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「今は、無理したい気分なの」そう言う彼女の理由


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記事:中江 園加(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
「私、この部屋に決めた」
アパートの三階の角部屋。南向きの日当たりのいいバルコニーの手すりに手を置いた彼女は、まだ室内にいる私の方を振り向いてそう言った。
「うん。いい部屋だと思うよ」
そう彼女に言うと、春の心地よい風に靡く髪を右手で耳にかけながら、彼女はにっこり笑って頷いた。
 
 
彼女は昨年の年末に、七年間一緒に暮らしていた彼と別れた。
別れた理由となったのは、最初はなんてことのない、よくあるただのちょっとした喧嘩だったと思う。
しかし色々なタイミングの悪さが重なって、気がついた時には「いつもの喧嘩」からもう元には戻れない所まできてしまっていた。
 
「なんかさ、付き合ってから色んなことがあったし、もっと大きい喧嘩だってしていたのに、なんでその時は別れなくて、この歳になって別れちゃうんだろうね」
彼女はそう言って、少し寂しそうな顔で笑った。
 
「でもさ、前は彼が他の女の子と仲良くしていることにヤキモチを妬いて喧嘩になったりとか、まぁ、相手のこと好きだからこそ怒っている感じだったんだよね。でも、最後の喧嘩は相手のこと好きだからっていうより、『なんで私の気持ち分かってくれないの?こんなに一緒にいるのに』って思っちゃってさ。そうしたらすごく寂しくなって、なんだかどんどん意地張って自分から譲れなくなっちゃって。別に譲れなくなるほど、たいしたことでもなかったのにね。もっと若い時だったら素直に謝れていたのかな」
 
確かに、そうなのかもしれない。
歳を重ねるということは、それだけ「自分」というものを積み重ねていくということだ。
もちろん譲れないことも昔より出てくるし、素直に謝れない時だってある。
それが例え長く付き合った人と別れるような事態に発展してしまったとしても、上手く相手に自分の気持ちを伝えられなくなる時もあるのだ。
 
素直じゃない?
可愛げがない?
強がっている?
上等だ。そうやって傍から見たらちっぽけなプライドでも、それを守ることで今まで積み重ねた自分を折らない様に、崩れない様に必死に立っている不器用な大人もまた、私はカッコいいと思う。
その証拠に、別に彼女は別れたこと自体を後悔しているわけではない。
別れは、出会いの始まり。
彼女は、今までの彼とお互いが我慢して付き合うよりも、もっと今の自分と合う人を探す旅に出る方を選んだ。
そう、過去の自分よりも、明日の自分に賭けたのだ。
 
 
「本当にこの部屋気に入ったー! 家具とかも全部新しくしよう! 前から部屋のテイストを変えたかったのだけど、彼が『勿体ない、使えるなら今のままで十分でしょ。その方がきっと落ち着くよ』って言って全然変えられなかったんだ。もう七年も付き合っているのだから、それは私の趣味だって大人になるよって感じだよね! ……私が別れたのはさ、こうやって色んな人と出会って、その度に色々と学ぶことがあって、私の価値観はどんどん変わっていくのに、彼は昔のままだった。良くも、悪くもね。でも彼といる時間は落ち着くし、昔のまま優しいし……本当に好きだった。だけど、私は前に進みたくなっちゃったの。まだ見ていない景色を見たくなったの。付き合った頃と何も変わらない、時間が止まったままの部屋を出てみたくなったの。とは言っても、今でもどうしようもなく彼の安心感が恋しくなったり寂しくなることはあるんだけどね」
そう言いながら彼女は、キッチンの収納を確かめているフリをしながら扉を開け閉めしている。
 
「この部屋すごく素敵だけど、家賃が結構高いよね。大丈夫なの?」
そう聞いた私に彼女は、
「いいの。今は、無理したい気分なの。何も考えずに、何も怖がらずに、自分のやりたいことをやってしまいたい。そんな気分なの」
そう言って、笑った。
 
春には、ここから見える川沿いの桜の花も咲いて、この部屋からも満開の桜並木が見えることだろう。
きっと、寂しくない大人なんていない。
みんなそれぞれの想いを抱えながら生きている。
その想いが交わったり、離れたり、入り組んだり、また戻ったり。
その時の自分と合う糸を手繰り寄せながら、絡まりながら、解しながら、時にはタイミングが合わなくて切れてしまう糸もあれば、また結び直すタイミングもあったりする。
そのどれもが正解かもしれないし、そもそも正解なんてないのかもしれない。
 
大きく開けた部屋の窓からは心地よく春の風が吹き抜けていく。
新しい気持ちで進み始めようとしている彼女を横目に見ながら、私はそんなことをぼんやりと考えていた。
 
駅からは少し離れた、建てたばかりの新築アパート。三階の角部屋。
日の光が優しく降り注ぐ南向き。
きっとこの部屋から、彼女のこれからの新しい明るい未来が始まるのだろう。
 
 
 
 
***
 
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2022-03-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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