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チーム天狼院

【感情をむき出しに】嫁実家を優先させる嫁と、嫁なら当然夫をたてろと言う姑、悪いのはどっち?《川代ノート》


 

嫁姑

スタッフ川代です。

昔からワイドショーがやたら好きです。世間話とか、主婦の愚痴とか、びっくり体験の投稿をVTRにして、ゲストがコメントするような。「こたえてちょーだい」とか「世界仰天ニュース」とか「アンビリバボー」とか。深く考えずにボーっと見れるし、「あるある!」と共感することも出来るし、暇つぶしには最適です。

大学生になってからは夜家にいないので、私の好きなワイドショーがなかなか見れません。
だから、最近のお気に入りは、出かける前にサクッと見れる「ノンストップ!」。特に、毎週金曜日の「ノンストップ!サミット」がものすごく面白いんです。
「電車でベビーカーをたたまない母親はマナー違反か?」とか
「職場でのトラブル、悪いのは私?」とか
「夫の趣味に耐えられません」とか
視聴者から出される議題について、ゲストが賛成、反対に分かれてディベートするコーナー。なかなか考えさせられるテーマも結構あります。はっとさせられる体験をすることもあります。

私と母はたいてい金曜日の朝は時間があるので、ゆっくり遅めの朝ごはんを楽しみながらだらだらとノンストップサミットを見て、「いや、これは違うだろ」とか「うんうん、そのとおり!坂上忍いいこと言うわあ~」とか、一緒にディベートに参加するのが、最近の密かな楽しみになっています。

この前の金曜日は、こういう議題でした。姑として気に入らないことがある、と投稿がありました。

「嫁母がデリカシーが無くてむかつく!夏休みは真っ先に孫を連れて夫の実家に帰るのが当然なのに、嫁の実家に先に帰る嫁は礼儀がなさすぎるし、黙っている嫁母も常識が無い。嫁母が、夫の実家を優先するように言うべき」

簡単に言ってしまうと、孫が嫁実家の方に先に行くとか、孫が姑より嫁母に懐いている、というのが許せない、ということらしい。

ゲストは坂上忍、セッチーこと和泉節子、千秋、北斗晶でした。たいていの人は想像がつくと思いますが、セッチーは

「嫁として夫実家を優先するのが嫁のつとめ。嫁母は、孫がこちらを贔屓してしまわないようにバランスをとるよう気を配ったり、逐一姑に孫が来た時のことを報告するべき」という意見、
北斗晶と千秋は
「姑が心狭すぎ、そんなの関係ない、距離的な都合もあるし臨機応変に対応すればいい。嫁実家の方が子育てのとき頼りやすいのは事実だし、優先してほしいなら姑も嫁が来やすい環境をつくるべき」、
坂上忍は「親とかの意見より何よりもまず子供が苦しまないように、ちゃんと気持ちを聞いてあげるのが最優先。勝手に親同志で取り合いするな」ということで、セッチーVS他三人で、意見はまっぷたつに。

「姑の鏡」和泉節子の「嫁はもらっていただいたのだから、夫の実家に尽くして当然です」というザ・日本的な意見に、「ふるい!」「今の社会に合ってない!」「平等じゃない!」と批判を飛ばしまくる三人でしたが、セッチーは全く譲りません。「古いとか関係ありません、今はそういう風習がなくなっていくのは困る」と、どっぷり染みついた狂言の慣習がぶれることは論外のセッチー。

そんなこと言うなよセッチー。今の時代でそんな考えがまだ残ってたら、ますます未婚率が上がっちまうよ。そもそも「もらっていただく」って、昔は女に出来る仕事はかなり限られていたし、年頃の女は嫁ぐしか生きのこっていく方法がないからそりゃ「もらっていただく」になってたけども、今は別に女も働けるし、専業主婦も少なくなってるし、働くフィールドも男と女でほとんど違いはなくなってきているのに、それでもベッタベタの日本的な慣習だけはとっときましょう、なんてそりゃないよ。本当に少子高齢化が進んじゃうよ!ま、子供が自分より嫁母の方が好きだったらお小遣いあげる気もなくなるっていうのはわかるけど、と、誰も私たちの意見なんて聞いてないのに、母と二人でワーワーテレビに向かって意見言ってました。

