週刊READING LIFE vol.156

病めるときも、健やかなるときも、湯と共にあらんことを《週刊READING LIFE Vol.156 「自己肯定感」の扱い方》


2022/02/08/公開
記事:mihana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「銭湯からはじまるしあわせ」というポスターが、近所の銭湯に貼ってある。
 
そのポスターによると、銭湯によく通う人とそれ以外の人を比べると、よく通う人は、それ以外の人に比べて、自覚的な健康状態が良好。しかも良く笑い、幸福度が高くなるということが、調査で分かったというのだ。銭湯に足繁く通う私は、そのポスターを見る度に、「ああ、今日も銭湯に来てよかったな」としみじみ思う。そして、冷え切った体を、熱い湯へと沈めるのである。
 
帰り道、ほかほかと湯気を立てながら家路につくとき、私はいつも「気持ちよかったな」と幸せな気持ちになる。しばらくその状態が続くのだが、次の瞬間、銭湯で使用したタオルを、洗濯しなくちゃいけないことに気づき、あっという間に家事ルーティーンへと巻きこまれていく。「あー、昨日の分も一緒に洗濯しなきゃ」「もー、靴下が裏返しじゃない」と。残念ながら、幸せは、そう長くは続かないのである。
 
そう、人は常にいい状態で、幸せでいられるわけではない。「病めるとき」と「健やかなるとき」がある。だからこそ、結婚式で牧師は、「病めるときも、健やかなるときも、互いに愛し合うことを誓いますか?」と、夫婦に問いかけるのだ。これは、何も病気だけのことを言っているのではない。心も同じだ。牧師は、大勢の参列者たちの前で、念押し確認をしているのだ。「そこのところ、きちんと分かってるよね?」と。

 

 

 

最近、自己肯定感と言う言葉を、良く耳にする。「自分には価値がある」と思える感覚のことだ。ちなみに私は、時と場合により、自己肯定感が高かったり低かったりする。否定と肯定が、常に「綱引き」をしているのだ。
 
というのも、美容院に行って自分の理想通りの髪型になった時には、妙に気分が上がり、「私って最高!」と、風を切ってモデルのように歩いてみたりする。そうかと思えば、仕事で大きなミスをして、「私って全然ダメ……」と、家に籠り、途端に悲劇のヒロインになってみたりする。引っ張ったり、引っ張られたり、私はとても忙しい日常を送っている。
 
「周りの出来事は、自分の考え方次第で、肯定的に捉えることが出来ます。
だから、ネガティブをポジティブに、変換しましょう」
 
テレビ番組や自己啓発本、インターネットの記事などで、このような内容を見る度、私自身も幾度となく、変換を試みてみた。だが、全然上手くいかなかった。自分が否定的に捉えていることを、肯定的に捉えなおすのは、何かをねじ曲げてしまっているような気もするし、そもそも最初に否定と思っている時点で、肯定にするというのは、至難の業なのだ。
 
私という人間の中では、否定的な自分と肯定的な自分が、常に綱引きをしながら、私という人間を形作っている。その綱引きがどちらに大きく振れているかで、その時のコンディション、つまり「病める」か「健やかなる」かが、決まっているのだと思う。

 

 

 

ここで、とても残念なお知らせなのだが、この綱引きは、否定的な自分、つまり「病める」自分が優勢だ。なぜなら人は、外敵から身を守るために、否定的な情報に関する感度が、肯定的な情報に関する感度よりも、高く設定されているからだ。生きていく上でのデフォルトが、否定寄りなのだ。これではもう、お手上げである。
 
私たちは日々、情報に触れる。触れるというよりも、さながら研究者のように、自ら集めに行きさえする。政治のこと、社会のこと、芸能のこと。スマートフォンやパソコンを開けば、あらゆる情報が私たちを楽しませてくれる。時に傷つけられることがあっても、私たちは情報を求めて、インターネットという見えない網の目の中に、絡みとられていく。
 
