ちゃんとした食事は、Uber Eatsでやってきた《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》
2021/11/29/公開
記事:藤井佑香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
“やはり、人間は食べなければだめだ”
こんな一節が、私が大好きな小説、『わたし、定時で帰ります』(朱野帰子 著)にある。仕事に追われ、ゆっくり食事を取る時間も取れなかった主人公の結衣の元へ、行きつけの中華料理屋の店主が会社に差し入れとして出前を持ってくる。美味しそうなチャーシュー麺を目の前にして、力が湧いてきた結衣の心の声がこの一文で表現されている。
「食べる」ということの重要性を描いた作品は多々あるが、その中でも私が好きなのは、
漫画『ハイキュー』だ。『週刊少年ジャンプ』に連載されていた作品で、バレーボールを通して成長していく高校生の話である。作品の中では、練習や試合の描写が殆どを占めるものの、ちゃんとした食事を取ることがいかに普段のパフォーマンスに影響を及ぼすかも随所で説明されている。バレー部の練習後、間食はしても良いが家に帰ったらちゃんとした食事を取ること、試合後の食事は筋線維の回復に役立ち、身体を強くすることにつながること。これらのメッセージは、主人公が所属する高校バレー部のコーチを通して語られる。ちゃんとした食事を取るという、当たり前の様に思えて実は難しいことの大事さを、この作品は読者に伝えてくれているように思う。
では、その「ちゃんとした食事」とは何なのだろうか。栄養バランスの整った食事? ちょっと高めのレストランで食べるご飯? 誰かと楽しんで食べること? 全てが正解だと思う。そして、私はそれに「自分にとって、チューニングの合った食事」も付け加えたいと思う。
チューニングとは、色々な意味があると思うが、音楽系の部活経験者の私にとっては、「楽器の音を合わせる」というのが1番しっくりくる。マンドラという弦楽器(マンドリンと形状は同じだが、サイズが大きめ。音も低い)を弾いていたのだが、練習や演奏前に必ずチューニングを行っていた。弦を1本ずつ弾き、チューナーと呼ばれる音合わせの機械(あるいは器具)を使って、弦の締め具合を変えながら、正しい音とのギャップを埋めてゆく作業である。最初微妙にずれていた音を聞いていると、違和感しかなく不快なのだが、それが少しずつ正しい音に近づき、最後にはドンピシャな音を奏でる。その感覚は、言うなればカメラのピントが合ったような、視界がクリアになったような感じでとてもスッキリするのである。この感覚は、食事にも当てはまるのだと教えてくれたのは、イタリアで食べた味噌カツ丼だった。
私は、昨年秋から1年間イタリアに大学院留学をしていた。初の海外居住経験、ちなみにパンデミック真っ只中ということで、日々発生する様々な不便を乗り越えて生活する必要があった。その中の1つが食事である。何が不便だったかというと、食べたい時に食べたいものを食べる、という当たり前が出来ないことだった。
例えば、卵かけご飯。私が最強だと思っている食べ方は、これに納豆と醤油を混ぜて、韓国のりで巻いて食べるというものだ。ああ、それにとろろ昆布とか、釜揚げしらすとか、ちりめんとか加えても良いかも。日本に居た頃は、常にこれらの材料が冷蔵庫などにストックしてあったし、無ければ家歩いて3分のスーパーに買いに行けば良かった。しかし、海外に住んでいると、そうはいかない。いやいや、流石に卵くらいイタリアにあるだろと思っているそこのあなた。そんな簡単には行かないのです。まず、生卵が安全である保証がない、のである。食べられないわけではないし、実際イタリア料理のカルボナーラやティラミスに使われている卵は火が通っていない。しかし、日本ほど生食を前提に作られていないのは事実なので、十分に消毒されないまま店頭に並んでいる可能性もあるのである。恐らく食べても大丈夫だったとは思うのだが、万が一ハズレを引いてしまった場合、確実にお腹を下す。