は広くて、可能性に溢れ、選択肢は無限にある。
成ろうと思えば何にでも成れる。
でもそれは、明確な意思と力がある者だけの特権で。
何にでも成れるようで、何にも持っていない私は何者にも成れなくて。
まるで自分が、金魚鉢の中にいる金魚のようだった。
ひ弱で、酸欠の死にかけの金魚。アプアプと呼吸をするのがやっとだ。
小さくて安全な金魚鉢の中から、大きな海を見ている。
社会という大きな海に、無謀に飛び込めば、私なぞあっという間に波に飲み込まれてしまうだろう。
いや、そんな勇気もないのだ。金魚鉢から出る力もない。ただ、ぼんやりと、海を悠然と泳いでいるみんなの姿を遠巻きに見ている。
 
ふと、脳裏に寂しそうに笑うAの姿が浮かんだ。
 
やっとあなたの気持ちがわかったよ。
目指す先も、自分の力もわからない、そんな状態で海へ飛び込むことは、何と恐ろしいんだろうね。
 
そんな時に、誰かに、自分の知らない可能性を教えてもらえたら。
あなたには、コレができると背中を押してもらえたら。
それがどんなに小さなことでも、目指す先を照らす、灯台に見えたのかもしれない。
かすかに照らす光さえあれば、暗い海でも飛び込む勇気が湧くかもしれない。
自分を奮い立たせて、光の射す方向へ向かうことができるだろう。
私は、そっと、金魚鉢の縁に手をかけた。
 
まずは、小さいことから挑戦してみようか。コツコツ鍛錬を積むことは、私の長所だそうだから。
 
私は、まだ自力では泳げないので、まずいかだを作ることにした。
ハローワークの職員さんに薦められた、CADの職業訓練校に入校した。無事卒業し、建設系のコンサルト会社にアルバイトとして入社し、社会復帰を果たした。
黙々と図面を修正することは苦ではなかったが、私のしたいことではなかった。会社のみなさんは、とても良くしてくださったので、名残惜しかったけれど、数年で退職した。
ヨロヨロと、新たな道を目指して、先を目指していかだを漕ぐ。
 
ある時、出版社の求人に目が止まった。
そこが出版している雑誌は、学生時代スクラップ本を作るほど好きだった。そこで、自分が読書好きだったことを思い出した。書く、ということも、実は以前から興味があった。だが、無理だとはなからあきらめていたのだ。
私にできるだろうか、無理なのでは、でも、もしかしたら。求人のページを見ながら一人唸る。
 
「失敗してもいいから、飛び込んでみなさい」
 
恩師の声が頭に響く。
一度きりの人生だ、いっちょやってみようじゃないか!
私は、やっと、いかだから、海へ飛び込んだ。前職で、根性はついたはず。あとは、自分の力を信じて泳ぐしかない。はじめは不格好でもいい。溺れながら、試行錯誤していこう。
目の前に確かに光の筋が見えた気がした。
 
あれから数年が経った。私はその出版社で編集メンバーとして働いている。だが、やはり、先輩たちに助けられてばかりだ。文章への気持ちと鍛錬が足りない、私はそう思った。
偶然Facebookの広告を目にし、福岡天狼院の扉を叩いた。仕事をしながら、ライティングの技術を学び、試行錯誤、荒波に揉まれながら日々ヒーヒー言っている。
だが、楽しくて堪らない。
日々の暮らしや、読んだ本、映画の中で見聞したことを、自分の言葉で形にする。
色々な所に、ヒントは落ちていて、どう構成したら良い文章になるのか。この湧き上がる感動を人に伝えるにはどう表現したらいいか、いつもわくわくしながら考えている。
もしかしたら、私の文章が、誰かの心を照らすかもしれない。
灯台を見つけるまでの一瞬の足がかりでもいい。かすかでも、照らすことができたら。
 
Aは、無事保育所で働いているという。
今度は、お互い、心からの笑顔で、夢のことを語り合えたらいい。そう思い描きながら、今日も私は笑顔でジタバタと泳いでいる。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。アルバイト時代を含め様々な職業を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、茶道、占い、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心で、「おもしろいこと」アンテナでキャッチしたものに飛びつかずにはいられない、全力乗っかりスト。

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2020-08-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.91

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