週刊READING LIFE vol.166

恰好良過ぎる先輩の言動《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》


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2022/04/25/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
イラスト:糸瀬友子(イラストレーター・団体職員)

この騒動は、一般的にも大きなニュースと為ってしまった様だ。その証拠に、他人よりもちょいと映画フリークな私には、数人の知人から見解を聞かれたものだ。
しかし、当事者達には、幾つもの失敗しか残さなかった事件なので、私は本心でのコメントがし辛かった。ただ、この騒動に対する反応が、日米で真逆とも思えて、私には少々不可解だった。
何しろ私は、人一倍アメリカ映画を観、誰にも負けない位に影響を受けて来たのだから。

現地、アメリカ西部時間で2022年3月27日午後、2年振りの公開開催と為るアカデミー賞授賞式が催された。
海を隔てた日本では、村上春樹氏の原作を映像化した『ドライブ・マイ・カー』が、久し振りに作品賞ノミネートされ注目されていた。

ところが或る事件を切っ掛けに、この第94回アカデミー賞授賞式は、世界中の映画ファンに全く別の記憶として残ることに為った。

その事件とは、主演男優賞を受賞した今やハリウッドを代表する2枚目スター俳優であるウィル・スミスが、授賞式MCを務めたコメディアンのクリス・ロックの左頬を平手で打ったことだ。平手打ちの原因は、妻のジェイダ・ピンケット・スミスの容姿をクリス・ロックに揶揄され、それにウィル・スミスが激高した為だ。
その瞬間、場内は一瞬の静寂の後、騒然とした中に何とも不安な雰囲気と為った。それもそうだろう。これまで、授賞式が大掛かりになって数十年、舞台上でギャグでは無いコンタクトが行われたのは、これが初めてだったのだから。

元来、こうしたアメリカでのアワード(授賞式)では、暗黙でスピーチの型が存在しているものだ。それは俗に言う“アメリカン・パーティスピーチ”というもので、少し皮肉を込めたジョークが多用される。スピーチの対象者を少しだけコキ下ろし場内の笑いを誘い、後半(スピーチの)では見事に相手を褒め称えるというものだ。

このスピーチ型は、MCの進行でも同様で、アカデミー賞授賞式では笑いが絶えないのが通常だ。これにより、受賞者が感激しそのスピーチが感動的なものだったりすると、余計に際立つものだ。

ところが、今年のアカデミー授賞式は、少々事情が違ってしまった。いや、正確には事前から事情が変わっていたのだ。
それは、数年前からアカデミー賞が、ポリティカル・コネクトネス(以下、ポリコレ:政治的正当性のこと)の名の下に、差別撤廃の動きが加速していたからだ。確かにアメリカの映画界は、白人優位な社会であることは否めない。それを公平しようと、母体のアカデミー協会を始め、選考者やノミネート対象者に於いても、一定の割合で少数民族出身者(マイノリティ)を入れる様に為っていた。
その結果として、今年の『ドライブ・マイ・カー』ノミネートや、一昨年の作品賞に韓国映画の『パラサイト・半地下の家族』が輝くという快挙が続いている一因だ。

そうした趨勢から、今年も授賞式のMCには黒人のクリス・ロックが指名された。また各賞には、黒人プロテニスプレーヤー、ビーナス&セリーナ・ウイリアムス姉妹を育て上げた父親を描いた『ドリーム・プラン』が、数多くノミネートされていた。
ビーナス&セリーナ・ウイリアムス姉妹の父親は、スポーツの心得は有るもののテニスのコーチとしての教育は受けておらず、プレイヤーとしての実績も無かった。にもかかわらず、独自の計画(プラン)と奇想天外なアプローチで、苦労を重ねながら娘二人を稀代稀なるテニスプレイヤーにした物語だ。
その父親役を、現代最も稼げる俳優でもあるウィル・スミスが演じたのだ。『ドリーム・プラン』の題名の通り、その計画はまさしく“ヒーローズジャーニー”だ。
それと同時に、最も人気が有るウィル・スミスが、その印象的な父親を演じたので、主演男優賞ノミネートは当然の結果だった。そして事前のコンセンサスとして、ウィル・スミスが初の主演男優賞に輝くものと、世界中の映画ファンが考えていたし信じていた。
これは余談だが、今回のもう一人の当事者であるウィル・スミスの妻、ジェイダ・ピンケット・スミスは『ドリーム・プラン』の製作総指揮(エグゼクティブプロデューサー)に名を連ねている。

