生涯に食べられるシュークリームの数は決まっている
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:吉田けい(ライティング・ゼミ特講)
最後に体重計に乗ったのはいつのことだったろう。
「…………」
昔の体重計はアナログで、文字盤がぐらぐら揺れて止まるまで息をひそめて待つ。だいたい振れ幅で最終着地が分かるが、それでも祈るような気持ちで肩をすくめずにはいられなかったものだ。今でも古びた銭湯などでは現役なのではないだろうか。対するイマドキの体重計は一瞬で測定、体脂肪に筋肉量に水分量、BMI値に身体年齢、骨の何とか値、もはやよく分からない値まで表示してくれる。
「……やばい」
久々に乗った体重計が非情な現実を表示するのを見届けて、がっくりとうなだれる。やばい、これはやばい。過去最高なんじゃないか。私の医学的な健康体重をXとすると、X+5kgもある。過去一番スタイルが良かった時はX-5kgだから、あの頃に比べて10kgも太ったことになる。ちょっとぽっちゃりしてるだけ、その気になればすぐ痩せられると思っていた私は、ある年に夫と旅行に行き、海辺で水着姿の写真を撮った。スマホですぐさま確認できる私の姿は、まるまると肥えていてまるで樽、控えめに言っても妊婦のようだったのだ。
「私、こんなにデブなの!?」
私の驚きの声に、苦笑いしつつも否定しない夫。釈然としない思いを抱えたまま帰京し、自宅の洗面所の隅で埃を被っていた体重計を引っ張り出し、現実を目の当たりにすることになったのだ。
「……これは痩せないとダメだ……」
かくして、私のダイエット生活が始まった。
幸か不幸か、ダイエットを決意した直後に妊娠が発覚し、運動による減量が大幅に制限されることとなった。またイマドキの妊婦は好きなだけ食べてはいけないそうで、食事量と体重増加に医師の指導が入ることにもなった。検診に行く度に体重を図り、想定値以内なら母子手帳にハートマークを書いてもらえる。想定値は、二週間で0.5kg。それ以上体重増加していると、怒りの青筋マークを書かれてしまう。
「とりあえず、食べる量を減らすしかないよな……」
何度もダイエットを決した中で唯一成功したのが、結婚式に向けてのダイエットだった。当時は夫と一緒に酒を飲んで回っていたので、式が終わるまではと願掛けの意味も含めて断酒をしたのだ。これが功を奏し、X-2kgまで痩せ、ドレスも綺麗に着ることが出来た。食事も運動もそれなりに気を付けていたが、断酒の効果の方が強かったかもしれない。今回も妊婦なので強制断酒になる。そうすれば基準はやすやすクリアできるだろう。
そうたかをくくって訪れた妊婦検診で、先生はくっきりと青筋マークを書いた。
「これじゃあダメだね~」
酒をやめて、暴飲暴食もやめたから大丈夫だと思ったのに。妊婦って太りやすいのかな。もっと食べる量を減らせってこと? 今もそんなに食べてないけどどれくらい? 診察の後、事務手続きの説明をしてくれた看護師さんに食事のことを質問してみると、小柄な看護師さんがニヤリと笑った。
「切迫流産で入院している方が、大体1600kcal程度を目安の食事になっています。なので、通常の妊婦さんなら、1800kcalくらいが目安ですね」
1800キロカロリー。多いのか少ないのか分からないな。わかりました、と返事をして、1800という数字を覚えて診察を終えた。一度きっちりカロリー計算というやつをやってみよう。今は便利なアプリがあるんじゃないかな……あったあった。食材と量を入力すると、カロリーと栄養素を計算してくれるんだ。既製品の登録がたくさんあるから簡単そうだ。私は「あすけん」というアプリをダウンロードし、その日の朝食と昼食の内容を入力してみた。朝はごはん味噌汁焼き鮭、昼はパスタ。どれくらいかな……。
1500kcal。
「……え」
ごはんはお茶碗一杯、パスタも外食で一人前頼んだだけだ。食べすぎという量ではないだろう。だが、1800kcalまであと300kcalしかない。朝食と昼食のボリュームから考えると、ごはんとおかずをほんの一口ずつ食べたらあっという間に300kcalなんて超えてしまう。
私、食べ過ぎてたってことなの!?
