サングラスをかけていたことに気付いた話
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:西片 あさひ(天狼院ライティング・ゼミ超通信コース)
「え、ここは本当に私の地元なの?」
目を疑った。
全く知らなかったのだ。こんな場所があるなんて。
まさか思わなかったのだ。こんな気持ちになるなんて。
私は動揺しながら、昔のことを振り返っていた。
東北地方南側にある田舎町に生まれた私。
高校卒業まで約18年過ごした。
人口2万人くらい。町の端から端までは車で30分もあればいけてしまうとても小さな町だ。
町の中央には大きな川が流れる。
鉄道駅があり、春には川沿いの桜並木見に、外から多くの観光客が訪れるそんな町。
はたから見たら、興味がある、行ってみたい、そんな人もいるかもしれない。
しかし、私の気持ちは違っていた。
一日でも早く、この町を出たい、そんな気持ちで一杯だったのだ。
一言で言えば、住んでいる街の事が嫌いだったのだ。
両親とも町のことを好きじゃなかったことが大きな原因ではないかと思う。
「この町は人が良くない」
「前に住んでいた町は住んでいる人たちがみんなすがすがしくて良かった」
私が物心ついたときから、母親がよく言っていた台詞だ。
詳しくは知らないが、きっと母親に取って嫌な経験をしたのだろう。
個人的には、そんな母親に同情しないことはない。
しかし、それが親の口から子どもに向かって発せられていたことを考えると、話は変わってくる。
知っていることも、行動範囲も限られる年齢が小さい子どもにとって、親の言動は非常に重要になる。
小さい子どもにとって親が世界の全てであり、人生のコンパスなのだ。
言ってみれば、心身ともよりどころになる親の発言を鵜呑みしないはずはなかった。
今振り返ると、客観的ではない、とても主観的で一方的なそんな発言を鵜呑みにしてしまったのだ。無条件に信じてしまったのだ。
我ながら、なんて無邪気で思慮の浅い子どもだったことか。
その後、幼稚園、小学校、そして中学校と年齢が上がっていった。
私はいわゆる反抗期に突入した。
小さい頃と違って、親の言うことを鵜呑みをしなくなった。
むしろ、親の言動にいちいち楯突いて、衝突することもしばしば。
しかし、地元の町の事だけはそのまま好きになれなかった。
中学生活が窮屈で仕方なかったのだ。
学校の雰囲気が好きになれなかったのだ。
かといって、別に中学校にいた全員を嫌っていたわけではない。
今でもお盆や年末年始には会う友人達もいる。
しかし、居心地が悪くてしょうがなかったのだ。
当時通っていた中学校は、1学年でクラスが7つあるといういわゆるマンモス校。
その学校で幅を利かせていたのが、いわゆるヤンキーと言われるような生徒達。
徒党を組んで、誰彼かまわず生徒に因縁をつける。
かと思えば、仲間同士で昇降口の靴箱をなぎ倒して喧嘩。
ヤンキー達と親しいか否かで、スクールカーストの順位が決まる。
中学校で快適に過ごすには、いかにヤンキーの人達と仲良く出来るかにかかっていた。
当時の私は、自己主張が弱く、ヤンキー達とも特に良くない、まさに草原に放り出された小動物。
ライオンにいつ食べれてしまうのか、ヤンキー達に因縁をつけられないか、不安を感じながら毎日を過ごしていた。
どうして、自分がこんな思いをしないといけないのか、自分が一体何をしたいうのか、そんな気持ちを抱いていたのを今でもよく覚えている。
中学時代は、ずっとこんなことを思っている日常だった。
実際、私自身、中学校の敷地内、町内のスーパーマーケット、駅前のコンビニ、色々な場所で因縁をつけられた。
その度にどうにか切り抜けたが、これで地元のことを好きになれる方が不思議だ。
地元へのマイナス感情が、むくむくと積乱雲のように育っていくのが分かった。
「こんな場所、もうごめんだ」
「早く、地元から離れたい」
当時、そんなことを思っていたことが今でも忘れられない。
その後、中学校を卒業、私立の高校に進学。
その高校では、学校の方針で部活の入部も禁止。
高校は、地元の駅から電車で片道一時間くらいの場所にあり、通学中も家に帰ってからも食事と風呂の時間以外は勉強の時間に充てた。
