今日はダメでもいいから《週刊READING LIFE Vol.156 「自己肯定感」の扱い方》
2022/02/08/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部公認ライター)
「あなたは結局、何をしても不満なんですね」
たまたま通りかかって占ってもらったら、そう言われたことがあった。なんて失礼な占い師だろう。そう思ったけど、言い返せなかった。
自分自身に満足し切っている人なんて、この世界にどのくらいいるのだろうか。
生まれた時は何もわからず、幼児の頃は自分しか見えず、物心がついてくると自分と周りの区別がついてくる。その中で、人間は自分自身に対して価値をつけるようになっていくのだろう。
時々、自分で自分のことがとても嫌いになる。
もういい加減、齢を取りまくっているのに、そんなどうでもいいことばかり考えるなんて、自分はバカなんじゃなかろうかとも思う。でもできないものはできない。そのことがさらに私を腹立たしくさせている。
いくつになっても、性格なんて変わらないもんだなと苦笑いをしている。
自分の半生を振り返ると、何もかもが中途半端だった。
大学まで出させてもらって、家庭も持って、傍からみればどうということのない人のようにも見えるけど、私は常に何かに不満を持っていた。
一体どうしてそんなに気に食わないことがあるのだろう。突き詰めて考えれば大きな原因はわかっている。新卒で就職した職場を、結婚して1年経って退職したところにさかのぼるのだ。
結婚が決まったとき、仲人をやってくれる、夫の上司夫妻の家に挨拶に行った時のことだ。一通り挨拶が終わり、酒の席になったときに夫の上司が放った言葉は今でも覚えている。
「……で、お仕事は、どうするの? いつ辞めるの?」
はぁ? と思った。どうしてこの人がそんなことを言うんだ? とっさに私は言った。
「いえ、辞めないですよ。続ける予定です」
「そうなんだ。でも、遠いでしょう。通うのが大変だったら、辞めちゃえば?」
「せっかくなので、まだ働こうと思います」
実家も職場も都内にあり、通勤は地下鉄1本で行けた。結婚後は神奈川に住むことになっていたのでたところに住むことになる。でもそれを誰かが突っつくのは明らかに余計なお世話だ。それでも夫の上司は「辞めればいいのにね」としつこく繰り返し、それを見ている夫も特に何も言わなかったことが、割とムカついた。
(なんで、何も言ってくれないの)
私が結婚後も働きたいと言っているのに、それを少しくらい支持してくれたっていいじゃない。まずはそこが不満だった。
自分の中で、いずれこの仕事を辞めるのかもしれないとは思ってはいた。しかし当時の職場は定年まで働こうと思えば働ける環境でもあった。仕事を辞めるとか続けるとかを誰かの考えで強制されるのは、なんだかわからないけど腹が立った。
初めて腹立ちを意識したのはその時だったけど、そこから1年して私は流産を経験した。今だったら、流産とは自然界の流れの1つに過ぎず、自己でこの世を生き抜けることができないから起こるのだと割り切れるけど、当時はさすがにショックだった。
どうして私だけが流産するの? どうして私だけが赤ちゃん産まれないの?
当時、親戚や友人の間でベビーラッシュが起こっていただけに、流産は私にかなりのショックを与えた。仕事はしばらく休職して、毎日毎日「私のせいだ」と自分で自分を責め続けていた。友人たちとは環境が変わってからしばらく疎遠になっていたし、結婚後引っ越した土地での知り合いもおらず、ネットもない時代だった。泣いてばかりいる私は、近くに住んでいた義母くらいしか話し相手がいなかった。
「お義母さん、私、どうしたらいいかわからないんです」
「あなた、いい加減にしっかりしな。このくらいでいつまでもうだうだ言ってたってしょうがないじゃない」
いつも「絶対に自分が正しい」と豪語している義母は、気弱な私を無理やり崖に連れて行って、そこから突き落とすかのような強すぎる言葉を投げかけてくる。「このくらい」だって? このくらいってさ、お腹の中で赤ちゃん死んだんだよ? 何を言ったって傷なんてつかない鋼鉄の心を持って、叩いても死なないくらい丈夫なあなたにとっては「このくらい」かもしれないけど、私にとっては奈落の底へ落ちるような悲しみなんですよ。わからないだろうけどね。
「そんなこと言われても……」
「いつまでもくよくよしてるんじゃないよ」
一拍置いて、義母は畳みかけるように言った。
「もう、あなたもお仕事はいいでしょう。ここまで働いたんだから。あの子だって、あなたには専業主婦になってもらいたがっていたんだしね」
夫が私に専業主婦願望を持っているのは知っていたけど「しばらく働いてもいいんじゃないか」って言ったから働いているのに、それをどうしてあなたが仕切るわけ? 今なら義母の申し出を丁重にお断りしていただろうけど、その時の私は心も身体もダメージを受けていた。誰かに逆らうパワーがなかったし、変に事を荒立てたくないとも思っていた。一言で言えば、若かったのだ。若さゆえに押し寄せて来る出来事に逆らえなかったのだった。
こうして私は新卒で入った職場を退職し、家庭に入った。
あんなに流産して泣きじゃくっていたはずなのに、子どもを授かった。私は目の前の自分の赤ちゃんを育てることに夢中になった。赤ちゃんなんて触ったこともない人が母親になるもんだから、全部が不安だった。子どもは手がかかる。ちゃんと親が見てあげないと、という使命感に駆られて私は子どもを育てた。
