平和を願う11時2分
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:串間ひとみ(ライティング・ゼミ超通信コース)
11時2分ときいて、ピンとくる方は、どれくらいいらっしゃるだろうか?
これに1945年(昭和20年)8月9日が加われば、推測できる方はぐっと増えるだろう。そう、長崎市に原子爆弾が投下された日と時間だ。
大学生だった頃、英語の話せない私に、奇跡的にアメリカ人の友人ができた。初めて会ったとき、彼はアメリカの大学で社会学部に所属する大学生であり、将来の夢がFBIになることだと言っていた。
その彼が日本語の勉強のため、近くの大学に留学してきた。彼はとても勉強熱心で、日本語だけではなく、日本の文化、風習、日本の歴史、ありとあらゆるものを体感し、吸収しているようだった。その結果、短期間のうちに日本語はもちろん、食事中の箸の持ち方、日本独特の礼儀作法に至るまで、そこらの日本人よりも上手くできるのではないかと思うほど、目覚ましい成長を遂げた。彼が友人と英語で話すのを聞いたとき、
「英語上手だね」
と、思わず言ってしまい 、
「母国語ですから」
と、笑われた。
そんな彼の兄が、日本に遊びに来るので、一緒に旅行をしようという話になり、私がプランをたてることとなった。学生の身分である私たちにとって、東京や大阪といった遠いところは経済的に現実的でないため、九州内で私のなじみのある福岡、熊本、宮崎あたりで考えていた。ところが、私に旅の行程を一任した彼が、唯一リクエストしたのが、長崎の原爆資料館だった。
中学校の修学旅行で1度だけ行った原爆資料館。彼がリクエストしなかったら、絶対に候補に入れなかったと思う。なぜなら、私は小さい頃に見た「はだしのゲン」の映画が衝撃過ぎて、それ以来戦争映画を見るのが恐くてたまらなかったのだ。それなのに、修学旅行中の原爆資料館で見聞きしたすべてのものが、アニメという画面の向こうのものではなく、現実に起こった出来事として、よりリアルにその恐ろしさを私に実感させたからだ。原爆資料館見学の後、修学旅行のアゲアゲなテンションなどどこへやら。それはクラスメイトも同じだったらしく、次の目的地へ移動中のバスの車内は、驚くほど静かだったことを覚えている。とてもあの場所にもう1度行ける気がしなかった。ましてあの惨劇を、自分たちと同じアメリカ人が引き起こしたのだということを目の当たりにして、ふだんからとても優しい彼は傷つくだろうし、耐えられないのではないか? もちろん歴史上変えることのできない事実だったとしても、せっかくお兄さんが来てくれる最初の日本観光で、そのハードルは高過ぎるのではないか? そう思ったからだ。私が渋っているにもかかわらず、
「絶対入れて! 他はひとみちゃんが好きなところに決めていいから」
と、ニコニコしている彼の押しに負け、旅行の行程に入れたものの、全く気乗りがしなかった。
そして私の気持ちが少しも晴れないまま、お兄さんは来日し、旅行が始まった。1日目は熊本。熊本城や水前寺公園などの、いかにも日本的な観光地を巡り、お寿司などの日本料理を食べ、無難に終了。そして長崎へ。高速バスで移動しながら、気が重かった。初めて来た日本を楽しんでくれているお兄さんは、原爆資料館でどんな気持ちになるのだろう? せめて私がもう少しでも英会話ができるのであれば、お兄さんの気持ちを聞いたうえで案内できるのにと、自分の英語力のなさを呪いたい気持ちだった。平和記念公園、原爆資料館に到着したとき、私の憂鬱は最高潮に達していた。それを必死に表に出ないようにしながら、楽しそうに会話をする兄弟の少し前を歩き、チケットを買った。
原爆資料館の中は、ひんやりとしていて、そして暗い。行ったことがない方でも想像できると思うが、当然、原子爆弾による被爆の惨状、原爆が投下されるに至った経過、核兵器開発の歴史などが紹介されている。英語での案内もあるので、私が説明をしなくていいのはありがたかった。とても説明などできる気がしない。爆風で変形した生活用品や、時間が止まった時計、人の影だけが残った壁などの実物は、説明などなくても、原爆の恐ろしさが伝わってくる。映像として流されていた被爆者の体験談などは、胸を傷めずには見ることができない。ふと我に返ったとき、
「あれ? いない」
自分自身が、原爆の恐ろしさと、被爆者の思いを受け止めるのに必死過ぎて、2人のことをすっかり置き去りにしてしまっていた。