文字通り、勉強漬けの日々だったが、そこまで苦にならなかった。
ここで頑張れば、地元から出られる。未来が開ける。
直感的にそう感じたのだ。
そんな気持ちが通じたのか、無事に大学受験に合格。
希望の大学に合格することが出来た。
勉強漬けの日々から解放されたことはとても嬉しかった。
しかし、何よりも嬉しかったのは、地元から離れられることになったことだった。
ずっと小さいころから抱いていた願いが、ついに叶ったのだ。
ヤンキー達からやっと解放される。
ビクビク過ごさなくていいんだ。
つまらない街とおさらばできる。
心の中は、解放感に満ちあふれていた。
これから、楽しい人生が始まるんだ。
そんなことばかり考えていた。
進学したのは、東京の郊外にある大学。
学部は一学部ながら、文系、理系、芸術系と色々な学科が揃っていて総合大学のようだった。
そのことも反映してか、通っている人達も様々なタイプがいた。
サークル活動にいそしむ人、アルバイトに明け暮れる人、授業では必ず最前席に座るような勉強に一生懸命取り組む人、多種多様だった。
しかし、その人達に共通していることがあった。
それは、他人にちょっかいを出す人、喧嘩を売ってくる人は誰もいなかったということだ。
誰彼かまわず因縁をつけてくるような、ヤンキーの影を全く感じることはなくなった。
大学進学が決まった時に感じた開放感は嘘じゃなかった。
その後、在学生向けのイベントを開催したり、学内向けの雑誌を作成する
サークルに入部。
メンバー達とサークル活動にいそしんだり、旅行に行ったり、とにかく大学生活を堪能した。
学校ってこんなに楽しかったんだ。
高校までの大変な日々も無駄じゃなかった。
大学生活はバラ色の日々だった。
大学生活も3年目に入り、就職活動の季節がやっていた。
サークル内でも、就職先についての話題が増えてきた。
「西片は、大学卒業したら、地元に帰るの?」
当時、同期の友人からよくそんなことを聞かれたものだ。
実際、同期のサークルメンバーのうち、東京以外の地方出身者は半分以上を占めていた。
その中で、彼ら、彼女らの大多数が地元に帰ることを選択していた。
それ以外を選択した友人も地元に帰るかどうか、悩んでいる人がほとんどだった。
友人が地元に帰ることには全く異論はない。
むしろ、地元のことをずっと好きでいるなんて素晴らしいとさえ思った。
しかし、私にはその選択肢は一切なかった。
大学に入学した時から、既に答えは決まっていたのだ。
地元に帰るという考えはみじんもなかった。
せっかく、大学に入学して地元の窮屈な日々から、つまらない日々から解放されたのに、なぜまたわざわざ帰らないといけないのか。
結局、就職先は東京でも地元でもない地域にある企業に就職。
サークルメンバーとの旅行で訪れたのが、その地域を選んだきっかけだった。
友人からは「地元に帰らなくていいのか?」と言われ、
親からは、「東京なら分かるが、なぜその地域を選んだんだ?」
と聞かれ、私の選択をとても不思議がっていた。
しかし、私に迷いはなかった。
選んだきっかけは、サークルメンバーとの旅行で、その地域を訪れたこと。
宿泊した旅館の従業員、地元のバス会社の運転手にとても親切にしてもらったのだ。
外からの人をこんなに暖かく迎えてくれるなんて。
この地域に住んでみたい。
そんな気持ちが湧いてきたのだ。
その地域を選んだことに私自身、何の違和感も湧かなかった。
社会人になるということは、大学生までとは大きく異なる。
選んだ企業、そして地域にずっと住み続けることだって考えられる。
だから、大学選び以上に、何をしたいのか、どこに住みたいのかを自分自身と向き合って考えていく必要がある。
私の場合、自分自身との議論の結果、ある地域を選んだ。
それが自分の地元の街でも、東京でもなかった。
それだけの話だ。
むしろ、故郷だから、生まれ育った場所だからという理由だけで就職先として選ぶ方が不思議に感じてならなかった。
もっとみんな自由になっていいのにな。
そんなことを思ったのを今でもよく覚えている。
そして、大学を卒業し、社会人として新たな地域に移住した。
