メディアグランプリ

撮ろう、写真を。もっともっと軽率に。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:立花奈央子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「わー、なつかしいね、それ!」
 
さっと取り出したわたしのカメラに、皆の顔がほころぶ。
とっておきのそれは、写ルンです。
 
この夏、わたしは常に写ルンですを持ち歩いている。フィルム付きカメラならではのチープな巻き上げ音が、聞く人それぞれの思い出を刺激する。現像するまで何が撮れているかわからない、そもそもいつフィルムを使い切って現像しにいけるかもわからない不自由。それが今では、一周回って愛おしい。
 
不自由さを楽しめるほどに、わたしたちの生活にはデジカメやスマホが染み渡った。誰でもきれいな写真を撮影できるようになって久しく、アプリを使いこなして画像加工や文字入れを駆使する人も多い。もはや皆がプロフォトグラファーで、プロデザイナーであるかのように思えるほどだ。
 
わたしは写真撮影スタジオを経営しているが、その顧客が仕上がった写真を見て「アプリと違いますね。アプリみたいに撮ってくださいよ」と言い、めいっぱい加工された画像を見せてきたことが忘れられない。プロフォトグラファーがプロたる所以は、日に日に揺さぶりをかけられている。
 
そもそも、フォトグラファーが職業人として成り立っていたのは、かつてカメラの扱いそれ自体に職人技が求められたからだ。銀塩(フィルム)写真しかなかった頃は、光を読んでカメラを適切に設定するとともに、瞬時に被写体にピントを合わせる緻密なレンズ操作が求められた。ゆえに、写真撮影は特別な行為だった。
 
翻って今は、飛躍的な技術進歩の恩恵で、誰もが、何枚でも撮影することができる。
これは喜ばしく、悩ましくもある。確かにプロは一定の基準以上のクオリティの作品を、限定された環境下で、時間内に結果を出して、確実に納品できる。しかし、それは被写体にとって最高の写真であるとは限らない。
 
例えば女性のポートレートでは、プロのどんな渾身の作品でも、その女性が愛する相手に向けた笑顔の前には見劣りする。(ですよね、恋する女性のみなさん?)それはたとえブレていても見る者をなぜか引き付けるのだ。
 
風景写真では、どんな機材があろうと季節と天候は動かせない。限定された時間の中で一定以上の結果を出すのがプロではあるが、その土地に住んで撮影スポットと光を熟知し、撮影チャンスが来たらすぐに撮りに動ける地元の人には敵わない。
だから、その土地で傑作を撮ると決めた風景フォトグラファーは、ためらわず長い時間滞在する。
 
つまり、最高の写真に必要なのは技術ではない。
被写体との物理的・心理的な距離の近さ、つまり関係性が、その写真を特別なものにする。
写真撮影は、究極に私的な行為なのだ。
 
例えば、あなたは何を撮るためにカメラアプリを起動させるだろうか?
 
きれいだった景色?
一緒に遊んだ友達?
美味しかった食事?
 
どれも自分が残しておきたいと思った一瞬のはずだ。それらは風景や、人や、食べ物を写しているようでいて、実はその時の自分の眼差しを表している。写真は、その時の心のかたちを浮き彫りにしてくれる。
 
ところで、私には大好きな祖母がいた。
晩年はほとんど目が見えなくなっていた。
見舞いに行った私に、祖母はこう独り言(ひとりご)ちた。
 
「写真なんて、目が見えなくなったら意味がない」
 
当時フォトグラファーとして鋭意活動中だったわたしは、その言葉にショックを受けた。
しばらくの間、仕事以外で撮れなくなったほどだ。
以来ずっと、なぜ自分が写真を撮るのか、その意味を問いつづけていた。
 
撮りたい人がいる。
伝えたいことがある。
それだけでは、弱かった。
 
祖母の死から6年経った頃、不意に好きな人ができた。
 
わたしは、彼との共有プロジェクトを持ち掛けて、その過程で何かが見つかるのではないかと期待した。意気揚々と進んでいたそれは、結果的にわたしたちの意に反して諦めざるを得なかったが、得たものは大きかった。その人は信念や理想という目に見えないものを、言葉にして人を鼓舞することを生業にしていて、言葉に熱を込めることや、人に伝えるのを諦めないことを教えてくれた。(余談ではあるが、ライティング・ゼミを薦めてくれたのもその人だ)
 
彼の言葉は実にきらきらとしていて、常に何かを照らそうとしていた。抽象的な概念を錬金術のように言語化していくさまが実に鮮やかで、理念を熱っぽく語る彼を、わたしは撮り、世の中に出したいと思うようになった。彼の姿を通して、自分が感じた光を表現したいと考えたのだ。
 
その時、はたと気がついた。
わたしが撮りたいと願ってやまなかったのは、光そのものだった、ということに。
 
わかってみれば簡単なことだけれども、それまでのわたしは形を恰好よく写し取ることに拘泥していた。なんて自分は目が見えていなかったんだろう!
 
写真は、目に見えなくてもいいんだ。
 
撮影行為を通して、自分の心動くものを自覚すること、そのものがすでに写真で。
普段目にする写真は副産物にすぎなかった。
 
なぜ自分は写真を撮るのか、そんな疑問に光明を見出した瞬間だった。
 
撮影する動機は、人の分だけある。
見せたい。とっておきたい。忘れたくない。伝えたい。
そのどれもが、かけがえのない一瞬のきらめきを持っている。
 
プロフォトグラファーも、そうでない人も、関係ない。
技術も、カメラの性能も関係ない。
 
自分の心が動いたら、何も考えずに撮ればいい。
それが自分にしか撮れない、最高の写真になる。
 
そんなわけで、わたしは今日も<写ルンです>で、人を撮る。
 
 
 
 
***
 
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2020-08-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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