パンデミック最中の異国の地で体調を崩すことを考えると、この上なく不安になったし、挑戦したとしても、もしかして……とビクビクしながら食べるご飯が美味しいはずがない。そう思って、卵かけご飯を我慢せざるを得なかったのである。一方で、納豆は手に入れることが出来たため、納豆ご飯を食べることは出来た。しかし、日本の様にどこに行っても98円の納豆が手に入る環境では決してない。まず、売っているお店が限られている。特定のアジア系スーパーに行かないと売っていないので、電車とバスを乗り継いで30~40分かけて買いに行く必要があった。そして、高い。しかも、冷凍。イタリアで納豆は生産されていないだろうから当然ではあるのだが、1パックあたり100円もしてしまう納豆は、もはやたまにしか食べられない高級品だった。
牛丼などに使える薄切り肉も、実は入手困難品である。これは、地域性などもあるのかもしれないが、少なくとも私が住んでいる地域のスーパーには売られていなかった。個人経営の精肉店などに行けば手に入るのだが、そもそもイタリア語が出来ない私にとっては最難関のチャレンジだったため、諦めてしまった。スーパーでそれっぽい肉を買ってみても、熱を通すとすぐに固くなり思ったようにはいかない。肉を柔らかくする努力をしてみても、日本で食べるそれとはやっぱり違った。
それでも、現地で調達できるもので、色々な工夫をしながら日本食を作るのは楽しくもあった。特に、私の留学生活の半分くらいはロックダウンだったため、料理は日々の変わり映えのしない家生活に彩りを加えるものだった。欲しいものが手に入らないのなら、あるもので楽しむ。それはそれで楽しかったのだが、日本の味を海外で再現することにおいて、どう足掻いても変えられないことがあった。
水である。
日本の水は軟水と言われ、文字通りやわらかく口当たりが良い。一方でイタリアの水は硬水に分類される。どこか尖ったような、重たい味。カルシウムとマグネシウムの含有量が違うらしい。とにかく日本の水に慣れ親しんだ人からすると、違和感のある口当たりなのである。これで料理をするとどうなるかというと、微妙に味が違ってくる。硬水で作った味噌汁は、やっぱりしっくり来ない。普段私たちが味噌汁を飲んだ時に得られるあの安心感を100%とすると、硬水味噌汁は頑張っても60~70%くらいまでにしかならない気がする。軟水のミネラルウォーターを買って使うという手もあるが、料理用の水を全てそれで代替するのも難しかったため、ある程度は硬水である水道水を使う必要があった。どう頑張っても、日本の味を正確に再現するのは、異国の地ではこの上なく難しいことだったのである。
そんな家ご飯に疲れた時の最終奥義。それは、Uber Eatsである。私が住んでいたミラノには、日本食レストランも多く、寿司屋に至っては、ロックダウン中は閉まっていたものの、普段はAll you can eatと呼ばれる食べ放題が主流で、現地の人にも人気だった。そんなお店からUberするのだ。しかし、ここにも不便は存在した。何かが違うのである。お寿司を頼んでも、基本はサーモンかまぐろが主流で、そもそもの種類が少ない。他のネタもあるにはあるが、追加料金がかかり、色々頼むと総額がとんでもないことになる(以前どうしてもイクラの軍艦巻きが食べたくて追加料金を払ったところ、Uberで届いた軍艦巻きが、かっぱ巻きレベルの細さで、それだけで500円くらい取られてキレそうになったという思い出もある)。ラーメンを頼んでみても、本当に美味しいものに出逢えることは稀だった。1度生姜焼きがトッピングされたラーメンが届いたことがあり、強烈な「コレジャナイ感」に苛まれたこともある。違うんだよ……。頑張っているのは認めるけど、ラーメンに生姜焼きや乗らないんだよ……。日本食が海外に輸出され、現地化されることは否定しない。しかし、慣れない海外生活で、日本の味が恋しくてたどり着いた先で得たものが、やっぱり求めていたものと違う、というのはただただ残念だった。
