メディアグランプリ

ショート小説『draw session』


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
※この記事はフィクションです。

不思議なほどの純粋さとてらいのなさ。
そういうものに触れて、僕はそれを尊いと思った。

そうして、多く人が思うようにまた、それが壊れるところを想像してみたりした。

あまりにも完璧に純粋な存在。そのことに気がついていない存在。
それが僕の瞳に当てられて、何かわずかな邪気を感じているのだ。
彼女がこの場を去ることは当然のことだ。間違いではない。

けれど、僕は筆を入れるたびに思う。
彼女はきっとこれから長い人生の中で少しずつ変わっていく。
その少しずつを想像しながら筆を乗せる。
それでもまだ、その瞳の中には、今にも消えそうになりながら、光が宿っているだろう。
“あの頃の君”がそのままそこにいる。
少しくたびれた表情で、けれども、その光をたやさない。そんな君を、いつか見ることができるだろうか。

出来上がったのは、僕の妄想だろうか。
けれど、きっとそうであったなら、なお一層美しいと思う、君の姿だ。
——————————————

「じゃあ、まだ一緒に帰れないの?」

もうスクールバックをからっていたサユリは、驚いて振り返る。

「もう少し描き込むみたいで……」

小声で答えると、聞き飽きたと言いたそうな顔をされた。これ見よがしに「はぁあ」と大きなため息をついてくるけれど、気が重たいのは私だって同じだ。今日こそは、先生にどうにか相談しないと……

『絵のモデルをしてくれないかな?』

中学校の選択科目で、私は迷わず美術を選んだ。けれど、まさか自分が描かれる側にまわるなんて想像もしていなかった。
賞に応募したいんだ、と先生は話していたと思う。これまでの作品もいくつか見せてもらった。それからたぶん、一ヶ月くらい。私は放課後の美術室に通っている。

最初は、単純に楽しそうだと思った。自分の絵を描いてもらうなんて、わくわくする。
いざ丸椅子に座って顔をあげてから、急に戸惑って、焦り出した。

いつもボソボソと小声で授業をする猫背の先生。女子たちは若い男性教師のことは何かと話題にするのに、誰にも何にも言われていなかった。
そんなヒラヒラと風に飛ばされてしまいそうな影の薄い先生が、キャンバスの前に座ると、何か雰囲気が違った。

じっと、私を見る目。静かな美術室。線を引く音。
視線、音。 視線、音。 視線、音。

ほんのわずかにパッと視線を向けられるだけなのに、じろじろと見つめられるよりも、その一瞬にとても正確に自分が描きとられていくような気がした。ずっと線を引く音を聞いていると、まるで自分の輪郭がなぞられているようで……

ーー先生からの頼まれごとだから、二つ返事で答えるんじゃなかった。

もし放課後の美術室に、美術部員も誰もいなかったとしたら私はとっくにこの役目から逃げ出していたかもしれない。いや、部員がときどき投げかけてくる視線は、それはそれで、いたたまれない気持ちになるのだけど……

ともかく、今日こそは、先生に言うのだ。
もうこれまでにさせてください、と。

* * *

外は晴れているはずなのに、美術室は暗いし湿った匂いがする。

「じゃあ、そこに座ってください」

描く前は顔も見ずにボソボソと話すのに、キャンバスに向かうと先生は急に目の色が変わる。そう思うのは私がおかしいのだろうか。

もう、絵は下書きを終えて、色塗りに入っていた。
カン、カン、と油つぼの中で、先生が筆をゆすぐ。

塗られて、また、塗られていく。
少しずつのせられていく色が、一体どんな色なのか私は知らない。
見えるのは、キャンバスの端から半分見える、先生の無表情だけ。やっぱり、顔を上げるたびにこちらを射抜いてくる視線が、どうにも落ち着かない。

ーーあぁ、そわそわする。

けれど、体のどこも動かせない。
いつになったら、この絵は仕上がるのだろう。やり始めたことなら、やっぱり最後までやるべきなんだろうか。賞に応募すると言っていたのに、モデル役を放り出したら、やっぱり怒られるだろうか。

頭の中はぐるぐるしていて、心はいっぱいで、手のひらに汗がためる。夏なのに、この部屋は窓を開けているだけなのだ。
どうしよう、どうしよう。ツーッと首筋を汗が流れていくような気がした。
そのとき、先生の目線が下の方へ流れて首筋へーーー

ーーッ!?

瞬間、 首元をおさえながら勢いよく立ち上がっていた。

「先生……! あの、私、モデル今日までにさせてください。これから期末試験もあるので、勉強したくて」

気がつけば、用意していたセリフを早口でしゃべっていた。
心臓の音が耳元でドクドクと鳴っている。乾ききった喉が痛い。

先生は、少しびっくりしたように立ち上がった私を見上げていたけれど、そっと筆をおくと、

「わかりました」

とだけ答えた。
それで終わりだった。ほんのそれだけで、私はまた、日常の学校生活へと戻っていった。

* * *

だから今日まで、あの奇妙な時間のことは本当に忘れていた。この三十歳の同窓会までは。

目があった瞬間に勢いよく立ち上がった女性は、すぐには心当たりのない顔だった。どうにか思い出そうと記憶を探っていたら、

「……わざとなの?」

と、短く一言。脈絡のない言葉に、より誰なのかがわからなくなる。

「私のこと、覚えてないか。美術部だったんだけど」

そう聞いたん途端に、パンッと記憶が蘇った。そうだ、あの子だ。私がモデルをしていたときに、美術室で絵を描いていた子。

「わざとって、何のこと……?」

そう尋ねると、彼女はじっと私を見た。おもむろにスマホを取り出して何かを検索し、差し出さしてきたページには、一つの絵が載っていた。

『第89回 国際芸術賞 優秀賞』

ーーこれ……

そこには、私が描かれていた。きっと間違えなく、先生の絵だ。
けれど、そこに載っていたのは、今の私にそっくりな絵だったーーーー

「あの頃は、全然似てないじゃんって……思ったけど。まさか、この絵をはじめて見たんじゃないでしょ……?」

スマホの画面から目を離さない私を見ながら、まるで幽霊に会ったように後ずさっていく。

似ている。本当に、今の私に似ている。
先生は一体どういうつもりでこんな絵を描いたのだろう。
あの頃の私ではなく、何年も経った今の私にそっくりな絵ーーー

大人っぽく落ち着いていると言えばいいのかもしれないけれど、どことなくくたびれた表情で、肌の色も少しくすんでいる。背景もモスグリーンで暗い。とても十代の女の子の絵には見えない。

けれど、その瞳だけは妙に惹きつけられる。こっちを真っ直ぐ見つめるような瞳には、真っ白な光が入れられていて、暗い絵の中で、それが夜行性の動物の瞳のようにみずみずしく光って、ずっとこちらを見ている。

あの頃逃げてしまった、先生の視線。
先生のあの目は、あの時、何を見ていたのだろう。

中学生の私の中に、いったい何を見つけたのだろう。
そうして、今の私には、この絵の瞳の白い光のような強さがあるのだろうか。

記憶の中、じっと射抜くようで少し怖かった先生の視線を思い出す。

あの時、逃げたいと思った瞳を今見つめ返してみたら、そこには何が映るのだろうか。
今ならきっと、見つめ返せるのに……
いいや、今だからこそ、見つめ返してみたいのに。

そんなことを、思うのは、私が大人になったからでしょうね、先生。

***

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2022-06-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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