人生のスイッチバックについて考えてみた《週刊READING LIFE Vol.155 人生の分岐点》
2022/1/31/公開
記事:田盛稚佳子(READIBG LIFE編集部ライターズ俱楽部)
人生が思い通りになるなんて、思ったことはない。
むしろ、えっ? なんで? と思わされることのほうが多いのではないだろうか。
私は幼い時に、そのことを経験した。しかも、列車の中で。
JR最西端の駅がある佐世保市は、私の生まれ故郷であり、16歳まで住んでいた思い出の地でもある。
佐世保駅を始発とする「特急みどり」に初めて乗ると、驚くことがある。
すべての座席が進行方向とは逆向きになっているのである。
それは一体なぜか……?
出発のベルが鳴り、走り始めた瞬間、私はうろたえてしまった。
「ねぇねぇ、列車が後ろ向きに走り始めよるよ、お母さん! なんで?」
と落ちつかない様子で席をウロウロしていると、母は言う。
「大丈夫よ、そのうちわかるから」
母はいたって落ち着いている。子どもながらに、なぜそんなに落ち着いていられるのか不思議だった。
そして、佐世保駅を出発して約10分後、列車は早岐(はいき)駅に到着する。
早岐駅で初めて、座席と同じ向きに進みだすのである。
しかし、子どもの私には、今通って来た道を列車がまた元に戻っていくような感覚に陥り、またもや
「お母さん! 今度は列車が戻りよる! 佐世保駅に帰りよる! どがんすっと?(どうするの?)」
と大騒ぎをしていたものだ。
実は、これは「スイッチバック運転」といって、地形の制約上や路線が引かれた経緯によって、鋭角的に進行方向を変えなければならない場合に使われるものである。
日本では他にも同様の路線があり、関東で言えば箱根登山鉄道の大平台駅や、小田急江ノ島線の藤沢駅などで見られるらしい。
列車が正しい方向に行くための折り返し地点、といったところであろうか。
「ね、チカコ。ちゃんと博多方面に向かって進んでいるでしょ?」
「うん、よかったー。あー、びっくりした」
こうして、座席の向き通りに列車が進み始めると、私は安心して母の座席の隣で眠りに就いていたものだった。
ゴトンゴトン、ゴトンゴトン……。
規則的なリズムに合わせて眠ることで、さっきまでざわついていた気持ちが凪いでいくような気持ちだった。
私の人生の分岐点は、この生まれ故郷・佐世保を離れたことである。
中学時代までは、成績は普通。学校内のいじめが激しく、それによる教師の体罰も新聞沙汰になるような時期ではあったものの、まだ教師と親同士の関係が、少なくとも今の時代よりはギスギスしていなかった。
「先生、うちの子が悪ければ、ちゃんと叱ってください。少々手をあげても、私ども、文句は言いませんから」
という空気が普通に流れていた時代だった。
しかし、高校に進学してすぐに、私は人生の壁にぶち当たることになった。
当時の佐世保市の県立高校は、三校合同選抜といって、行きたい高校があっても、なぜか勝手に振り分けられてしまうという不思議な制度があった。
何の因果か、仲の良い友達や中学時代に思いを寄せていた男子と、合格発表当日にいきなり離れ離れになってしまうことを知るのである。そのショックたるや半端ない。
その中でも、私は比較的、国立大学への進学率が高い高校に振り分けられてしまった。
医学部を目指す子、音楽大学を目指す子、はたまた科学者を目指す子などが勢揃いする中で、私は何の夢も進路も考えていなかった。ぽやーんと生きていたのである。
それゆえに、勉強にはまったくというほど力が入らず、成績は後ろから数えたほうが早いくらいだった。
一気に勉強嫌いになった私は半分、勉強から逃げるような気持ちで部活を始めることにした。
そこで入った吹奏楽部がこれまた、全国吹奏楽コンクールの九州大会まで進むレベルの部で、高校からアルトサックスを始めた私は、ここでも練習についていけなくなった。
なぜなら、部員のほとんどは中学時代からの経験者で、自分のマイ楽器も持っていたり、大会で入賞したりする実力のある人ばかりだったのだ。おまけに成績までいい部員ばかりである。
実は、私は吹奏楽部以外にも、幼少期から習っていた電子オルガンの個人レッスンも通っていた。
初めはレッスンも楽しかったのだが、いつの頃からか毎年行われるソロコンクールに出場するためだけの練習になり、授業が終わってから、バスで30分以上かけて週1日通うという生活だった。
これでは、音楽を楽しむどころではない。
ある大きな大会に出た時には、出場者とのあまりのレベルの違いに、
将来、音楽で食べていくことは私には難しいなと理解して、早々に自分の能力に見切りをつけていたため、レッスン自体も苦痛になったのである。
こうして、部活はおろか高校に行くことも辛くなってきた。
ただただ高校に通うだけの日々はカラーではなく、モノクロの中で生活しているようだった。
高校1年の半ばにして、私は思った。
「あと2年半、ここでやっていく自信が、ない……」
そんな鬱々とした気持ちを抱えていた頃、転勤族である父親に福岡への転勤の話があった。
父親自身、学生時代に何度も転校の経験があり寂しい思いもしていたせいか、高校の途中で私が転校することをすごく心配してくれた。しかし、当時の私にとっては一筋の光がパアッと差してきたように感じた。