自炊して頑張って日本食を作っても、完全な再現は出来ない。他力本願でレストランから宅配を頼んでも、思っていたものは届かない。食べたい時に食べたいものを食べる、という当たり前。それが、どんなに贅沢なことだったのか、海外に来て初めて気づいた。現地の食事が不味いわけではない。イタリアが美食の国なのは自明の事実で、実際に何を食べても美味しかった。しかし、いくら美味しいイタリア料理を食べても、母国の味を食べてほっとする、という感情は生まれない。何かが違う、何かが違うと思いながら食べる食事は、なかなか合わないチューニングの音を聞かされているようだった。そこから重なる違和感は、小さな不快感を生む。その不快感が積み重なると、自分でも気づかない程にストレスが溜まり、ホームシックに繋がるのだと思う。
それでも、希望は捨て切れなかった。美味しい日本食は必ずあると信じて、Uberチャレンジを続けた。そして、遂にその時はやってきた。
名古屋味噌カツ。まさかミラノで食べられるとは思っていなかったのだが、あったのである。日本人の方が経営している日本食レストラン。前から気になっていたのだが、学生の身からすると少し高めだったので、なかなか頼めずにいた。ただ、その頃は丁度勉強が非常に忙しく、睡眠時間も削られていた。精神的にも身体的にも疲弊していたのが自分でもハッキリ分かったため、大きめのプレゼンを終えた後、自分へのご褒美としてそのレストランの味噌カツ丼を頼むことにしたのだ。
注文から約30分。味噌カツ丼を乗せたUberの自転車がやってきた。袋を受け取ると、その袋には、”ありがとうございます!”と日本語で手書きされていた。ああ、この字は日本の人が書いてる。会ったことはないけど、確かにそこに故郷を感じて、とてもあったかくなった。食卓に着き、注文した味噌カツ丼をひと口食べた。
ドン、ピシャ!
あああああああ、この味だ。これは日本の味だ。ご飯炊き具合、カツの味、甘辛い味噌。全てがドンピシャだ。今まで溜め込んできた、食べ物に対する「コレジャナイ感」がハラハラと落とされていく。食に対するストレスが、一気に身体から流されてゆく感じだった。美味しい。本当に美味しい。やっぱり、慣れ親しんだ味からは離れてはいけないんだ。今まで微妙に音の合わなかったチューニングが、一気に正しい音に戻されてゆく感覚。心地よく、スッキリする感覚。気づいたら、ものの数分で食べきっていた。
数年前、海外で体調を崩していた私に、一緒に行っていた仲間の1人が、持ってきたカップラーメンを差し出して言ってくれたことがあった。
「海外で体調を崩した時は、とにかく慣れ親しんだものを食べること」
旅慣れた彼は、常に何種類かのインスタントヌードルや、日本食を持って旅行するのだという。旅慣れた人は違うなと有り難く受け取ったラーメン。食べた翌日には、すっかり元気になっていて、馴染みの味の底力に感動した覚えがある。「ちゃんとした食事」にはこういうのも入るのだと思う。自分にとって、ドンピシャでチューニングが合っている食事。慣れ親しんで、ホッと出来る味。きちんと食べないとと思うと、栄養バランスに気を遣わないと、とか、自炊しないと、とか思ってしまう。だけど、異国の地で疲弊していた私を救ってくれたのは、Uber Eatsの味噌カツ丼だった。疲れた時やしんどい時こそ、自分にとっての「ちゃんとした食事」を。正しくチューニング出来た食事なら、なんだって良いのだ。
□ライターズプロフィール
藤井佑香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
国際基督教大学卒。数年の人事経験を経て昨年より1年間イタリアの大学院にて企業広報を勉強。修士号取得予定。現在は、外資系企業にて採用ブランディングの仕事に従事。元々文章を書くことが好きで、天狼院書店のライティングゼミを受講。よりライティングの腕を磨いて、仕事にも活かしたいと修行中。
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