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桜貝に託した願い


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記事:松浦 純子(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「ねえ知ってる? 桜貝を1000枚集めると願いが叶うんだって」
 
友達に聞いたのか、本で読んだのか、もしくは漫画の中のセリフだったのかも思い出せないのだが、中学生だった私の脳にそのジンクスはインプットされた。
 
桜貝をご存知だろうか?
その名の通り桜の花びらのような、可憐なピンク色の貝のことである。
 
初めて桜貝を拾ったのは、海水浴に出かけた鎌倉の由比ガ浜だった。
シーズン真っ盛りの海は、ぎっしりと人で埋め尽くされ、まさに芋洗いと呼ぶに相応しかった。泳ぎ疲れぼんやりと波打ち際を歩いていた私は、貝殻を拾い手のひらにのせた。少しでも手に力を入れたらぱりんと音を立てて割れてしまいそうなほど薄く繊細な、人差し指の爪より少し大きいピンク色それが桜貝だった。
 
「願いが叶っちゃったりして」と手のひらの上の桜貝を見つめた。
俄然やる気を出した私は、海で泳ぐことをやめて桜貝を探すことにした。
ひたすら下を向いて砂浜の端から端まで、必死になって探したのだが、夏の海水浴場には毎日大勢の人が訪れ、砂浜を踏んでゆく。薄い桜貝は子供の足で踏まれても割れてしまう。見つけた、と思って拾ってみてもどれもみな、原形をとどめていない欠片か、どこかが割れているか欠けているものばかりだった。
 
それでも不思議なことに、あんなに人が行き来している砂の上や波打ち際に、奇跡的に誰の足にも踏まれず、誰にも拾われず、綺麗な形で残っている桜貝もあるのも事実だった。由比ガ浜の濃いグレーの砂の上にピンク色の桜貝があるのを見つけると、そこだけ光っているようにさえ思えた。
とはいえ、浜辺を散々歩き回って探せたのはたったの十数枚ほど。1000枚は気が遠くなる数字だった。
 
拾い集めた桜貝は、太陽の光にかざすとピンク色が透け、貝の表面はつやつやと輝きを放っていた。私はコルクの栓がついた小瓶に桜貝を入れ、勉強の合間に眺めては楽しんだ。「いつか大きな瓶に桜貝がいっぱいになって、願いが叶う日がくるかもしれない」とほんの少しの希望を持ちながら。
しかしながらそのあと数十年の間に渡り、由比ガ浜も桜貝も頭の片隅の、一番遠いところに置かれていた。年を重ねるにつれ、当然のことながら現実社会に生きることで精いっぱいだったのと、「どうせ行くなら白い砂浜に青い海がいいよね」とハワイ、オーストラリア、ニューカレドニアといわゆる綺麗な海を求めて旅していたからだ。そこで拾える貝殻も綺麗だったが、ごつごつとした大振りの貝殻ばかりだった。
 
人生の転機で断捨離や引越しの機会もそれなりにあり、その時々でいろいろな思い出の品も処分してきたが、何故だかこの桜貝が入った小瓶だけは手放せずに、私の人生にひっそりとついてきた。
 
そして何年か前、突然あの桜貝のことを思い出しネット検索してみた。
桜貝は毎年11月から3月あたりにたくさん打ち上げられ、拾うなら冬の海がいいこと、鎌倉の由比ガ浜、紀伊の和歌浦、能登の増穂浦が桜貝の三大名所ということを知った。
場所はさておき、真夏の海水浴シーズンに桜貝を探そうとしていた私は、ずいぶんと無駄な努力をしていたようだった。
 
つい先日ふと思い立った。
「そうだ、由比ガ浜に行って桜貝を探してみよう」と。
 
確かにネットの記事通り、海水浴客のいない穏やかな冬の海には桜貝があちこちに完全な形で落ちていた。最初は靴が濡れないよう波打ち際で、控え目に拾っていたが、私は心を決め、靴と靴下を脱ぎ、ジーンズの裾をたくし上げ、じゃぶじゃぶと膝近くまで海に入り、一心不乱に桜貝を拾った。
冬の海に素足で「ガチな貝殻拾い」をしているのは私だけだったが、足の裏をくすぐる濡れた砂の感触、ふくらはぎに当たる波が懐かしく、ワクワクしながら桜貝を拾い集めた気持ちはあの頃と同じだった。
 
家に帰ってざっくり数を数えてみると何と300枚近くもあった。
この調子であと数回、鎌倉に行って桜貝を拾えばおそらく夢だった1000枚に達するのは間違いないが、山となった桜貝を見ても、「願いが叶うかも!」のあのドキドキはなかった。
 
その昔、コンタクトレンズは非常に高価だった。
何かの拍子にクラスメイトの目からほろりと落ちてしまった時は、先生が「誰も動かないで!」と大声で叫んで必死に探したし、人混みの横浜駅のコンコースでさえも、コンタクトレンズを落として動揺している人の周りに、通りすがりの親切な人達が協力して囲いを作り、名前も知らない見ず知らずの人のために、地面を這いつくばって探し、無事に見つかったら「いやあ、よかったよかった」とみんなでニコニコ笑って解散した。ところがコンタクトレンズも今は使い捨ての時代、そんな光景はもはや昭和の遺産だろう。
 
中学生だった私が必死になって探した桜貝は、昔のコンタクトレンズと似ているなと思った。
真夏の人混みの海水浴場で誰にも踏まれず、拾われずに残っている桜貝の1枚1枚が貴重だからこそ、1000枚集められたら奇跡だったのだ。あれであっさりと集められていたら、こんなにも長い間、桜貝に託した願いを持ち続けることもなかったかもしれない。そう、これでよかったのだ。
 
拾った桜貝は、大きな瓶に入れよう決めた。
コルクの栓がついた瓶を探しに雑貨屋さんに行ってみよう。
中学生だった私の希望は叶ったということになるのだろうか。でも本当の願いはそれではなかったはずだけれど。
 
人生の道すがら、桜貝が入った小瓶はずっと携えてきたのに、大切なことを私はどこかに置いてきてしまったようだ。
 
「あのとき、桜貝を1000枚集めて叶えたい私の願いって何だったんだっけ?」
 
 
 
 
***
 
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2021-02-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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