慌てて戻ると、私よりもずっと後ろにいて、兄弟がそれぞれに、食い入るように資料や展示品を見ていた。1つ1つ丁寧に、おそらく説明文もすべて読んでいたのではないだろうか。
私は声をかけることなく、出口で待つことにした。予想通り、随分と時間がたって2人は出てきた。彼らの何とも言えない表情に対して、かける言葉が見つからず、
「平和記念公園に行こう」
そう言って、ゆっくりめに前を歩いた。平和記念公園でも、そこにあるモニュメントや説明を、資料館の中のように、1つ1つ丁寧に見て回ったので、ほぼ1日がかりだった。
その後、一旦ホテルに戻って食事を済ませ、日本三大夜景とも言われている稲佐山に夜景を見に行った。到着するまで、兄弟とほぼ会話をしなかった。いや、できなかった言った方が正しかったと思う。
「1000万ドルの夜景」と称さるその夜景を見ながら、最初に口を開いたのは彼だった。
「アメイジング! きれいだね」
彼の言葉に「そうだね」と、私がうなずく間もなく
「原爆で焼け野原になった街を、長崎の人たちはここまで立て直したんだよね。すごいよ」
稲佐山からの夜景を見る兄弟の表情が、原爆資料館を後にしたときよりもずっと明るくなっていて、ほっとした。稲佐山からの長崎市内の美しい夜景は、原爆でなくなってしまったものを、残された人たちが苦しい中、1から作りあげた努力の夜景なのだと思うと、その輝きは見えている以上に価値のあるものなのだと感じられた。たぶん兄弟もそんな気持ちだったのではないだろうか。
そして旅は終わり、程なくしてお兄さんは帰国した。私はとても気になっていたことを、彼に聞いてみた。
「お兄さん、いやあなたもだけど、原爆資料館どうだった? そもそもアメリカで原爆のことって、歴史の授業とかで教えられたりするの?」
「習いはしたけど、学校によっても違うと思う。もちろん日本ほど詳しくはやっていないよ。アメリカにとっての原爆投下は、『米兵の犠牲を増やさないよう、できるだけ早く戦争を終わらせるために必要だった』というのが一般的かな」
そうなんだ。立場が変わればそういうことになるのか。
彼の返答を咀嚼していると
「だけど……」
少し間をおいて、再び彼が話し始めた。
「アメリカにいるときには、原爆投下の正当性に違和感がありつつも、そうなのかもという気持ちもあった。だけど原爆資料館に行ったとき、落とされた側の人にも、家族や友人がいて、落とした側の自分たちアメリカ人と変わらない日常を過ごしていたんだということをつきつけられた。どんな理由があったとしても、原爆投下が必要だったという意見には、やっぱり賛成できない。アメリカ人みんなに原爆資料館を見てもらいたい。そして考えて欲しいなって思ったよ」
「お兄さんは?」
「詳しく話したわけではないけど、たぶん同じ。行ってよかったって言ってたし」
よかった。史実でしかなかったことが、現実のものであると深く認識されることで、日本を好きだと言ってくれる彼らが、負の感情でいっぱいになり苦しむのではないかと心配していた。直接触れたことで、悲しかったり、申し訳なかったり、憤りだったり、実際にはきっといろいろな感情を味わったことだろう。立場の違う私は、彼らの感じた本当の気持ちを理解はできないだろうから、それ以上深くは聞かなかったけれど、彼らなりに、事実を受け止め、咀嚼し、悲しい出来事として終わらせるのではなく、これから先のよりよい未来につなげるための意味づけができてくれていればいいなと思った。
よっぽど原爆に興味がわいたのか、留学を終えてアメリカの大学に戻ると、彼はそれまでの社会学部から、日本の文化を学ぶような学部に変更した。
その彼が始めたこと、それが毎日11時2分に自分が何をしているかを記録するということだった。日によって、授業を受けていたり、ちょっと早いお昼ご飯を食べていたり、アルバイトしていたり、家族のことを考えていたり、友人と話していたり、もちろんその内容は様々で、その記録を1年以上も続けていた。
「1日のたった一瞬の時間でも、注目してみると、本当に様々なことをやっているんだと思ったよ。そして、その一瞬一瞬の積み重ねで、僕たちの人生ができているんだって実感した。だから大事にしないといけないとも思ったよ」
と、言っていた。本当にその通りだ。
原爆が落ちたとき、そこには人それぞれの生活があったはずだ。それが一瞬にして消えてしまった。大切な人生が一瞬にして終わる。一瞬で人生は変わるのだ。彼の記録で、私もそこのことを実感させられた。
