バナナは世界への扉
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:大下歩(ライティング・ゼミ日曜コース)
あるよく晴れた日曜の朝のこと。
日本の各地で、子どもたちが一斉にバナナを食べていた。
大阪で、三重で、愛媛で、埼玉で、彼らはそれぞれの家のリビングに坐り、まるで生まれて初めて食べるかのようにその果物をじっくり味わっては、芸能人顔負けの食レポをしている。
彼らの前にはスマホの画面。
その向うから少し緊張気味の声で語りかけているのは、この日の講師である私だ。
バナナ観察ワークショップが始まって、30分が経過していた。
「子ども向けに、自然観察イベントをやってもらえない?」
日ごろからお世話になっている教育系NPOの代表からそう声をかけられたとき、私は正直頭を抱えた。いや決して、オファー自体が嫌だった訳ではない。将来は環境教育の仕事がしたいと漠然と考えているので、子どもたちが自然を学ぶ後押しをするようなイベントを自分でやらせてもらえるなんて、むしろ願ってもない機会だった。ただ、そこには一つ条件があったのだ。それは、コロナ禍に際し、イベントはリモート形式で行うということ。
これは結構な難題である。自然観察イベントといえば、参加者全員で一緒に森や海を散策するのが普通だ。それを日本各地に散らばった子どもたちに、しかも画面越しで、いったい何ができるだろう?
一方的にスライドで写真を見せながら解説することだけは避けたかった。小学生の頃の「校長先生のお話」がなぜあんなに退屈だったかといえば、まずもって私たち生徒が黙って静かに、真面目な顔で話を聴かなければならなかったからではないか。笑ったり突っ込みを入れたり質問したり…、そうやって積極的に参加できる雰囲気がありさえすれば、こちらももう少し興味を持って耳を傾けられただろうに。だから今回はなんとしても、子どもたちが自分自身で手を動かして、何かを触ったり匂いを嗅いだり味わったりできるような、いわゆる体験型の内容にしたかった。
困り果てて家の中をぐるぐると歩き回っているとき、キッチンでごそごそやっている父と行き会った。父は仕事に行くまで時間がないと見えて、わが家に常に買い置きがされているバナナを朝ご飯代わりにほおばっていた。
これだ!
突然まるで天啓のように、アイディアが私の頭に降ってきた。おそらく誰もが家に持っている、自然観察の材料。たとえ日本のどこにいようと、皆等しく手軽に用意できる題材。それは食べ物だ。
という訳で、当日は子どもたちにバナナを1本それぞれ手元に置いて参加してもらった。
「クイズです。バナナの実は木になっているとき、上向きに曲っているでしょうか、下向きに曲っているでしょうか」
「下だと思う」
「わたしもー」
「えー、もしかして上?」
子どもたちの意見は見事に真っ二つに割れた。してやったり、もくろみ通りである。
「答えは、上。グーンと反り返って、野球のグローブみたいな形になってるんだよ」
私自身が初めて知ったとき衝撃を受けた事実を伝えると、子どもたちは「えーっ!」と一斉に声をあげた。好奇心を満たされた子どもたちは、おいしい食べ物でお腹を満たされたときと同じぐらいうれしそうだ。
食べ物は、自然会と私たちとをつなぐ大使だと思った。どこか外国のことを知りたいとき、その国の情報が凝縮された大使館のホームページをまず覗くだろう。大使館主催のイベントに参加すれば、向うの食べ物が食べられたり向うの人と話せたりして、よりリアルな雰囲気を感じることもできる。たとえ実際に訪れることはできなくても、大使館という窓を通じて、私たちはその国を垣間見ることができるのだ。
同じように、屋外に出かけずして自然のことを知りたいと思ったら、私たちが日々食べている物を観察すればよい。私を含め、自分自身で農業や漁をする機会の少ない現代人はつい忘れがちだけれど、食べ物とは何であれ正真正銘自然の一部だ。私たちの胃に収まる前のどこかの時点では、確実に生きていた。それが収穫あるいは塗擦され、加工され、ラップをかけられてスーパーに並ぶまでに何が起きているのか…。そのストーリーをたどることで、私たちは家にいながらにして世界中の大自然を、そしてその中で営まれている人々の暮らしを知ることができるのだ。
特にバナナは、この日私たちをとても遠いところまでつれて行ってくれた。今から5千年も昔に初めて野生のバナナが発見されたという、マレーシアの密林。バナナのお酒が飲まれているという、ウガンダの村。日本のバナナの主な輸入先であるフィリピンや中南米の国々。私たちが朝時間がないときにもそもそとほおばる細長い黄色い果物に、ありとあらゆる物語が詰まっていることを子どもたちは感じとり、目をきらきらさせてついてきてくれた。
ワークショップも終盤に差し掛かったとき、一人の男の子が「ねえねえ」と声をあげた。
「バナナってなんで西瓜みたいに種がないの?」
来た! 私ははっと背筋を伸ばした。 それは私がいちばんしてほしかった質問だ。スイカでもブドウでも果物には対外種があるのに、なぜバナナにはないのか。種がないならどうやって育つのか。バナナをよく観察すれば必ず気づくことであり、誰かが言い出すだろうなと期待していた。
だが同時にそれは、私がいちばん恐れていた質問でもあった。なにしろ、どう答えていいかわからないのだ。 きちんと理由を説明しようと思ったら、生殖や遺伝の仕組みから話さなければならない。そんな専門的な内容を、子どもたちにわかるよう噛み砕いて解説する自信が私にはなかった。
一瞬の迷いの末、私は正直に「私にもわからないの」と言ってみた。そして、「みんな調べてきて私に教えて」と。子どもたちの好奇心がここで途切れないよう祈りながら。
後日子どもたちの一人からメールが届いた。バナナが種無しで育つ理由がかなりの長文で書かれていた。お母さんと二人あれこれ調べて、私に教えるべくまとめてくれたそうだ。 「どうしてバナナに種がないかなんて考えたこともなかった。すごく楽しかった」というコメント付きで。バナナというある意味ありふれた物をきっかけに、子どもたちが世界のことに興味を持ち、これが学校の宿題だったら絶対やりたくないだろうなと思う長さのレポートをまとめてくれたことに、私は何とも言えぬ感動を覚えた。
特別な勉強をしなくても、たくさんのお金をかけなくても、それどころか家から出なくても、世界中を冒険することができる。私たちの暮らしの中にいる「大使」のメッセージに気づきさえすれば。
***
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