そして育児の月日が瞬く間に十数年経った。
子どもたちは成長して手が空き、自分のために時間を作れるようになっていた。そのころから自分は様々なことに取り組んだように思う。
まず始めたのはパン作りである。子どもの小学校のクラスメイトのお母さんに教室を教えてもらい通うようになった。順調に教室のコースを終えて師範まで取った。せっかく師範まで取ったんだから、家で教えたい。そう思いいろいろ準備して始めたけど、集客が難しかったのと自分のパン作りの腕がまだまだ未熟なことを恥じて、ほどなく自宅でパン教室を続ける夢は捨てた。
まだサロネーゼなどという言葉がポピュラーではなかった時代である。ネット環境も今ほどは良くなかったし自分もITリテラシーが低かった。体力的にもしんどい仕事だったし無理しても続かなかった。
それから夢中になったのは映画である。
元々映画好きだったが、子どもの手が離れてからはいそいそと映画館に向かうことが多くなった。自宅パン教室を辞めてから時間が空いたこともあって、1年間に300本以上スクリーンで鑑賞することもあった。映画を観て考えることが好きで、レビューをブログにせっせと書いていたこともあった。
映画にまつわることを書くお仕事ができたらいいな、そんなことをぼんやり考えていた。しかしただでさえ世間の雇用には子どもがいる主婦の出る幕はないし、そこに輪を何十にもかけて映画の世界は本当に封建的だった。映画界は経験者やコネがある人じゃないと働けないような閉鎖的空間だと思っている。子どもがいる人はお呼びでない空気を感じていた。
仕事を辞めて専業主婦になって、子どもは育ててはいるし家のこともやっているけど、私は自分に対して全く満足していなかった。不満はあるけど、どうしたらそれが解消されるのかがわからないのだった。
今振り返れば、たぶんそれは、自分は何物でもない、何も生み出さない存在であることがいやだったからだとわかる。
どうしてそれがわかったかというと、約2年半前から天狼院書店で文章を書くことを始めたからだった。
もうすでに子どもたちは社会人になっていたし、家のことも全く手がかからなくなっていたし、仕事も安定したころだった。私が自由になる時間がさらに増えた。今度こそ、ずっとやりたかったことをチャレンジしてもいいのではないかと思っていた。
文章を書いて、それをプロのライターや編集者が読み、基準に合格するとWebに掲載されたり、またされなかったりした。載れば嬉しいけど、載らなかったらやはり残念になる。自分なんてこんなものしか書けないのか、もう来週は書けないかもしれないと落ち込んでみたりもする。
自分が書いたものの中では、自分のやるせない想いなどを綴ったものが好きだった。でも、「今週は書けないなあ……」「もう二度と書けないんじゃないか」そんな錯覚に陥ることも多い。
同じく天狼院書店ではカメラの講座もやっていて、元々写真が好きだったのでぼちぼち参加すると面白くなってきた。いい写真が撮れると嬉しいけど、でも周りの同じゼミに参加している人たちの方が、私よりも圧倒的に写真が上手いのだ。
撮影会ではみんなで同じものを撮っているはずなのに、どうして私はこんなにヘタクソなんだろう。どうして私は上手く撮れないのだろう。自分と他人を比べてしまうと本当に嫌になることも多いのだ。
やっぱり自分はなんにもできない。
何十年も生きてきても、何にも生み出すことができないじゃないか。
1つとして満足のいくものを作れていないし、結果も出せていない。
そのことがたまらなく嫌になるのだ。
落ち込んでへこんで、どうしようもないと思う。でもその一方で、書くことも撮ることもやめようとはしない自分がいる。
気持ちと行動が矛盾しているのは、なんなんだろう。嫌ならやめればいいのに、それでも立ち向かおうとするのは何故なのだろう。自分で自分に問いかけてみる。
「努力は必ず報われる」という言葉を元アイドルが言ったとき、そんなことあるわけないじゃないか、そんなことがあるんなら世の中みんなハッピーだよと、うそぶいたことがある。私がやっていることだって、最後どういう形で収束していくのかなんてわからない。それでも止めたくないのは、止めてしまったことで後悔したくないからだ。
新卒で入った仕事を辞めたとき「あの時もっと続けていればよかった」と何度後悔したことだろう。あの時は自分に根性がなくて辞めたのだ。辞めたくない理由を展開して説得するだけのパワーがなかったのだ。
でも今は違う。
できなくてもいい、書けなくてもいい。やめたらたぶん死ぬまで後悔しそうな気がしている。続けてきたことで少しずつ出てきた結果もある。その芽が伸びるのか伸びないのかはわからないけど、自分で芽を枯らしてしまうことだけはもう、したくないのだ。
今日はできなくてもいい、今日は負けでもいい。それでも何度でも立ち上がっていけば、昔とは違う景色を見ることができるかもしれないじゃないか。泥臭くしか生きられないけど、それしか私にできることはないのだ。これまでも、これからも。
□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)
「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。
言いにくいことを書き切れる人を目指しています。
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