彼は原爆資料館に行ったときに、医学博士で、随筆家でもある永井隆という作家の『この子を残して』という本を購入していた。その本がきっかけで、長崎と広島の被爆者それぞれの、原爆投下に対するとらえ方の違いなどをテーマとして論文を書き、大学院に進んだ。数年後長崎大学にも留学し、記録映画『二重被爆』の英語版字幕を担当して知り合った被爆者の方と1ヶ月ほど一緒に暮らして、その方の原爆歌集の英訳版を自費出版したりもした。そのような勉強を続け、今はアメリカで大学の先生をしている。
長崎大学で彼が勉強していたころに書いた原稿に、こんなことが書かれていた。
「長崎の原爆投下を研究して、幸福なことは1つもありません。悲しくなりすぎて泣いてしまうこともあります。けれど、研究を続けることで、私も世界平和を実現させるために、努めていきたいと思うようになりました。その世界平和を実現させるために、長崎と広島の原爆投下の事実と被爆体験を、どんなに精神的に大変で伝え難くても、平和が最も大事なものだと分かっている私には、あの悲劇の事実を伝えるのは使命であります。これも長崎で学んだことです」
彼は、大学での講義を通して、アメリカの学生たちに原爆の恐ろしさを伝え、そして平和の尊さについて語っているのだろう。気の進まなかった原爆資料館への旅は、図らずとも世界平和に貢献しているのだと思えば、改めて行ってよかったと思う。 それと同時に、立場が違っても、きちんと向き合うことで、同じ出来事を通して学び、世界平和について考えることができるのだということを知った。個人の平和でありたいと願う気持ちは、人種や文化、習慣の違いよりも大きな要因になるのだ。
8月9日、長崎県内の学校では『平和学習』という名の登校日がある。原爆という広島、長崎が味わった悲惨な出来事について考え、その悲劇が二度と起こらないように後世に伝えていくため、各学校いろいろな工夫をされている。私が教員をしていた頃に一番効果的だと思っていたのは、直接被爆者のお話を聞くことだ。しかし被爆者の高齢化がすすみ、それも難しくなってきている。そのため、被爆体験を話されている映像などを活用することになるのだが、映像であっても、その話のリアルさに引き込まれ、息を飲み、悲しい表情や涙を浮かべる生徒は少なくない。毎年のことなので、私も何度も見聞きしてきたはずなのに慣れることはなく、むしろ年々、よりしっかりとその悲しみが入ってきているようにさえ感じていた。体験していない私ですらそうなのだから、実際に体験した被爆者の方々にとっては、その光景や体験は決して色あせることはないだろう。
そして今年、2021年8月9日の平和式典での田上市長の長崎平和宣言の中に、こんな文章があった。
「広島が『最初の被爆地』という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が『最後の被爆地』として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人ひとりが持ち続けるべき希望なのです」
被爆者の方々が、自分の体験をお話しされるのは、本当に辛いと思う。それでも、自分たちが味わった苦しみを、子孫に味わって欲しくないという思いで、お話をしてくださっているからこそ、生徒達にも深く伝わるのだ。これから先を生きる私たちが、長崎を最後の被爆地にできるかどうかの鍵を握っている。
学生の頃は、戦争を直視することが恐かった。けれど、目をそむけたくなるような苦しいこと、悲しいことを知ることで、今自分がどれだけ、恵まれているのか、幸せな境遇にあるのかを知ることもできると今は分かる。私にとって、『平和学習』の中で行われる11時2分の黙とうの時間は、祈りを捧げる時間でもあり、自分が平和の中で生きていられることに感謝する時間でもあった。
長崎への原爆投下から今年で76年。今でも紛争が続いている地域があり、本当の意味での世界平和はまだ遠いのかもしれない。けれど、アメリカで育った彼でも、日本の平和について考えてくれる時間があり、私たちも違う国の平和に思いを馳せる時間がきっとある。世界中の人たちが、そんな時間を1日の中でほんの一瞬でも持ってくれれば、少しずつでも、世界平和に近づくのではないかと思う。
今年も8月9日11時2分、平和への願いと感謝を込めて、黙とうをした。
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