ここ迄なら特段、クリス・ロックがウィル・スミスにビンタされることは無かった筈だ。
ところが、MCジョークの中でジェイダ・ピンケット・スミスの髪型に触れたのがいけなかった。彼女は現在、脱毛症に悩んでおり、このところは丸刈り姿で公の場に現れていたからだ。
ここには、自らの病を隠すことなく(かつら等を付けず)、堂々と世間に晒すことにした彼女の誇りでもあるのだ。
クリス・ロックにしてみれば、普段から付き合いが有り仲の良いスミス夫妻のことなら、少々踏み込んだジョークでも問題は無いと思ったに違いない。
ところが、妻の病をネタにされたウィル・スミスは、そう受け取らなかった。多分、親しい友人なら猶更、愛する妻の病をネタにすることが許せなかったのだろう。何しろ、親しい間柄でしか知り得ない苦労も話して居ることだろうから。

妻を茶化され激高したウィル・スミスは、舞台に進み出ると右手でクリス・ロックの左頬を平手打ちにした。彼は踵を返すと、席に戻った。しかし、怒りは収まらず、何やら大声で放送出来ない言葉を発していた。
一方のクリス・ロックは、ただ、
「ウィル・スミスに、ぶたれた!」
と、子供の様な女々しい訴えをするだけだった。
場内は騒然となり、世界中に配信されている中継は、一旦CMが急遽入ることと為った。

中継が途切れる寸前、ウィル・スミスの元へ一人の先輩が走り寄っていく姿が有った。一瞬のことだったが、私は見逃さなかった。

この騒動で、私には驚いたことが有る。
それは、ウィル・スミスの行動を暴力として殊更大袈裟に捉える報道が、アメリカに多かったことだ。日本より、レディファーストの習慣が有るのにだ。
対する日本では、
「愛する妻を馬鹿にされたのだから、ウィル・スミスの行動は当然」
と、公然とマスメディアで発言する有名人が多かった。

私が思うに本来なら、日米の反応は逆だったろう。そこには、たまたま、現在の東ヨーロッパで起こっている戦乱が影響していると感じて仕方が無い。
また、古い日本には、暴力とは別に体罰の慣例があるのも事実だ。つまり、今回の騒動でウィル・スミスは、拳でクリス・ロックに身体的ダメージを与えようとしなのではなく、平手で表面的(皮膚的)痛みと共に、公の場で心的抑止としようとしたとの判断だ。

ところがアメリカでは、地元警察までも訴えが有れば逮捕(ウィル・スミスを)を辞さない考えを示した。実際は、クリス・ロックが訴えを起こさなかったことから、ウィル・スミスの逮捕には至っていない。
しかし、日本では、どこかアメリカの過激ともいえる反応に、いささか不満が残っている感じだ。

しかも、アカデミー賞を主催するアカデミー協会の裁定も『ウィル・スミスの脱会の容認』『今後10年間、ウィル・スミスの授賞式への出席を認めない』という、何とも中途半端な結論に達している。即ち、今回彼が受賞した主演男優賞も剝奪しないし、今後も彼はアカデミー賞にノミネートされ続けるのだ。
これでは、実質的にウィル・スミス自身にとっては、痛くも痒くもないのでは無かろうか。
これ迄にも、日本でよく見受けられた‘玉虫色の結論’そのものに思えて仕方が無い。

いずれにしても、ウィル・スミスとクリス・ロック双方にとって、今回のジョークも対する平手打ちも、何の成功はもたらさなかった。残ったのは、互いの失敗だけだ。

日米の見解差には、もう一つ考えなければならないことが有る。
それは、特に日本からの視線では、ウィル・スミスは一個人としては見ることが出来ないからだ。ウィル・スミスが姿を見せるのは、常にスクリーン上であって、その際の彼は、いつもヒーローと化しているのだ。
即ち、スクリーン上のウィル・スミスは、妻を馬鹿にされて黙って見過ごす様なことは決してないのだ。なので、ジェイダ・ピンケット・スミスを茶化され、舞台上に進み出た彼は、映画に登場するアメリカン・ヒーローでなくてはならないのだ。
従って、クリス・ロックに講義するウィル・スミスは、当然と思われているし、とった平手打ちという行動も、容認される傾向にあると思えるのだ。

