週刊READING LIFE vol.145

奴は言葉にせずとも、確かにそう言っていた《週刊READING LIFE Vol.145 きっと、また会える》


2021/11/01/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
「よう! 御無沙汰。先に行っているから、また会おうな。きっと、会えるよな?」
目の前のタカシは、そう言っている様に思えた。
少なくとも私には、確かにそう聞こえていた。
何故なら、タカシが、
「また会えるよな?」
と、私に尋ねたのは、これで三度目だったからだ。
 
 
タカシと私は、中・高一貫の男子校に通っていた同級生だった。多感な時期に6年間も同じ学校に通っていると、同じクラスに為らなくても妙にウマが合う友人が出来たりするものだ。
タカシと私は、その典型だった。名字のアイウエオ順で、互いに後半だったことも有り常に席が近かったが、同じクラスに為ったのは中学二年と高校の二・三年の時だけだった。
しかも、タカシは理系で私は文系と進路が違っていたので、高校三年時はホームルームが同じだっただけで、教室は全く別だった。それでも何故か、タカシと私は、休み時間ともなるとよく話をしていた。
多分、互いの違いが解かっていたので、補えあえる存在だったのだろう。
高校二年の試験前など、私は社会科が苦手なタカシの為に、教科書の要点にマーカーを引いたり、私のノートを見せたりしていた。
反対に、化学がからっきし理解出来ていなかった私に対し、
「山田! このままじゃ、落第だぞ!!」
と、叱咤激励してくれ、放課後の図書館で、テスト対策まで手伝ってくれたものだ。
 
二人は、性格の違いからか、部活も正反対だった。タカシは硬式テニス部、私はラグビー部だった。
ただ、戦績は大きく違い、草ラグビーに毛の生えた程度の私に反し、タカシは団体戦のダブルス選手として、関東大会で準優勝する程だった。
 
高校卒業後は、全く別の進路だったので、タカシと私は滅多に顔を合わせることは無かった。だいたい、大学をモラトリアムと考え、進級が楽な商学部に進んだ私は、毎日遊び惚けていた。
一方、建築関係に進みたいと理工学部建築学科に進学したタカシは、毎日夜遅く迄学校で勉強していたからだ。
それでも時折、タカシから掛かってくる電話は、常に長電話と為った。携帯電話が無い時代、よくそこまで話すことが有ったなぁと、今と為っては感心してしまう程だ。
 
大学2年の夏休み最終盤、大学が始まると時間が取れないというタカシと、久々に新宿で待ち合わせた。
現れたタカシは、何と可愛い女性を連れていた。
「ハイ、こないだ軽井沢に行ったから、その土産」
と、タカシは少々照れながら土産が入った袋を私に突き出した。
「そうじゃなくて、先ずは紹介だろうが」
私は、本題に切り込んだ。
タカシとその女性は、未だ知り合ったばかりだった。出逢いは、テニスをしに向かった軽井沢の道中だったそうだ。タイヤがパンクし、往生していたカノジョと友人を、タカシと大学のテニスサークルの友人が助けたそうだ。関越自動車道が開通しておらず、しかも、昔のタイヤはよくパンクしたことから、珍しくもない光景だったことだろう。
いかにも、体のいいナンパの様だが、タカシ達はタイヤ交換を済ますと、連絡先も告げずにその場を立ち去ったそうだ。
 
ところがだ、紳士的な行動をしていると、運の神様も味方するようだ。
翌日、タカシ達が予約していたテニスコートに出てみると、何と、前日タイヤ交換をして助けた二人の女性が、隣のコートを借りていたのだ。
タカシは可愛い女性と、また、会うことが出来たのだ。
それだけ衝撃的なことがあった年頃の男女が、打ち解けるのに時間は不要だった。
別々に軽井沢を訪れた、男性二名・女性二名は、帰りはそれぞれカップルとなって帰京した。
絵に描いた様なベタな話で、私は少々シラケていた。
後日の電話でタカシは、
「あんだけ劇的な出逢いだ。多分、あの娘と結婚すると思うよ」
と、確信を持った様に言っていた。
「あぁ、あんな可愛い娘は、滅多に居ないよ。大事にしろよ」
と、私は羨ましさを押し殺して言っておいた。
 
大学を卒業して直ぐのこと、タカシの宣言通り、二人の結婚式の招待状が届いた。
同い年の友人から来た初めての招待状だったので、私は妙に嬉しかった。タカシは電話で、
「書き忘れたけど、友人代表のスピーチを頼むな」
と、言って来た。
希望通りの大手ゼネコンに入社し、新人ながらに忙しく働くタカシに私は、
「仕事、忙しいんだろ? 無理すんなよ。特に精神的にな」
とだけ言っておいた。
 
