2000円から始めるデキる女
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記事:いしだあい(ライティング・ゼミ平日コース)
「今や就職はイス取りゲームですよ」
派遣会社の担当者は他人事みたいに笑って言った。
「あれって、たまたまイスの近くにいる人が勝ちじゃないですか? 仕事選びにプライドなんて捨てたほうがいいと思うんですよね。選んでいる場合じゃないってことですよ」
何か言い返せるわけでもなかった。格差というものは、よく見える形で現れることがある。未亡人、シングルマザー、無職。確かに選り好みするような状況ではなかったのだけれど、この三重苦は当時の現実世界を生き抜くにはなかなか厳しいスペックらしかった。
時給アップを狙って登録した派遣会社から紹介される仕事は短期間の倉庫内作業が多かった。持病の腰痛を抱えて働き続けるにはリスクが大きすぎる。安定した仕事に就きたくても、体の負担を考えると「できる仕事」の選択肢は極端に狭まってしまう。
「せめてパソコンが使えれば、事務系の仕事をご紹介できないわけではないんです」
派遣会社の担当者から遠回りに言われたのを真に受けた私は、パソコンの勉強を始めることにした。パソコンが使える「デキる女」になろうと決めたのだ。
子育てをしながらパソコン教室に通う余裕はない。就職が決まったらパソコン教室に通うのを止めなければならないかもしれない。となれば、まずは独学で学ぶのが妥当だろう。2000円のテキストを買うのにも気が引けたのだけれど、この値段だったら失敗しても痛手は最小限にとどめられるはずだ。夫が残したパソコンを使えば学習環境は整うのだから、チャレンジする価値はある。始めるなら今だ!
始めてはみたものの、独学は思っていたよりもつらいものだった。勉強を進めれば進めるほど、理解できない言葉が次々と現れる。今のように検索が便利な時代ではなかったから理解できなければ勉強が完全にストップしてしまうのだ。
「特定の値を検索しその戻り値を指定した列と同じ行にある値を返す……」
こうなるともう、わけがわからない。
主語は何だろう?
何のために使う機能なのだろう?
どんなふうに役立つのだろう?
疑問だらけになっていく。詳細な取り扱い説明書がほしかった。または、解説をしてくれる誰かが隣にいてくれたなら、と何度も思った。
エクセルのテキストというものは、どうしてこんなにも難しい言葉を使うのだろう。毎回イラっとさせられて、進んでは戻り、中断して、もう一度確かめて。何度も何度も同じ問題を繰り返し解いては、また次へ進む。そのうちに「ハッ!」と気づいて点と点だったものが線でつながる。独学はその繰り返しだった。
思い返してみれば、よかれと思って続けてきた専業主婦生活だった。パソコンなんて使えるようにならなくたって生きることができた。まったくその必要がなかったのだから。ところが夫がいなくなった瞬間に私が大黒柱になる。状況だけが変わって何の対策もしないまま手当たり次第に履歴書を送るのだから、就職活動が進むわけがない。
それでも「来るべきその日までコンディションは整えておきたいし、何もしないで無職を続けるなんて無理。だって、こうしている間にも世の中はどんどん変わってしまって、追いつけなくなってしまうかもしれないのだから! 未亡人だって、シングルマザーだって、無職だって、絶対できる女になって見返してやる!」という欲だけはあった。
世の中のことなんてちっとも見えていなかったし、自分の価値を上げて何者かになろう、そのためにパソコンスキルが絶対に必要だと妄信していたのだから、今考えるとなんとも痛々しい。鼻息の荒い私のスキルアップは2000円から始まって6000円で決着がついた。エクセル、ワード、パワーポイント、3つのアプリケーションソフトが使えるようになった頃、めでたく派遣の事務の仕事が決まったのだ。ビジネス文書作成も見積書作成も会議用のスライドもひと通り作ることができたし期間満了まで勤め上げることができたのだから6000円の投資は成功したと言えるのかもしれない。
できる女になれたかどうかはわからないけれど。
あの頃とは違って、今はもう「パソコンができれば仕事にありつける」時代ではなくなっている。スマートフォンが一人一台となり、検索をすれば謎が解けることも増えてきた。時代は変わったのだ。
3つのアプリが使えるようになった5年後から私はパソコンインストラクターの仕事を始めたのだけれど、時代が変わってもパソコンを使えるようになった後に広がる可能性は、使える前とは比べものにならないと信じている。
スキルアップにチャレンジする生徒さんたちに最短最速で使える技能を身に付けていただくことが今の私の仕事だ。あの頃、独学で苦しかった私の隣にいて欲しかった「取り扱い説明者」になれるように。今日も私は誰かのスキルアップをサポートしている。
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