環境さえ変えれば、今の八方ふさがりの状況から脱出できるかもしれない。
「家族で福岡に行こうよ!」と私のほうから喜んで申し出た。
そうして、福岡へ転居してから一週間。
私が感じた光は、幻だったことを痛感する。
県立高校への編入試験を経て知ったことだが、福岡には通常の授業以外に「朝課外」なるものがあったのである。
1限目が始まる、さらにその前、朝7時半から0時限の授業が始まるのだ。
佐世保ではそんなものなかったのに……。
誤算だった。こればかりは、情報収集力が足りなかったとしか言いようがない。
まだインターネットも発達していない時で、そんな県立の詳細な情報を知る術を残念ながら私は持っていなかった。
ちなみに福岡の高校生は、近くの高校であれば、大抵の生徒が自転車通学をする。基本的に平坦な道が多いからである。
佐世保生まれ、佐世保育ちの私は坂道の上にある家に住んでいたので、なんと自転車に乗れなかったのである。
というわけで、夜は22時には就寝、早朝5時半に起床して、バスに乗り、電車に乗り換えて、駅からはさらに徒歩で10分以上かけて通学するはめになった。
早起きが苦手で、寝起きが超絶悪い私にとって、苦痛以外の何ものでもなかった。
ああ、なんで福岡行こう、なんて言っちゃったのだろう……。浅はかだった。
まだ暗い窓の外を見ながら、バスの中で一人ぼやいたことは今でも覚えている。
そうは言いながらも、佐世保しか知らなかった私にとって、福岡という未開の地は、大きな宝石箱のような都市であった。
雑誌で見たことのあるブランドの洋服や、かわいくて魅力的な雑貨がなんでも揃っている。
おまけにデパ地下は見たことがないほど恐ろしく広く、何よりも街も人々も活気に溢れている。
福岡という街から元気をもらいたい!
そう思った私は、平日は淡々と授業をこなし、週末になると用もないのに福岡の中心部・天神や大名地区を「ひとり探検隊」と称して、あちこちを歩き回った。
ちょっとした路地裏に古着屋を見つけてはドキドキしながら入ってみたり、店員さんに声をかけられてはビクビクしながらも福岡でどんなものが人気なのかを聞いてみたりすることが楽しくて仕方なかった。
「用事もお金もないのに、毎週毎週、天神に何しに行くの?」
と家族からは笑われたが、それでもよかった。
おかげで大学に入るころには、天神周辺と地下街にあるショップの地図は、ほぼ頭の中に叩き込んでいたし、ちょっと聞かれれば「ああ、あの店ね」とわかるくらいになっていた
何よりも驚いたのは、自分自身にこんなに行動力があったのかと気づいたことだった。
それまでは、知らない土地で迷うなんて危険を冒すくらいなら、家でじっとしているタイプの人間だった私が、福岡に出てきたことで、自身の「気になるアンテナ」がピーンと立つようになり、それにつられてフットワーク軽く、動き出すまでになったからである。
福岡に来た当初は、あの早岐駅で感じたような
「今来た道を逆戻りしている。なんでこの列車に乗ってしまったのだろう」
という焦りがあったが、人生もまたスイッチバックのように、一見、後ろ向きに進んでいるように見えて、実は着実に前に前に進んでいるのかもしれないと思うようになった。
そして、今ではこうして天狼院書店とのつながりもできて、文章を書くことを習慣にするようになっている。
最初はおそるおそるではあったものの、ちょっと路地裏に入ってみたことで、書店を知り、「秘めフォト」なるイベントを通じて、いつの間にか文章を書くような生活になっているのだから、人生とは不思議なものである。
もちろん、毎週5,000字を書くということは簡単なこととは言い切れない。
短時間では書き上げることは難しいし、締め切り時間ギリギリということも多々ある。
しかし、そのルーティンがあるからこそ、日々の生活に変化が生まれた。
例えば、今までなら仕事や人間関係で「もう嫌だ、逃げたい」とか「なんで、そんなことが起こるんだ!?」というような出来事があっても、
「ん? もしかしたら、これもネタになり得るんじゃないの?」
ととっさに前向きに考えて、スマホにメモするようになったのだ。まるでネタ帳を書く芸人さんのように。
そういう意味で、私は今、新しい人生の分岐点を生きている。
人生のスイッチバックのような出来事は、これからも容赦なくやってくるかもしれない。
でも、それはきっと前に前に進むことになっているのだ。思い通りに行かないからこそ人生なのではないか。だったら、受け入れてみるのも悪くない。
そこで、慌てることなく、
「大丈夫よ、そのうちわかるから」
そう自分に言い聞かせながら、やってくることを一つずつ冷静に片付けて、ついでにネタにもしていけたらいいなと思う、今日この頃である。
□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
長崎県生まれ。福岡県在住。
西南学院大学文学部卒。
ライティング・ゼミを受講後、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で自身の経験を通して、読んだ方が一人でも共感できる文章を発信したいと思っている。
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