すると、最後には、あまりに譲る姿勢を見せないセッチーに、北斗晶が「めんどくせーなあ!!!」と吠えました。大爆笑する画面の外の母子二人。本当そうだよね、もうこれ、何よりめんどくさいんだよね!!北斗晶、よく言ってくれた!!ひゅーひゅー。いやあ、今週は白熱して面白かった。日本の習慣も勉強になった。よかったよかった。最後にスッキリしたー。

こうして今回のノンストップ!サミットは折衷案も妥協も何も出ず(いつもそうですが)終わりました。最後に司会のバナナマン・設楽が北斗晶に一言。

「そういえば北斗さん、息子さんいますよね。もし息子さんが結婚して、お嫁さんが北斗さんちよりも実家を優先してたらどうするんですか?」

北斗晶は、

「そんなん決まってるだろ。嫁を庭に埋めるよ」と即答。

矛盾してるじゃないですかー!!そんな爆笑でコマーシャルに入ったのでした。

もちろん私たち母子もさらに大・爆・笑。めっちゃ矛盾してるけど、北斗晶サイコ―。正直でいい!面白かったなあ、と思って私は出かける支度をはじめました。

しばらくしたあと、

あ、これでいいのかもな。

ふと、何かに納得したような音がしました。

姑は態度でかすぎ!心狭すぎ!もっと嫁にやさしくしろ!
でも
自分の息子に嫁が出来たらこっちを優先しろ!こっちを大切にしてほしい!

明らかに、どうあがいても矛盾。人には厳しいけれど、自分には甘い。他人の許せない部分はあるけど、自分がやっても見て見ぬふりをする。

みんな駄目だってわかってるんですよね。矛盾がないことが素晴らしい、一貫性のある人間こそ徳のある人格者だ、ということくらい。

でも、ぶっちゃけ、根本的に矛盾してるもんなんじゃないか。人間というのは。
昨日言ってることと今日言ってることが違ったりするし、人に求める条件を自分は満たしていないことなんてよくあるし。あの人ってここが本当に性格悪いわよね、と目につく他人の欠点はだいたい自分のコンプレックスだったりするし。

一貫性のある人間に憧れてました。ものすごく。
意志が強くて、ぶれなくて、芯があって流されなくて。人に優しくて、自分に厳しくて。嘘を吐かなくて。有言実行できて。
その人のすべての言動に辻褄が合っていて、間違っていることは何一つしないような、そういう生き方に憧れていました。

しかも厚かましくも、自分は一貫性のある人間だと思っていました。思い込んでいました。

私の悪い癖で、「憧れの自分」が「本当の自分」だと錯覚してしまうのです。「理想に向けて努力してる」と思いたいからです。嘘をつかない、明るい、人に優しい、ポジティブ、アクティブ・・・。理想的な性格とか長所とか、憧れる人、友人の人間性をコピーしたくなるのです。就活の性格診断テストでも、「私の性格は理想の性格だ」と思い込んでしまっているので、本気で正直に答えたつもりでも、素晴らしい性格、好ましい性格だと想像して選んでしまって、そのせいで、面接のとき人事の人から「なんか性格診断とイメージちがいますね」と言われたこともありました。

本当は人見知りだし、諦め早いし、ネガティブだし、自信ないし、人見知りだし。駄目で嫌いなところばかりなのに、その現実を受け入れたくないから「理想の性格」をそのままトレースしているつもりでいたのです。

「辻褄が合っていない自分」とうまく付き合っていく自信がなかったのです。

「一貫性のある人」「ぶれない人」。

そういう人間は本当にかっこいい。ものすごく憧れます。私もいずれは一貫性がある人間になりたいと思う。理想と現実が一致していて、言動すべてを繋げられるような、一本の芯とか哲学を見つけたいと思う。

