彦星は遠きにありて想うもの
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:岡 幸子(ライティング・ゼミⅡ)
高校で生物を教えている。
生命の神秘や命の大切さなど、生きることを掘り下げるテーマは面白い。
中でも恋愛だ。
そんな項目、教科書になかった?
いや、掘り下げれば恋愛に直結する単元はちゃんとある。
「神経伝達物資」という言葉を聞いたことはあるだろうか。
神経を学ぶと、もれなくついてくる言葉だが、知らなくても何も困らない。
「神経」の間で何かを「伝達」する「物質」のことだから、文字を見ただけでだいたいの働きは想像がつくから大丈夫だ。
恋愛の本質はこれなのだ。
恋をすると、特別な神経伝達物質が脳内麻薬として頭の中にドバっと出て、そのせいで嬉しくなったり悲しくなったり、突然世界が薔薇色に見え始めたりする。その効果は激烈で、経験した人ならわかるが、未経験者にはただのファンタジーだ。
可愛い生徒たちが何も知らずにこの劇薬にやられないように、神経の授業では必ず恋愛の本質を話している。
だが、他の学習もあるのでどうしても時間がない。
というのを口実に要点だけで終わらせず、可愛い生徒たちのため、今日は恋愛について実例をあげて語ってみよう。
中学2年生のとき、少女漫画の読み過ぎだった私は白馬に乗った王子様に憧れていた。
そのイメージにジャストフィットの男子が同じクラスにいた。背が高く、スポーツ万能で歌が上手い。春には生徒会選挙に立候補して生徒会長になった。秋には文化祭でギターの弾き語りを披露して拍手喝采をあび、球技大会ではバスケの花形だった。席が隣になったときは、どきどきしながら数学の問題を教えてもらった。
けれど、この片想いには終わりが見えていた。私は中2が終わったら都内から埼玉へ引っ越すことが決まっていたのだ。新しい家で自分の部屋がもらえるのは嬉しかったけれど、初恋の人に会えなくなるのは悲しかった。一方的に熱を上げていた私は、思い切ってバレンタインデーに告白することにした。お菓子作りが好きだったわけではないが、手作りチョコを作ってみた。市販の板チョコを溶かして型に流し込んだだけだったけれど、頭の中が映画館のスクリーンになったみたいに天然カラーの妄想が次々に浮かび、楽しかった。
バレンタインデー当日。
きっと彼は下級生含む他の女子からも大量のチョコをもらうのではないかと予想して、誰よりも目立つ渡し方をしたかった。それで、一番最初に渡すことを思いついた。中学受験生
の親たちも、縁起を担いで早朝から並ぶではないか。学校で待っていたのでは手ぬるい。
早起きをして彼が住む官舎の入り口で待ち構えた。
「おはよう」
「どうしたの?」
「これ、受け取って」
「うわ、ありがとう……」
「じゃ、後で」
それだけ言うのがやっとだった。
心臓が口から飛び出しそうなほどばくばくしていた。
いざとなったら恥ずかしくて、ろくに顔も見られない。並んで歩くなどとんでもない。チョコレートが入った箱を押し付けて急いでその場から逃げ去った。頭には血が上り、気づいたら教室にいた。どこをどう歩いたのかまったく覚えていなかった。
後悔した。
チョコレートを渡す前は、頭の中で彼と自分の関係を自由に妄想できたのに。
バレンタインデーを境に、以前のように気軽に話せなくなってしまった。
それこそが恋の特徴だ。
相手のことをよく知らないのに気持ちが燃え上がる。むしろ、知らない方が燃え上がる。相手のことを断片しか知らないうちは、頭の中で好き勝手にピースを組み上げ、自分の理想に近づけることができるから。
一歩踏み出してチョコを渡すまではよかった。
私の妄想はその先の現実に追いついていなかった。それで無意識に意識してしまい気軽に話せなくなってしまったのだろう。
そのまま、引っ越してしまった。
不思議なもので、会えなくなった途端に想いが倍増した。心に膨らし粉が入っていたようだった。心のスポンジケーキが、オーブンの中でどんどん膨らんだ。
今とは違って、インターネットも無線電話もない時代。電話は一家に一台、玄関に置いてあるだけだった。家族の誰が出るかわからないので、異性の家に電話するのは気が引けた。
それで、手紙を出した。
メールではない。
切手を貼って投函して、相手が返事を書いてポストに入れてくれたら数日後にやっと返信が届く、あの手紙だ。
メールに比べてあまりにも不便だった。既読の確認もできず、返事がもらえるかどうかもわからない。学校から帰ると真っ先にポストの中を見た。頭の中では、ユーミンの『青いエアメール』が流れていた。時の流れに負けず、会えなくてもずっとあなたが好きだから、8年たって会いに行ったら、声もかけられないほど輝く人でいてほしいと歌われる。いいなあ。少女漫画の世界だ。私もこれでいこう。ドキドキしながら受け取った返信も、秋には来なくなった。それでもよかった。彼に対する恋心は、恋人になれなくても想い続けるという形でいったん幕を閉じた。
人生は何が起こるかわからない。
まさか、あんな形で第二幕が始まるとは夢にも思わなかった。
高校卒業後、大学受験に失敗した私は、東京の予備校に通う浪人生だった。
予備校で仲のいい女友達もできて、それなりに楽しく過ごしていた。
初夏、その日は慶応大学三田キャンパスで模擬試験があった。
一日がかりの模試を受け、友達とおしゃべりしながら校舎を出たその時、私の目は前方を行く一人の男子に釘付けになった。
まさか、まさか、まさか!