また、私たちは得た情報に対して、審判を行う裁判官にもなる。「良い」か「悪い」か、「好き」か「嫌い」か、常にジャッジしている。加えてここ数年で、心の中で判断していたものが、「いいね」ボタンという形で、可視化されるようになった。これが、現代人の新たなストレスを生み出していると言われているのも、周知の事実だろう。
 
とはいえ、研究者や裁判官になることは、悪いことばかりではない。たくさんの情報を得て、判断して、行動する。その結果、私たち人類は生き残り、こうして繁栄しているのだ。個人に置き換えてみてもそうだ。現状に満足せず、「自分にはここが足りない」と思うからこそ、人は進化し、成長していくものなのではないだろうか。
 
だから一概に、「病める」自分が悪いというわけではない。しかし、ずっと「病める」に引っ張られると、そのまま闇に落ちてしまう。その綱引きが均衡して、安定することこそが、幸せに繋がるのかもしれない。

 

 

 

おそらく死ぬまで、終わることのない綱引き。
でも私は、その綱引きから一旦、離れることができる方法を知っている。
 
それは、湯に浸かることだ。
 
湯に浸かるときは、誰しも皆、裸。情報源はシャットダウンされ、研究者のように調べる手段もないし、裁判官のように何かの善し悪しを判断する必要も無い。
 
私たちは、仕事を頑張り、家族としての役割を果たし、毎日頑張りすぎている。いつも鎧を纏い、時に傷を負いながらも、勇ましく戦っている。
 
だからこそ、湯に浸かるのだ。纏っていた衣服を脱ぐ時、私たちはいつの間にか染みついた、仕事上の「上司」「部下」という肩書、家族の中の「親」「子」という役割を忘れ、あるがままの私たちの姿を取り戻す。湯は、誰に対しても平等なのだ。
 
目を閉じると、湯のあたたかさが、私たちを優しく包み込む。何も考えず、今この時間を過ごしているというありがたみを、全身で受け止める。否定と肯定の綱引きをしている暇なんて無い。ただ、湯を感じるだけで良い。
 
もちろん入浴後、ひとたび思考が動き出すと、また綱引きが始まる、
しかし、私は思うのだ。
 
もし、否定側に触れていても、一度湯に入ることで、綱引きの紐の真ん中が、地面に引かれたセンターラインまで、戻ってきているのではないかと。もし、もともと肯定側にあったら、より肯定側に引っ張られた状態になるのではないかと。
 
これが、冒頭にお伝えした「銭湯からはじまるしあわせ」の、理由なのではないだろうか。

 

 

 

さて、ここまでお読みいただいたあなたは、既に湯に入りたくなっているに違いない。
ここからは少しだけ、あなたの明日からの入浴に役立つ情報を、お伝えしたいと思う。
 
まず、自宅での入浴で気をつけたいのは、スマートフォンやタブレットは持ち込まないことだ。せっかく全ての情報源から、意識的に離れることの出来る貴重な場なのだから、裸一貫で臨むことをお勧めする。
 
湯の温度は、40℃前後がいい。副交感神経が優位になり、リラックス出来る温度なのだ。熱すぎると、交感神経が優位になり、逆に目が冴えてしまう。あまり長すぎず、15分くらい、全身浴をすると良いだろう。
 
銭湯は、普段より大きな浴槽に入り、開放感を味わうことができるのが、大きなメリットだ。もし周りに人がいなければ、手を床につけて、足を後ろに大きく伸ばし、アザラシのようなポーズをすると、背筋が伸びて、気持ちいい。お勧めだ。
 
温泉や、サウナに入るのもいい。自分なりの楽しみ方を見つけて、湯に親しもう。そうすることで、否定と肯定の綱引きを、ちょっとずつ肯定側に寄せていくのだ。湯に入る前の自分より、湯上がりの自分の方が幸せになれるのだとしたら、入らない理由はない。

 

 

 

扱いの難しい、自己肯定感。
もしかしたら湯は、その唯一の救世主かもしれない。
 
だから、私は、永遠の愛を誓う。
病めるときも、健やかなるときも、湯と共にあらんことを。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
mihana(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都生まれ。30代OL。2021年8月開講のライティング・ゼミ受講後、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。趣味は入浴。

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2022-02-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.156

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