ここで私には、結果論ではあるが一つだけ今回の騒動を互いの成功と為る方法が有ったと思う。それは、ウィル・スミスが壇上へ駆け上がった訳では無いことで考え付いたものだ。彼は舞台上へ、むしろゆっくりと進み出たと感じなくも無い。ということは、ウィル・スミスはクリス・ロックに舞台上から逃げて欲しかったのではないかと感じてしまうのだ。
もし、クリス・ロックが、悪戯っ子の様に舞台上を逃げ惑えば、それこそアニメ『トムとジェリー』と同じく、仲の良い喧嘩と為り、子供にも解かるコメディと化したと思うのだ。

その背景にはここ数年、日本でも多数観ることが可能に為ったメジャーリーグ(MLB)の存在が有る。
ピッチャーが危険球を投じた場合、アメリカでは決まってバッターがマウンドに詰め寄るのが決まりだ。対するピッチャーは、決して逃げることなくマウンド上に踏み止まるのが決まりだ。もし、マウンドから逃げたりすれば、最低でも所属チームから罰金が言い渡される。悪くすると、二度とMLBのマウンドに立てなくなる可能性もある。日本の投手の様にマウンドから逃げるという行為は、“弱虫(チキン)”のレッテルを張られることであり、ヒーローとしては欠格することと同じ意味なのだから。
その際に、忘れてはならないことが有る。バッターは必ず、凶器と為るバットを手放しヘルメットも脱がなければ為らないのだ。これは、既にボールを所持していないピッチャーと、同じ条件で対峙する騎士道の精神でもあるのだ。
もし、バットを手にしたままマウンドに行くと、審判から即刻退場を言い渡されることと為る。
私は、こうしたMLBの光景を見るに付け、これがアメリカの抗議法であり対決の姿だと思い込んでいるのだ。
多分こう感じている日本人は、私一人ではあるまい。なので日本では、ウィル・スミスを擁護する傾向が有る一因なのだろう。

今回の騒動で、一人だけ恰好良い行動をとり、成功した人物が居る。それは、黒人俳優としてウィル・スミスの先輩にあたるデンゼル・ワシントンだ。
デンゼル・ワシントンは、クリス・ロックを平手打ちして興奮冷めやらぬまま席に戻り、大声で罵倒し続けるウィル・スミスに駆け寄ると、こう声を掛け諭した。
「いいか、ウィル。
最高の状況にいるときこそ悪魔がやってくる。だから気をつけるんだ」
これ以上ない、実に的確で恰好良い言葉だ。正確には、恰好良過ぎる反則級のセリフだ。
この言葉は事実であり、ウィル・スミスは主演男優賞の受賞スピーチの中で、反省の言葉と共にデンゼル・ワシントンの言葉を引用し、兄貴分に感謝している。

私もいつか、デンゼル・ワシントンみたいな恰好良い言葉を、後輩たちに掛けることが出来る人間に為りたいと、改めて思った次第だ。
その為には、もっと本を読み、文章を書き続け、多くの素晴らしい言葉を身に付けねば。

失敗ばかりだった今回の騒動を、最も成功といえる着地を夢想してみた。

数年後、売れっ子のウィル・スミスは、再び話題作に出演し見事な演技でヒーローを演じ切る。
当然の結果として、アカデミー主演男優賞にノミネートされる。そして、受賞する。
授賞式に出席が許されないウィル・スミスは、オスカー像を受け取りに行くことが出来ない。
そこで、主演男優賞を受賞したウィル・スミスに代わって、クリス・ロックがオスカー像を受け取る。
そして、代理のスピーチで、
「ウィル、代わりに受け取ったよ。この後、パーティにも出ず直ぐに届けるよ。玄関、開けてくれよ。但し、今度はビンタ無しで頼むぜ。今度も俺は、逃げたりしないから。ウィルも逃げずに玄関で待っていてくれよ」

こんな展開は如何だろうか。

私には、こんな成功例しか思いつかない。

もしかしたら、デンゼル・ワシントンなら、もっともっと恰好良い成功例を思い付くのかも知れないが。

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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