ゴミ屋敷になってしまうきっかけ
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:山下稚佳子(ライティング・ゼミ平日コース)
異動は突然、告げられる。気配は感じていた、なぜなら同じ部署で同じポジションを15年間も続けていたからだ。社内では珍しい状況で、目立つ存在になっていた。それでも、楽観的な私は自分に都合の良い未来を描き無防備でいた。
異動の通達は、心臓が一瞬、止まる。告げる側の統括部長の声はかすかに震えていた。今思うと、私がごねた場合のシミュレーションをいくつか懐に抱いていたのだろう。いや、冷淡な気持ちで、単に淡々と告げたのかもしれない。異動先の新しく設立される部署名、部下は1名と聞いたところで、リストラという言葉が浮かぶ、「辞めろということ?」。説明は続きポジションは昇格するという。よく分からないまま、選択肢はないと言われ、面談は終了する。
15年前、20名程度だった私のチームは事業とともに成長し約100人の組織に拡大した時期もあった。が、ここ数年苦戦していた。そして、私はいつの間にか役職定年直前の年齢になっていた。ゆえ特別扱いはなかった、いや特別な計らいがあった昇格異動だとある人から聞くが、私は受け止められず、突然、闇に突き落とされたようで、心臓の中心が痛み出した。
業務の引継ぎなどできるはすがなかった。今までと変わらない業務を進めていたが、さすがに2週間も過ぎると、動揺もおさまり体裁も考え、メンバーにも迷惑はかけられないと業務の引継ぎを進めた。苦労したのは業務以外の片付けだった。15年間の資料や書籍は膨大な量となり、仕分けと処分に4-5名で数日かかるほどであった。
とうとう15年間いた部署の最終出勤日を迎える。私は、どうしてもできないことに前日から焦っていた。それは机の引き出しの中を片付けられないことだった。4段の引き出しにびっしり入った文具とノートに資料、写真や手紙、お守りなどがどうしても片付けられずにいた。
私は、片付け魔だった。職場の環境は仕事の質に影響するというポリシーで、片付け・掃除はいつも率先してやってきた。忙しい時ほど掃除する、私のやり方だった。しかし、ここ数年、忙しいことにかまけてできていなかった。そして、今回の異動、十分時間はあったにもかかわらず、自分の引き出しの中が片付けられないことにショックを受けていた。
夕刻、室内での送別会は、ありがとうの会ですと開催された。結局、引き出しはまた来週……ということになり、抱えきられないほどの花束とプレゼントを持ち、その日は帰った。
翌週、いつものように「おつかれさま」と私の籍はない部屋に入る。気のせいだろうか、空気が違っていた。「ごめんね、片付けにきました」と元の席に座ったが、机にはいろいろ雑務が積まれており、それを処理していると定時は過ぎていた。「だめだ、やっぱり片付けられない」。呆然とする私に「手伝いましょうか」と部下の一人が声をかけてくれた。「いやぁ、ほとんど私物なんだけど……手伝ってくれると嬉しい」。
その瞬間、ゴミ屋敷が浮かんだ。ゴミ屋敷を一緒に片付けながら、主の人生を聞くというテレビ番組。テレビをいつも冷ややかなまなざしで見ていた私、ゴミ屋敷の主と自分が重なった。部下の「これ、いります?」の問いに、「いる」「いらない」と答えながら、ゴミ屋敷の主の気持ちが、自分の心から湧き出できて私と同化していくようだった。ゴミ屋敷になってしまうきっかっけは、引き出しのような小さな場所から始まったにちがいない。引き出しの私物は、いつの間にか3名となった片付け隊によって、自宅送りの段ボール3個とごみ袋3袋に分けられた。その段ボール3個は、そのまま自宅の寝室に積み上げている。
私が片付けられなくなった原因は、15年間いた部署への執着なのか、単に新しい部署へ行くことへの抵抗なのか。いずれにしても、誰にでも起こりうることで、人によっては心の闇に落ち、そこから抜け出せなくなることがあるのだと実体験により痛感する。実体験がなければ他人の気持ちは分からない、そして、他人のちょっとした一言や優しさで闇から脱出するきっかけをつかめることもある。
サラリー人生約35年、部下に引き出しの私物まで片付けてもらっている自分の姿を想像することはできなかった。さらに、自分の部下のそういう行動を見たなら「異動は仕方のないこと」と冷たく言い放ち、私物ぐらい自分で……と軽蔑していたかもしれない。引き出しが片付けられない程度のことではあるが、テレビ番組の主人公と自分を重ねることで、人の気持ちを理解する経験値がひとつ増えたことで、心臓の中心の痛みは消えていったのだった。
部屋に積み上げられた段ボールはいつ片付くのだろうか。いつでもいい、闇に落ちそうになったなら正直に誰かに声をあげよう、誰かが必ずいるはず。そして、その誰かに私もなるよう新しいアンテナを立て、新しい道へ進むことにした。
***
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