慌てて昨日の食事内容をアプリに入力してみる。朝食、昼食、夕食。おやつにチョコか何か食べたっけ。夕食を入力する頃には、もうだいたいの目安はついてしまい、どんどん気分が落ち込んでいった。結果は2300kcal、基準の1800kcalからは500kcalも多い。基準に対して毎日こんなにオーバーしていたら、そりゃあ太っていく筈だ……。最近特段たくさん食べたというわけではない。いつも通り食べていただけだ。ずっとずっと、同じように食べていた。それじゃあ多かったんだ……あの水着写真の、樽のような腹。あれは紛れもなく、たくさん食べた結果がしっかりと肉になって表れていたんだ……。
食べ過ぎたら、赤ちゃんにも影響があるって先生言ってた。
「……ちゃんとやらなきゃ」
それから私は、毎日必死に「あすけん」アプリに食べたものを入力した。ごはん何g、唐揚げ何個、サラダ一皿。朝昼に食べ過ぎてしまうと夜がひもじい。粗食ばかりにしているといろいろな栄養素、特に鉄分が不足して調子が悪くなる。バランスよく、少なく食べるのは本当に難しい。一般的に妊娠期は通常より食べていいそうなのだが、その通常の設定も、私のようにデスクワークの場合は1700kcalあたりが目安なのだそうだ。それに対して2300kcalも食べていたのだから、太って当然だったのだ、と改めて実感させられた。
甘いものを食べる余裕など全くなかった。飴玉一粒も10kcalと思うと、口にすることが躊躇われた。何かで「貧しい子供は甘いものが好きで、裕福な子供は酸味があるものが好き」という言葉を見たが、まさにそうなのかもと思わざるを得ない。ラムネやフルーツなど、酸味のあるお菓子には一切興味がなくなり、チョコやクリームを渇望してやまなくなる。食べたい、甘いものを食べたい。なんなら料理で使う砂糖を舐めるのでもよい……。そこまで思いつめるのは精神的にもよくないと思い、妊婦検診の日だけ、大好きなシュークリームを一つだけ食べてもいいことにした。
ああ、おいしい、シュークリーム。
妊婦検診は一か月に一回、予定日が近づいてくると二週間、一週間と間隔が狭まってくる。私は感覚的に今までの半分以下の食事を細々と食べ、検診の日を、シュークリームが食べられる日を指折り数えて待つようになった。努力の甲斐あって体重の増加は緩やかになり、先生からハートマークを貰える日も増えてきた。胃袋も食べる量が少ないのを覚えてくれたようで、最初の頃の耐え難い空腹感もあまり感じなくなり、体の調子が良くなった気がした。
食事制限に詳しくなると、親戚や知人がいろいろな病気で食事制限をしていたことも思い出される。制限の理由は糖尿病だったり肝臓だったり痛風だったりと人によるが、健康を維持するために体に負担をかけない量だけ摂取する、というのは共通していた。どれも、それまではその人が大好きでたまらなかったものだ。はじめはこれくらいいいだろうと甘く見積もって制限されたものを食べてしまい、次の検査で数値が引っかかって先生に怒られる。そんなことを繰り返していくうちに、適正な量に慣れ、健康のために諦めていくことができるようになるのだ。そして時々制限しているものを食べられる時が来ると、本当に嬉しそうに、ニコニコしながら食べる。食べ放題というわけではなく、ほんのちょっとなのだが、それを大事そうに食べるのだ。
私がシュークリームを心待ちにし、味わって食べるのと同じように。
「……食べていい量って決まってるんだなあ」
私の食事制限は妊娠がきっかけだったが、多くの人は病気の発覚がきっかけとなるだろう。際限なく食べ続けていると病気になって、その先はあまり食べられなくなる。自分の適正な量を知れば、時々食べても構わない。もし初めから適正な量だけ食べるように節制していれば、病気にならず、その量をずっと食べていても問題はないはずだ。
たとえばシュークリームなら、生まれてから死ぬまで、全部で千個食べていいものとする。若い頃に九百個まで食べてしまうと病気になり、それ以後は残された百個を細々と配分して食べていくしかない。もしくは、その百個もすぐさま食べ切って、病気が悪化して死んでしまうか。お酒もそうだ。ラーメンもそうだ。
私が今この瞬間シュークリームを我慢するということは、未来の自分にシュークリームを一つプレゼントしているということなのだ。
「…………」
私は自分の老後を想像してみた。妊娠していなかったら、きっと同じように好き放題食べてぶくぶく太り、糖尿病か何かの病気を発症していただろう。今よりももっと厳しい食事制限を受けて、薬もたくさん飲んで、食べるという楽しみから完全に切り離された生活をするか。それとも、今努力している食事をずっと続けて、死ぬまでシュークリームを時々楽しむことが出来るようになるか。
絶対、絶対、死ぬまでシュークリームを食べたい。
「……産んだ後も、続けよう」
私は決意にこぶしを握り締め、その日もシュークリーム屋の前を素通りしたのだった。
***
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