一緒にいた友達を放置して、私はその男子に駆け寄って声をかけた。
「K君?」
振り向いた彼は、紛れもなく青いエアメールの彼だった。相変わらず背が高い。中学時代より大人になった姿を見た途端、頭の中は脳内麻薬ドーパミンの大洪水となった。
白馬に乗った王子様との再会だ! 運命の人だ!
彼も即座に私のことを思い出してくれた。
「驚いた、4年ぶりだね」
「K君も浪人してるのね。同じ予備校だったんだ」
「来年は、一緒に大学生になれるように頑張ろう」
駅へ向かって歩きながら、4年ぶりとは思えないほど話が弾んだ。
浪人したのはこの運命の再会のためだった、そう思った。
世界の見え方がすっかり変わってしまった。
ただただ嬉しくて幸せで、神様に感謝した。
翌日、浮かれ気分で予備校へ行くと、彼のせいで私に放置された女友達が呆れかえっていた。
「昨日のあれは何? あーって言いながら吸い寄せられるみたいに行っちゃってさ、取り残された私は何なのよって思ったよ」
「ごめんなさい! 運命の人に再開したの」
言われるまで、友達を放置したことさえ忘れていた。頭の中がお花畑で他のことは何も見えなくなっていた。脳内麻薬恐るべし。危うく大切な友達を失う所だった。実際、恋に目がくらんで友情が壊れてしまう例もある。本当は、大事にしなければいけないのは友情の方なのに。それがわかるには、まだ経験が足りなかった。
運命の再会を果たした彼とは連絡先を交換し、志望校合格に向けて励まし合った。
翌春、めでたく大学生になって、互いの学園祭にも行った。コンサートも映画もカラオケもドライブも行った。でも、なぜか恋人にはならなかった。彦星と織姫には、七夕の日しか会えなくても天の川を越えた逢瀬がある。私は彼のことを好きだったはずなのだが、自分が川を渡って彼のいる向こう岸へ行きたいとは思わなかった。私が夢見る王子様はタバコを吸わないはずだった。
そしてついに、自分がリアルな彼ではなく、脳内に作り出した幻影に恋しただけであることを実感する日が訪れた。
大学を卒業して就職してからも、年に一度は食事をしながら近況報告をしていた。
食事の前に彼が冗談めかして言った。
「今夜は、ちょっと困らせることを言うかも知れないよ」
そうして食事の後、なんとなく歩いているうちに人通りの少ない路地にいた。
「ここ、入ろう」
渋谷道玄坂で、白馬に乗った王子様が言うべきセリフではなかった。
「冗談でしょう。もう、脅かさないでよ」
「うん、ゴメン。悪い冗談だったね」
私の拒絶を冗談のオブラートにくるんでその日は終わった。
半年後。
一枚のハガキが届いた。
『結婚しました』
見知らぬ女性とウエディングケーキに入刀する彼の写真。ちょっと待て。
半年前のアレは一体、何だったの?
杏酒のような甘酸っぱい思い出が、ドクダミ茶の苦さに変わった。
かつて、灰色の空を薔薇色に変えた恋の魔法は無残に消え去った。
でも、待って。
私が恋した王子様は、初めからこの世に存在しなかったのかも知れない。思い返せばいつも頭の中の空想で恋を育てていたのだから。
『恋は誤解から、別れは理解から』という金言がある。
私の可愛い生徒たち。
これが恋愛の真実だ。でもがっかりしないでほしい。
真実を全部知っても、人は何度だって恋ができる。手の届かない対象にだって恋ができる。
それは、憧れのスポーツ選手かも知れないし、アニメの主人公かも知れないし、新しく始めた仕事かもしれない。
脳内麻薬は人生を彩るスパイスだ。
あんな恋は二度とできないとその時は思っても、諦めなければまたできるものだ。
何歳になっても、恋はできるよ。
***
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