けれど、矛盾してもそれはそれでいいや、とも思えたのです。

今日はポジティブだけど、明日はネガティブかもしれない。
今日はアクティブだけど、明日は人見知りかもしれない。
今日は粘り強いけれど、明日はすぐ諦めちゃうかもしれない。

でも誰でもいろんな面を持っているわけで、変化しながら毎日生きている。

今日と明日が違う、というだけでなくて、人柄も場面によって変わるし、一緒にいる人によっても影響されて変わることもある。いろんなものから刺激を受けて摩擦されて、とがってたものがまるくなることもあるし、凹んでたものが引っ張られて飛び出てくることもある。

親が口うるさいのが嫌だ、と思う日もあるし、心配してくれてありがたい、と思う日もある。

心が広い彼氏じゃないと人として無理、と主張してても、自分自身は、彼氏の小さな欠点が許せなかったりもする。

人が親切だと、あの人すごいなあ、と思うけど、自分が親切しても、私なんて偽善だし、と落ち込むこともある。

見方によって、切り口によって、何事も全く違う風に見えるし、逆に同じようにも見える。

理性では「こうあるべき」と一貫性のある自分自身を構築していても、感情も必ず理性的な自分と一致するとは限りません。
頭と心、理性と感情が一致するというのがもともと無理な話で、感情をある程度コントロールすることは出来るけれど、たとえば失恋したときに悲しまないようにする、とか泣かないようにする、とかは出来ないのです。

失恋して勉強に手がつかない、とかは馬鹿な女がすることだ

ってもともとは頭で思ってたとしても、実際に失恋してみたらそんなこと気にしてらんないくらいめちゃめちゃ辛いし、気が散って勉強が手につかなくて当たり前です。

理性とか論理とか知らん。いやなもんはいやなんだもん

って、矛盾しちゃう自分、変化しちゃう自分を認めてあげられる人間の方が、すべての側面において完璧で一貫性のある人間よりも、フレキシブルでのびしろが大きいかもしれないし。

だから、北斗晶が

「姑を優先しろ!というのは心狭いし、寛容であるべき」と頭では思うけど
「実際に自分が姑になったら、優先してほしい」という心の本音がある

と、ためらいもなく思いっきり言ってくれたことで納得したのは

あ、こんなもんでいいんだよな。人間だもの。

相田みつをもそんなことを思って詩を書いていたのかも
と、妙にすっきりしたからだったのです。

嫁姑問題も、同じことで
本当は感情で

「孫がかまってくれないのが嫌!!自分が一番がいい!!大切にされたい!!」

って思ってるのに、その感情的になっている自分を何故か認められないせいで、なんとか自分に一貫性を持たせようと、

「礼儀として、嫁が夫実家を優先するのは常識です」

と妙にプライドの高い理由付けをしてしまうのです。

深く考えもせずに、感情を理論で無理に説明しようとするから、嫁姑間でもこうして妙な、解決できないいざこざが生まれてしまうのかもしれない。
単純に、北斗晶みたいに「めんどくせえ!!」「自分はいやだ!!」と、

純粋な感情を大切にするのって、理性的でいることと同じくらい、幸せに生きるためには必要だなあと、

電車でゆらゆら揺られながら考えていたのでした。もっとも、嫁になったことも姑になったこともないので、そのとき思うことはまた変化しているかもしれませんが。

ついでに、不思議なことに、天狼院にいると、たくさんの本に囲まれていたり、ものすごく頭のいい人たちと話していると理屈っぽくなるかと思っていたのですが、そんなことはなく、
天狼院にくる魅力的な人たちは、みんな、頭と同じくらい、心も大切にしているんですよね。
「悲しい!」「嬉しい!」「好き!」「嫌い!」とか、感情をそのまま素直に認めていて、変な言い訳をしないのです。

本当に魅力的な人っていうのは、頭も心も、つながる部分も矛盾した部分も素直に認められるのか、と、豆電球がポン!と光った感じがしました。

いやー、勉強になりました。

北斗晶さん、セッチーさんはじめ、「ノンストップ!」関係者のみなさま、ありがとうございます!!これからも見続けます!笑

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2014-07-28 | Posted in チーム天狼院, 記事

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