メディアグランプリ

横並びで歩む夫婦が、立ち止まって真正面から向かい合うとき


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:今村真緒(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「今日の夕飯は、鍋にしようよ」
これが、最近の私たち夫婦の休日の合言葉のようになっている。昨年から、暑い夏を除いては、休日の夕飯に鍋が登場する機会が増えている。
 
鍋は、主婦にとって有り難いメニューだ。スーパーに行けば、手作りをせずとも様々な市販のスープが迷うぐらいに並んでいるし、後は好きな具材や野菜を刻んで放り込み煮込むだけでいい。休日は早めに風呂を済ませ、夫婦でアルコールを飲みながら鍋をつつくのが、ささやかな楽しみなのだ。
 
我が家の土鍋は、かれこれ10年以上使っているだろうか。娘がまだ小学生だった頃に購入したことは覚えている。使い込まれて多少すすけているが使用上まるで問題がないし、具材が煮上がって蓋を開けたときの湯気に、この10年の家族の思い出がほわーんと浮かんでくる気がして、別の鍋に変えようという気にならないのだ。
 
「はい乾杯!」
夫はビール、私はチューハイでグラスを合わせる。おもむろに鍋蓋を開くと、いつものように湯気が溢れ出る。それぞれの皿に具材を好きな量だけ取り分けて、まずは一口味わってみる。
 
「うん、美味しいね」
「そうだね」
鍋は、私たちにささやかな幸せを運んでくる。どうしてこんなに休日の鍋は体に染みわたるのだろう。どちらからともなく顔を見合わせ笑顔になる。そして、必ずどちらかがぽつりと言う。
「……ごはん、何食べたかな?」
私たちの頭に浮かんでいるのは、我が家の一人娘のことだ。
 
昨年の4月、娘が大学進学で東京へと旅立った。18年間福岡の田舎で育ってきたというのに、いきなり東京での一人暮らしだ。一人娘ということもあって、私たち夫婦の心配は尋常ではなかった。娘の旅立ちに涙は禁物と思いながらも空港での見送りでは自然と涙がこぼれてくるし、夫に至っては普段はシャイで感情表現をあまりしない人だったはずなのに、涙を堪えながらギュッとハグをして送り出す始末だ。
 
娘のいなくなった我が家は、まるで活気を失った。娘が居れば、いつも響いていた声や感じていた気配が、スッとどこかに吸い込まれてしまった。ちょうど夫も年度初めで仕事が忙しく、家に帰ってくるのが遅かった。一人で家にいれば、冷蔵庫のかすかなブーンという音すら聞き取れてしまうほどの静寂に包まれているのだ。
 
私は怖くなった。このまま、この空っぽな静けさにじわじわと飲み込まれてしまうのではないだろうか。深い海の底にゆっくりと沈んでいくと、水面に射していた光が徐々に遠くなっていくように。そして気がつけば、寒々としたモノクロの世界に居るのだ。浮上したくとも、私には動く気力がなくなった。このままではいけない。そう思っているのに、うずくまってやり過ごす日々が続いた。
 
娘が居ないということが、こんなにも寂しいものだとは思わなかった。もちろん居れば、何かと手が掛かり私の負担も多い。けれど、「晩御飯何食べたい?」と話しながらスーパーへ買い物に行ったり、わずかな時間でもおやつを食べながら学校や友達との出来事を話したりしてくれる娘の存在が、いかに私の心を埋めてくれるものであったかを知ることになった。
 
それは、夫も同じだった。夫は元々口数が少ないので、私が話さなければ家の中はすぐに静まり返ってしまう。子煩悩な夫は、娘が好きなお菓子やアイスを常にストックして、喜ぶ娘とそれを一緒に食べるのを何よりも楽しみにしていた。けれど、今ではその相手が家にいない。気がつけば、私たち夫婦は娘のことばかり考えてしまうのだった。
 
数年前まで私がフルタイムで仕事をしていたこともあって、私たち夫婦は車の両輪のように、「我が家」という躯体を乗せて奔走していた。互いにスケジュールを把握し合い、家のことや娘の生活に支障が無いように、共に都合をつけ合うのが慣例になっていたのだ。
 
だから、私たち夫婦は常にお互いを同志のように思っていた節がある。同じ目標のために、並んで前を向いて真っ直ぐに進んでいくような。両輪の私たちをつなぐシャフトは、もちろん娘だった。ところが、その娘が抜けたら、私たちはタガが外れた車輪のように進行方向が分からなくなってしまったのだ。娘という媒介が去ったことで、今後どんな道を歩んでいくのかを模索するために、私たちはついに向かい合わなくてはならなくなったのだった。
 
そうなると、私はとたんに困ってしまった。今までは、夫と話す内容は事務連絡のようなものが多かったからだ。うまく「我が家」を回していくための同志だった私たちは、いつの間にかお互いが何に興味があって、何に心を動かされるかすらよく分からず、改めて摺り合わせが必要になった。
 
向かい合ってみると、長い間一緒に暮らしてきたのにまだ知らないことがあった。夫の趣味ではないだろうと思っていた系統の映画やドラマを一緒に見てみると、意外な感想を言うのが新鮮だった。以前より仕事のことを話してくれるようになり、どんな姿勢で取り組んでいるのかを知るという新たな発見もあった。今までは娘の方ばかり向いていたこともあって、なかなか夫の内面まではじっくり見られてはいなかったのだろう。
 
娘が巣立って一年が経った。私たち夫婦は、結構楽しく暮らしている。休日に鍋をつつけば、3人で鍋を囲んでいた頃を思い出すけれど、食事をしながらNetflixで面白いドラマに2人でハマって続きにハラハラしている。はたまた2人で買い物に出かけては、思い出のアイスを買って一緒に食べてみたりしている。
これまでの家族の歴史を共有しているから、共感できることがある。これからはそれに新たな発見を足しながら、お互いの笑顔を増やしていけたらいいと思っている。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325



2022-04-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事