タカシの結婚式迄、後一週間と迫っていた金曜日の深夜、私の電話が鳴った。タカシからだ。
「ちょっと相談したいんだけど……」
タカシはそう言ったきり口ごもった。事の深刻さを感じた私は、
「未だ、起きてるだろ? これから行くよ」
と、私は告げた。タカシは、
「悪いなぁ」
と、言いながら電話を切った。
私は、タカシの自宅に車を飛ばした。タカシは、自分の部屋でしょんぼりとした表情で私を待っていた。
「実はさぁ、カノジョの母親が急に『養子に為れないのなら、一人娘を嫁に出す訳にはいかない』と言い出したんだ」
「何だよそれ? この期に及んでかよ。第一、そんな話は前から出そうなもんじゃないか」
私は、抗議する様に発言した。タカシは、
「前から、カノジョの父親は婿養子だったって聞いていたけどさ」
と、まるで他人(ひと)事の様に言った。タカシは、男二人兄弟の兄だった。
タカシは意外にも、
「今、止めても、また会えるよな?」
と、言い出した。私は、
「止めるって結婚式をか? また会えるってカノジョとか?」
と、驚いて尋ね返した。
タカシは静かに頷き返した。未だタカシには、未練が残っている様だ。それはそうだろう。あれ程劇的な出逢いから始まった関係だ。
こんな時は、叱っても説教めいても聞き入れて貰えない。私は極力冷淡に、
「あぁ、そうだな」
と、答えた。ただ、
「多分な」
と、保険を掛けた。
私は、早々にタカシの家を後にした。
 
案の定、それ以降いつまで待っても、タカシから再度の招待状が届くことは無かった。
22歳。私は、友人の中で初めての結婚式が中止と為り、当人同様に残念な気持だった。
 
 
最初の招待状が来てから15年後、タカシから結婚式の招待状が届いた。
バブル期を経たこともあり、互いに仕事が忙しく為ったタカシと私は、頻繁に連絡を取ることは無かった。既に結婚をしていた同級生の間では、
『いつになったら、タカシは年貢を納めるんだ』
『こりゃ、タカシは一生独身かもよ』
と、勝手な憶測が飛び交い始めた頃だった。
しかし、その時の招待状は、年賀状で予告されていたので、私は驚くことは無かった。しかも、タカシと結婚するお相手の女性が、私の近所に御住まいだったことに、私は親近感を覚えていた。
 
親戚の方の紹介で出逢い、タカシがめでたく華燭の典を挙げたのは、品川に在る『関東閣』という歴史ある洋館だった。何でも、初代内閣総理大臣の伊藤博文氏が、別邸として建てたものだそうだ。
タカシの建築学科の恩師や同級生は、結婚式の最中、入館することもままならない歴史ある建物に興味津々だった。
私はというと、こんな歴史ある場所で結婚式を挙げられるなんて、タカシは何者なのだと考えていた。タカシの御親戚の挨拶で知ったことだが、タカシの祖父は大手損保会社の会長職を勤めた方らしい。そうでなければ、こんな立派で歴史ある建物で結婚式を開ける訳が無い。
以前、養子の話が出た時に、タカシが固辞した理由を垣間見た。
私は、妙に納得したものだ。
 
タカシが結婚して5年程経った或る日曜日、私の家のインターフォンが鳴った。
タカシだった。
玄関まで迎えに出るとタカシは、4歳に為ったばかりの息子の手を引いていた。
「実は、カミさんが踊りの稽古に来たので、送りに来たんだ」
そういえばタカシの伴侶は、日本舞踊を嗜むと結婚式で紹介があったことを思い出した。
「それでさぁ、待っている間、息子のキャッチボールの相手をしてくれないか?
俺、先週、テニスをしてて肩を傷めちまったんだ」
と、タカシはバツが悪そうに言ってきた。
私は快諾すると、グローブを取りに一旦部屋に戻った。
 
タカシの息子は、4歳にしては立派にボールを投げることが出来た。想像以上に、ボールを取ることも上手だった。
子供を育てたことが無い私は、手加減せずにタカシの息子に対してボールを投げ込んだ。初めて手加減無しの大人の投球を受けた息子は、余程嬉しかったのだろう。自慢げに、父親の方へ目線を投げていた。
そればかりか、自分も力一杯の投球を私に投げ返してきた。
 
