嫌いな父の存在
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記事:TOMOMI(ライティング・ゼミ8月コース)
「お父さんの体調、よくないんだわ」
母からのラインにはそう書いてあった。
すぐさま、電話をかけ、父の状態を聞いた。
毎年、健康診断をしているにもかかわらず、思ったより病気は進行していたらしい。
手術をすれば大丈夫と言われたらしいが、父は高齢を理由に手術を拒んだ。
親の死が急に目の前に現れた。
信じられなかった。
自分の親と「死」というものは無縁のように思っていた。
いつまでも、親は元気なものだと思い込んでいた。
ショックだった。
私は、父が嫌いだ。
小さい頃から、特に父に厳しく育てられた。
長女だったからか相性からなのか、妹とくらべてもかなり私にだけ厳しかったと思う。
このことは、母も認めている。
小さい頃、髪の毛すら伸ばさせてもらえなかった。
幼稚園の時、七夕の短冊に「髪の毛がのばせますように」と書いた記憶がある。
髪の長い友達がとてもうらやましかった。
髪の毛だけではなく、ささいなことでも父親がダメだというものはぜったい許されなかった。
意見が対立しても、大きな声でどなられるだけで決して認めてもくれず、たとえ父が間違っていても誤りもせずという人だった。
中学生の時に頼み込んで初めてのコンサートに友達と出かけた。
11時には帰るように言われていた。
コンサート会場からはバスに乗らなければならなかった。
大勢の人たちの中、なかなか乗れなくて、帰宅は11時を過ぎていた。
玄関を開けると、わけも聞かずにいきなり怒鳴ってきた。
こちらには、こちらの言い分がある。
寄り道して遅くなったわけではない。
けれど、それを言ったら、口答えをしたとみなされ頬をたたかれた。
後にも先にも暴力を振るわれたことは、この時だけだが、私の中ではいまだに恨みに思っている。こちらの話をきかないでたたくなんで、許せなかった。
自分の部屋で、「あんなやつ死ねばいいのに」と思い悔しくて泣いた。
大企業の上の人間だったからなのか、人を見下したようにしゃべるところも嫌いだった。傲慢な人だった。
特に母親に対しての言い方は横柄で、
会話を聞いていると、子供ながらに腹が立った。
反抗心から、「結婚相手は、絶対見下されないような人にしてやる!」と思っていた。
毎晩、アルコールを飲んでいて、酔っぱらうとさらに声が大きくなって威圧的になるのも嫌だった。おかげで、私は親だけに限らず、今でも酔っぱらいが大嫌いになってしまった。
私と母が言い合いをしていると、だまっていることができず、関係ないのに大声て参戦してくるような人でもあった。子供ながらに、「男のくせに女のケンカにはいってくるなよ」と思っていた。
嫌な思い出は山のようにある。
怒りがつもりにつもって、いつしか恨みに変わり、高校生ぐらいからは目もあわせたくないほど嫌いになっていた。話しかけられても、目をあわせないでそっけない返事しかしなかった。
結婚し、家をでて、やっと父親から解放されて心地良かった。
孫には、やさしくしてくれてありがたかったが、でも、私の今までの恨みが消えることはなかった。
昭和時代の父親というものは、このような人が多かったのは知っている。
うちが特別だったかというとそうではないのもわかっている。
でも、そんな父親が嫌いで仕方なかった。
親の介護を考える時、父親の介護はぜったい無理とまで思っていた。
それなのに、父親の病気を聞かされた時、心配でたまらない自分がいた。
今まで他人事だった死を突然目の前に突き付けられた今、
私の中に、元気に長生きしてほしいという思いしかないのである。
親が「存在」しているのは当たり前だと思っていた。
だから、昔の憎しみも怒りも消えなかった。
しかし、死が迫っている現実に直面した時、憎しみも怒りもぜんぶ一気に消えてしまった。
いままでのことなんてどうでもいい。
思い出されるのは、父親の良い記憶だけだ。
小さいころはよく外で遊んでくれた。
今考えると、高校生くらいになると、あまりうるさいことも言わなくなり自由にさせてもらっていたかも。
親の協力を得て一戸建てを買ったのに、その後いろいろあって引っ越す選択をした私の気持ちを理解し、協力してくれた。
私が大きな決断をするとき、反対することもなかった。
今思えば、親は絶対裏切ることのない存在であり、私はずっと彼らに守られていたのだと感じる。私を無条件に愛してくれていた。
そして、気付かなかったけど、父親の「存在」自体が、私たち家族に貢献してくれていた。
「存在」しているだけで、心の支えになっていた。
なくてはならないものだった。
昔、介護なんてしたくないと思っていた気持ちが吹っ飛んだ。
何もできなくてもいい、どんな状態になってもいい。
「存在」してくれているだけでいい。
そんな気持ちになるなんて驚きだ。
「父親がいなくなってしまったら」と考えると不安でたまらない。
私たち家族にとって、父親が「存在」していてくれることがどれだけ重要かがわかった。
私は自分が病気になってからずっと不安に思っていたことがある。
普通の人より早く死を迎えるかもしれない。
家族の助けを必要とするかもしれない。
そんな未来のことを考えると、不安でどうしようもなくなるし、怖くて眠れなくなることもある。
「迷惑かけるから嫌だな」「邪魔な存在と思われるかもしれないなあ」と心配もあった。
「寝たきりになってしまったらどうしよう」どんなに考えても答えがでない未来のことをずっと考えていた。
近い将来、親が助けを必要とするようになるかもしれない。
あんなに憎かった父親だが、迷惑なんて微塵も思わない。
「存在」してくれていること、生きていてくれることだけでありがたいと思える。
不思議だけど事実。
私自身も、きっと「存在」していることだけで家族の支えになっているのかもと、なんだか前向きに考えることができるようになってきた。
私も父親と同じく、決して完璧な人間じゃないし、へたくそな親だけど、でも生きていることで、家族に貢献できていると思えるようになった。
そしてそれは私だけじゃなく、夫や子供達も同じだ。
なにもできなくても、どんな状態になっても「存在」しているだけで、家族の支えになっている。
父の病気のおかげで
「存在する」「生きている」ってことはそれだけで、価値のあることだと気づくことができた。父が元気なうちに気づけて良かった。
次に父と会うときは、目を合わせて笑顔で会話できる気がする。
***
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