「調子に乗る」って意味が悪意にとられる国に生まれて《天狼院通信》
天狼院書店店主の三浦でございます。
とある、大きな会社の実質的な創業者の本をつくっているときの話でございます。
書き手として、もちろん、こちらは読者を念頭において面白く書きたいわけですから、英雄譚を掘り出そうとします。
たいてい、そういうご依頼というのは、自分の成功談をとくと語りたいがためというのが多いので、盛って盛って、これでもかというくらいに盛って、人間不信になるくらいに盛ってちょうどいいというのが相場と決まっているのですが、やはり、売上高100億円を超える企業のトップになると、どうも違っているようです。
些細なことでも、
「やはり、これを書くともし◯◯さんが読むことになれば、顔を潰すことになるのではないか」
と悩まれる。
結局、武勇伝的な部分はほとんど削られて、タイトルも攻めたものから、無難なものに変えられて、実に無味乾燥な事実列挙の本が出来上がったのです。
そのトップの方は実に満足そうに頷かれる。
「これでいい。これでいいのだと」
逆にこっちが欲求不満になるくらいだったのですが、後々考えると、その人の恐ろしさが分かるようになったんですね。
一見、臆病に見えます。
他人の目ばかりを気にしているようにも見えます。
けれども、真実は違う。
その方は、徹頭徹尾、「調子に乗っている」と見えないように配慮しているのです。
逆をいうと、「調子に乗っている」と思わせなかったからこそ、その方は100億円企業を創りあげることができたのではないでしょうか。
でも、考えてみると、「調子に乗っている」という言葉が悪意にとられるのっておかしいことですよね。
仕事が順調で、「調子に乗っている」ということは、とてもいいことですよね。
けれども、次の文脈はどうでしょうか。
「社長、最近、調子に乗ってますよね」
「彼女、ちょっと最近調子に乗ってない?」
どんなに笑顔で言っても、言葉に悪意がにじみます。
おそらく、フロンティアを切り拓くことによって拡大していた、たとえばアメリカのような国ならば、きっと「調子に乗っている」人こそ、重宝されるはずです。
そういう人たちが、世界を切り拓くことを知っているからです。
けれども、守ることに長年注力してきた日本のような国は違う。
たとえば、織田信長といった、新しい世界を切り拓く可能性が生まれると、「調子に乗っている」と滅ぼされてしまう。
何らかの大きな意味での調整作用が働いてしまう。
実に、恐ろしい国ですよね。
しかも、おそらく、「あいつ、なんか、最近調子に乗っているよな」というのは、無関係の人ではなく、親しい人の場合が多い。
「あいつ、なんか、最近調子にのっているよな! もっともっと応援したいよね!」という文脈にはなりがたい。
100億円企業のトップは、経験上、このことを知り抜いていたからこそ、「調子に乗っている」と思われないように徹底的に配慮したのでしょう。
結局、この国は、ムラであることから、永遠に脱却できないのだろうと思います。
ある種のヒーローが生まれたとき、人は一時的には持ち上げるものの、その後は一斉に攻撃する側に回る。
良い悪いの問題ではなく、事実として、そうなのだと思うのです。
それでは、そうした「調子に乗っている」という言葉が悪意に取られる国で、成功するためにはどうすればいいのか?
きっと、真っ裸になって、全力疾走するしかないのだろうと思います。
もしかして、羽柴秀吉とは、そういう人だったのやも知れません。
あるいは、徳川家康のように、フィクサー的、ゴッドファーザー的になるか。
なんだか、夢も希望もないように聞こえますが、実際にはそうなのだろうと思います。
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