30分程経った頃だろうか、タカシがキャッチボールをする私達に、
「さぁ、そろそろお母さんを迎えに行こう」
と、声を掛けてきた。そして、
「手だけ洗わせてもらいない」
と、息子に声を掛けた。
余程、全力のキャッチボールが楽しかったのだろう。彼の表情は不満気だった。
それを見て取ったタカシは、
「山田さんとは、きっと、また会えるから。また、キャッチボールしてくれるから」
と、息子を説き伏せる様に言い聞かせた。息子は、
「おじさん、約束してくれる?」
と、つぶらな瞳で私を見詰めていた。
「勿論だよ。約束するよ」
と、私は言いながら彼と握手した。4歳児にしては、そして全力でキャッチボールをした後にしては、力強い握手だった。
 
しかし、彼との約束は、その後実現することは無かった。
タカシが転勤続きで、しかも、数々の建築現場を受け持っていたことから、息子を連れて来ることが出来なくなったからだ。
 
 
その後も、タカシと私は、若い頃ほど頻繁ではないものの、年に数回は待ち合わせ取り留めの無い談笑をしたものだった。
6年前の年末、仲間内で開かれた忘年会の席で、時折胸を叩く素振りを見せるタカシが気に為った。
「胸が苦しいのか? 一度病院へ行って来い。御互いにもう若くないのだから」
と、50代半ばを越えた私は、同い年のタカシを気遣った。
「解かってる。このところ、仕事が忙しくてな。年明けには時間が取れそうだから、精密検査に行ってくるよ」
いつになく、タカシは素直に返答してきた。余程具合が悪かったのだろう。
 
年が明けた1月半ばの深夜、タカシから電話が入った。時代は、携帯電話に為っていたので、私の携帯に掛かって来たし、声を聞かずともタカシからの電話だと理解出来ていた。
ところが、スマホから聞こえて来た声は、タカシに似ているものの別人からだった。声の主は十数年前、私と喜んでキャッチボールをしていたタカシの息子だった。既に声変わりし、大人びた声で、
「山田さん。先程、父が亡くなりました。心筋梗塞です。山田さんには、どうしても僕から伝えたくて」
と、声を詰まらせながら知らせてくれた。
感極まってしまった私は、
「何言ってるんだ! 検査に行くって言ってたじゃないか」
と、声を荒らげてしまった。
「はい。その日、病院へ検査に行く予定でした。年明け早々に検査した際、結果が芳しく無かったので、再検査に行く予定の日でした」
「何で、後一日早く行かせなかったんだよ!」
思わず私は、駄々っ子の様な事を言ってしまった。
暫く泣いた後、深呼吸した私は、
「今日はもう遅い。明日に為ったら行くよ。タカシはもう自宅に戻っているのか?」
と、息子に尋ねた。
「はい」
と、短く応える彼に私は、
「お母さんが一番気落ちされているから、君が気を張れよ。お母さんの気遣えよ。それが、タカシの息子としての務めだ」
と、言い聞かせた。
 
 
タカシの自宅は、彼自身が現場監督を務めた湘南の風光明媚な場所に建つ、高級マンションに替わっていた。車で行くのに、少々時間が掛かった。
私は昼前になってやっと、既に物言わなくなったタカシと対面した。
感情が先走り、タカシの伴侶や息子に満足な挨拶も出来ないでした。枕花や香典を手渡すのも忘れていた。
納棺されたタカシの胸には、大好きだったテニスのラケットが抱かれていた。
心筋梗塞という苦しみを伴う死因にしては、タカシの表情は平静に見えた。
そして、その表情は、
「よう! 御無沙汰。先に行っているから、また会おうな。きっと、会えるよな?」
と、話し掛けて来た様に見えた。
私は、涙が止まらなかった。みっともないかもしれないが、嗚咽が止まらなかった。
私に気を遣い、タカシの家族が席を外してくれたので、
「お前の『また会おう』は、会えないばかりじゃないか。でも、今度ばかりは実現するよな」
と、静かに横たわるタカシに向かって言った。そして続けて、
「でもな、そう簡単にそちらには行かないから、覚悟して待ってろよ!」
と、最後の男同士の会話をした。
 
 
3日後の葬儀の日、タカシの息子は私に、
「父の骨を拾ってやって下さい」
と、頼んできた。私は、
「すまないが、思いが募りすぎて、私にはタカシが焼き場に入るのを見ては居れん。納骨法要には必ず列席するから、今日のところは勘弁してくれ」
と、申し出た。
 
そして、
「タカシとは、また会う約束をしたから大丈夫だ」
と、付け加えた。
 
あんなに小さかった息子は、男同士の会話が理解出来る、立派な高校生に成長していた。
 
私は彼に、
「タカシの息子なら、いつだってまた会えるさ。きっとな」
と、告げた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部湘南編集部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41st Season 四連覇達成

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2021-10-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.145

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