正体を見せない相手とのたたかいを終えた母へ
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記事:わかいく(ライティング・ゼミ日曜コース)
1か月の検査入院を経た母に、正式な病名がついた。
聞いたこともない病名だった。
全国の患者数が推定3,000人台しかいない珍しい病気で、国の指定難病になっている。
この病気が、すぐさま直接的に生命を危険にさらすようなことはない。
けれど、排尿障害、歩行障害、しびれなどの症状が進行することで、生活に支障をきたしていくおそれがある。
指定難病とは、発病の原因が不明であり、治療方法が未確立であるもの。
つまり、今のところ根本治療の方法が見いだされていないということだ。
投薬と検査を続けながら、この病気と付き合っていくことになる。
本人には、相当なショックだったと思う。
個人差の激しい進行速度。薬の副作用。さらには合併症の不安。
この先自分がどうなっていくのか、底の見えない恐怖の穴に、落ちていきそうになる時もあるに違いない。
母は、もともと丈夫な体質ではなかった。
若い頃から、常時、体にいくつもの問題を抱えていた。
それでも、私がまだ学生だった頃の記憶では、元気な母のほうを多く思い出す。
仕事も持っていたし、子供たちのため料理にも手を抜かなかった。
子供達の独立した後、母が50代半ば頃から、体調の不良が増えていったと思う。
ただ、はっきりとした診断はつかず、母はいつも「体質がよくない」「体質のせいだ」と言った。
きつそうにしている母を見ることは、私たち家族にはつらかった。
皆いつも母の体調を気にしていたが、どうしようもできないことだと思っていた。
「体調はどう?」「無理をしないで」「なにか手伝うよ」
そんなふうに寄り添うことしかできなかった。
そうやって、私たちは、体調のすぐれない母に慣れていったのだと思う。
慢性的にきついのは体質のせいだと思っていた母が、難病に侵されていたという事実に、私たちは衝撃を受けた。
さらに、この病気の発症時期が、想像を超えていた。
はじめに症状のあらわれた記憶をさかのぼっていくと、母が60歳になる直前、今から15年前と推測された。
その頃から現在まで順を追うと、異常を示すいくつかのサインがあった。
母の体調がすぐれないことに慣れすぎていた私たちは、それらを見過ごした。
はじめの症状である排尿障害が出たときは、それ以前から繰り返していた膀胱炎の延長のようにとらえた。
母は、このことについてはあまり語らなかったが、泌尿器科を何度も訪れた末、原因不明の症状への対症療法で納得するしかなかったようだ。
その数年後、もうひとつの主症状である歩行障害が出始めたが、このときも、私たちは特別の反応をしなかった。
めっきり外出が減った母の筋力が衰えたことで、足がふらついたりもつれたりするのだとばかり思った。
「なるべく散歩や運動も頑張って、体力つけてね」
高齢者向けのスクワットマシンや、筋肉に電気刺激を与えて筋力トレーニングをはかる機器を、プレゼントしたりした。
母自身も、散歩や体操を取り入れながら努力をしていたが、なかなか報われなかった。
その間も少しずつ症状が進んでいたからだとは、知る由もなかった。
診断が下されてしばらくたったある日、母が、電話ごしに言った。
「この病気と分かって、実は、楽になったこともあったよ」
意外なことを言い出す母に、即座にたずねた。
「どういうこと?」
母は答えた。
「人に対して、きついのは病気のせいだって言えるから」
「ああ、そうだね。これで、人にわかってもらえるね」
母がどんなにつらくても、なかなか周囲の理解を得られないことがあった。
人と行動している最中に体調が悪くなると、口下手な母は、「気分屋」「わがまま」などと思われているふしがあった。
病名がないので、伝えようとしても、うまく伝わらない。
相手の反応に、不可解のかげが見てとれる。
そのうちに、「元気な人にはわからない」が母の口癖になり、伝えることを諦めた。
何度か病院に駆け込んだこともあったが、異常は見つからない。
15年以上もの間、母はひとりで、正体の見えないものとたたかっていたのだ。
おそらく自分では、たたかっているという意識もなく。
病名を聞いたことで、母が手にしたもの。
それは、「私はこの病気できついのだ」という、れっきとした理由だという。
この理由があることで心が少し楽になれたほど、たくさんがまんをして、たくさん頑張ってきたのだと思う。
これまでの母は、娘の私に対してさえ、面倒をかけることを断ることが多かった。
「自分でできるからいいよ」
「そんな大げさなことでもないよ」
「休んでたらそのうちよくなると思うよ」
私は私で、断られるとそれ以上は強く言わなかった。
病人でもない母を病人のように扱うことに、越えがたい抵抗があった。
今回、母に病名がついたとき、私はその縛りから解かれたのがわかった。
きっと、母自身もそうなのだろう。
私がそう思うのは、この頃の母の表情が、穏やかだから。
妹は、毎週実家に行って、掃除をしたりご飯を作ってあげたりしている。
母は、それを、ありがたく受けている。
以前であれば、断っていたと思う。
私も、できることをしたいし、もう言葉を選ばなくてよくなった。
「これこれしてあげようか?」とはっきり言える。
母からは、「うん、ありがとう」という言葉が返ってくる。
母が病気と知らずに体調の悪化に振り回されてきた、これまでの日々。
正体の見えないものとのたたかいは、母の体だけではなく、母の心も孤独にしていったと思う。
これからは、少なくとも「難病」という「正体」だけは見えているものとの付き合いになる。
このことは、私たち家族が、これからもっと母に寄り添うため、共有できる理由になる。
そして、私たちが母からおおいに頼ってもらうための理由になる。
長くて孤独なたたかいを終えた母に、今はただ、お疲れ様を伝えたい。
***
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