その地域には、それまで一度も住んだことがなければ、親戚もいないので、旅行以外で訪れたことがない。
言わば、私にとってまさに未開の地。
不安がなかったわけではない。
しかし、それ以上にあったのはその地域への期待感。
一体、どんな人に会えるのかな。
どんな場所があるのかな。
どんな食べ物があるのかな。
考えるだけで、ワクワクが止まらなかった。
職場の同期達は、私を優しく迎えてくれた。
その地域に伝わる文化や方言、休日の過ごし方、観光地、特産物、名物・・・・・・。
地域に関する色々なことを教えてくれた。
そのおかげもあって、私の社会人生活は順調にスタートを切った。
この地域を選んで、本当に良かった。
そんなことを思ったのを今でもよく覚えている。
この頃は、地元の街のことなんて、もうほとんど関心がなかった。
そんな状況が変わったのは、社会人になって10年を過ぎた頃のことだ。
縁あって、ある女性と交際することになったのだ。
私が勤めている業界の若手交流会で出会った、その地域出身の人だった。
交際するうちに、お互いの出身地に話が及ぶようになり、彼女から地元の街のことを聞かれたのだ。
地元が東北地方の小さな街であること、高校卒業までずっとその街に住んでいたこと、今でもその街のことが嫌いなことを包み隠さず話した。
しばらく、黙って来ていた彼女。すると、こんな提案をされた。
「なるほど、そうなんだね」
「せっかくだから、今度一緒に西片くんの地元に遊びに行かない?」
いくら私に好意を持ってくれているとはいえ、嫌いと言っている地元の街になぜ興味を持ってくれたのか。
不思議でならなかった。
しかし、他ならぬ彼女の提案。
渋々ながら乗ることにしたのだ。
いよいよ当日。
今住んでいる地域から、高速道路を使って車で約4時間。
ようやく地元の街に着いた。
彼女には悪いが、その時私は憂鬱だった。
一体、この街に来て何になるのか。
彼女もつまらないだけなんじゃないか。
そんな気持ちが覆されるとは、この時は思いも寄らなかった。
「ちょっと行ってみたいお店があるんだよね」
聞くと、今回の旅行前に行きたいお店をピックアップしていたとのこと。
彼女の行動力には驚くばかりだ。
そのまま案内されるがまま、着いたのは一軒のカフェ。
外観は古い建物だが、なんでも中はリノベーションしているらしい。
恐る恐る、中に入ってみる。
すると、異空間が広がっていた。
青を貴重にした壁、飴色をしたカウンター、オレンジの光を放ったアンティークの照明。
とてもおしゃれな空間だった。
メニューは、見た目も味もおいしそうなものばかり。
その中から、私は生パスタを選んだが、それがまた絶品だった。
店のマスターもとても気さくな人。
とても楽しい時間を過ごせた。
「ここは本当に私の地元なの?」
思わず声を上げてしまった。
地元にこんなお店があるなんて知らなかった。
自分が地元の街に対して、こんなにプラスの気持ちになるなんて知らなかった。
そう思うと、街の景色もなんだか愛おしくなってくるではないか。
そんな私の姿を見た彼女が一言。
「価値観って、時が経つと変わるよね」
ハッとした。
今まで地元の街と言えば、つまらない場所。
そしてヤンキー達からもたくさん嫌がらせを受けた。
だから、嫌いになったのだ。その経験も、気持ちにも嘘はない。
しかし、大学進学を機に地元を離れ、10年以上。
色々な人と関わって、色々な経験をして私の価値観が変わったのだ。
きっと、地元の街にずっといたら気付かなかったであろう。
自分の周りや経験だけで、地元の街のことを勝手に決めつけていたのだ。
私はずっと、サングラスをかけて地元の街を見ていたのだ。
色々な人と関わって、色々な経験をして、固定観念というサングラスを外すことができたのだ。
それからというもの、地元の街のことに興味を持つようになった。
風景、飲食店、神社、名物。上げるとキリがない。
どんな楽しいものを見つけられるかな。
そんなことを考えると、ワクワクが止まらない。
***
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