カネなし、コネなし、スキルなし。それでも望んだ仕事にありついた話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:清水 千尋(ライティング・ゼミ集中コース)
「あいつはなにしよんのか! 大学はどげえしたんか? 学校行かんのやったらなし働かんのか!」
お風呂にのんびり浸かっていたら、家中に父の怒声が響いた。相手は母で、あいつとは私のことだ。
高校を卒業して私はフリーターになった。父にとって働くとはどこかの会社の正社員になること。父は中学を卒業して、すぐに就職。同じ会社で四十年数年勤め上げた人だ。そんな人からすると、新聞配達と運送会社の仕分け作業を掛け持ちするフリーターが理解できないのだ。しかし私には直接言えず、不満と不安を募らせ、ついに母と話していて爆発。
私は慌てて風呂から飛び出した。
「私のことなら私に言えばいいじゃん」
「お前、なし働かんのか?」
「働いてるやん。新聞と仕分けのバイト」
「そんなんつまるか! さっさと仕事探せ! 働かんのやったら家から出て行け!」
のんきな実家暮らしの危機である。
私は気づいていなかったが、当時は就職難。就活という言葉はなかったけど、たとえ就活してみても、学のない私がそれらしい会社に入るのは難しかったはずだ。
思えば高校二年の秋。周りが「進路、進路」としきりに口にするようになっても、私は今ひとつピンときてなかった。完全に他人事だった。大学に行く学力もお金もない。父のようにモーレツに働くなんてこともイメージできなかった。あてもなく高校を卒業してしまった。
フリーターは父が許してくれない。たしかに心許ない働き方のような気はしていた。しかし今からどこの会社にどうやって就職したらいいのやら。今さら母校の進路指導の先生には頼れない。
うっかり人生の迷子になってしまっていた。
あるとき求人誌を眺めていてある募集記事を見つけた。
DTPデザイナー募集?
「実務経験ないよね?」
面接で私の履歴書を見て、社長兼アートディレクターが言う。この業界、即戦力が必要らしい。
しかしこのときの私はDTP(デスクトップパブリッシング。パソコンでチラシや雑誌の紙面デザインをすること)デザインについていろいろ調べていて、これを仕事にしたいと思うようになっていた。なんとか業界に潜り込みたかった。
「たまに見学に来てもいいですか?」
私にしては大胆な発言。他に業界の人を知らない。この人が業界と私をつなぐ、細い唯一の糸のように感じたのだ。手を離したくなかった。
「そんなに興味あるんだ。いいよ」
お言葉に甘えて、私は足しげく事務所に通った。そのうちパソコンが空いているときは使わせてくれるようになって、ソフトの使い方を覚えた。すると今度は簡単な、でもちょっとめんどくさい下処理的な作業を任せてもらえるようになった。文字起こしや、データの整理。自分でやらせてくれと頼んだものだからバイト代は出ないが、それでも嬉しかった。
事務所に通いながら、バイトを変えた。DTPに関係がありそうな仕事にしたかった。
写真屋さんで働いたのは正解だった。写真のプロに色調整を教わったから、事務所の方でちょっとお手伝いしたらそれ以来、色調整はほとんど任せてもらえるようになった。
もう一つのやったのが古書店のバイト。雑誌コーナーの担当を希望して、商品の状態を確認する作業をしつつ、色々な誌面レイアウトを見て覚えた。
そうして私は自分で撮った写真を使って、サンプルのチラシをデザインし、社長に添削してもらえるまでになった。
「知り合いが、風俗誌つくる事務所やっててさ、バイト探してるんだけど、やる?」
「やります!」
「女の子に、風俗誌の紹介ってどうよって思ったけど、即答だね」
「DTPには変わりないですから」
紹介されたのはデリバリーヘルス(電話一本で女性をホテルや自宅にお連れする性風俗サービス)の専門誌をつくる小さな会社だった。扱うのは女の子たちの大胆なポーズの写真と、どういったプレイが得意かといった文字情報。お店のテイストを大事にしながら、お客さんたちが電話したくなる誌面をつくるのが私の仕事。
作戦開始。
この会社に入ったことで私の「業界潜り込み作戦」が終わったのではない。ここからが始まり。火蓋を切ったのだ。
風俗誌を二年やって退職した。風俗誌が嫌とかではなく作戦の一環。
会社ごとに主に手がけるデザインの分野がある。だからいろいろな会社を渡り歩いて、そこで学び終わったら次に行く。そうすることでDTPならなんでもおまかせと言えるようになる計画を立てていたのだ。
最終目標はいつか、県内で一番大きな広告代理店のデザイナーになること。専門学校に通うお金もなかったから、これが私なりの戦略だった。
現在は正社員ですら雇用が流動的になったが、当時はバイトですら勤め先を転々とすることはあまりイメージが良くなかった。それに育ててもらってすぐ辞めるのは申し訳なくもあった。しかし雇用形態はアルバイトや期間社員。こちらもドライにいかせてもらうことにした。
風俗誌の次は電気店のチラシをつくる会社に移った。そう、あのテレビや冷蔵庫などが値段やスペックとともにぎっしり載った派手なチラシ。あれをつくることになった。そこでは分刻みのスケジュールで原稿のやり取りが行われ、値段表記一つ間違えれば下手をすると数千万単位の損失につながる恐ろしい現場だった。新聞に挟む日は店の新規オープンや記念イベントの日だから、データ納品の遅れは死んでも許されない。スピードと正確さの勝負。私はいかに速くソフトを操り、正確に作業するかを徹底的に身体に染み込ませた。そして三年の修行ののち辞めた。
そうして順調にスキルを高めていっているうちに、ふと風向きが変わった。
時代は紙媒体からWebへ。
しかし私は慌てなかった。ホームページのつくり方の本を買い、休日に練習していた。必要なスキルは自分で身につけられる。そういう確信が私の中にできていた。
「それぞれの会社さんで先輩たちに教えていただいてきました。専門学校とかは行ってません」
数社目になるある会社での面接。チラシデザインとホームページのサンプルを持ち込んだ。誌面デザインの基礎はWebでも有効だった。
「独学でここまでできるんだ」
面接担当者は私がやってきたことを独学と評した。
「来週から来れる?」
私は正社員になった。あこがれた仕事で正社員。父と仕事のことでぶつかってから十年がたっていた。
今、私がつくるものは多くの人の目に触れる。駅の大型ビジョンに表示されたり、テレビで流れたり。県内で一番大きな広告代理店ではないけど、「業界入り込み作戦」は大成功だ。
***
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