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人生観を変える国


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:紫月 涼帆(ライティング・ゼミ8月コース)
 
 
何も予定のない休日でも、一度は外出することに決めている。寒くなってきたこともあり、長めのソックスでも買おうと、市内の量販店に立ち寄る。小腹が空いてきたのでフードコートに行ってみたが、昼時で、案の定、家族連れでごった返している。
 
そこで、少し単価の高いレストランエリアに向かう。こちらも混んでいたが、行列の出来ていない店が目に入った。看板を見上げると、カレーとナンの店だった。気分ではなかったが、並ばずに済むことや、店先に置かれていたメニューの「チーズナン」が気になり、その店に入ることにした。
 
さて、店内は意外に広く、どのテーブルにも客がいて、満席であることが認識できた。一番奥のテーブルを案内されて、チーズナンセットを頼む。厨房に近く、ナンを叩いて伸ばす音や、明らかに日本語ではない言葉が飛び交うのが聞こえてくる。そして、早すぎず、遅すぎず、湯気が立つナンとプレートが運ばれてきた。「ちゃんと中で調理してます」感が実にいい。
 
早速ナンを手に取るが、熱すぎて一度皿に放り投げてしまう。気を取り直して、一口頬張った。小麦粉の甘みととろけるチーズが堪らず、「んまっ!」とガッツポーズ。そして目を開けた瞬間、壁にかかっていたモノクロの写真と目が合った。一瞬、口の中のナンを忘れる。「へぇ。久しぶりじゃん」 それは、早逝した愛妃のために建てられた墓廟、タージマハルだった。
 
20代後半に、南国の都市国家に住んでいた頃の記憶が一気によみがえる。週末になるとアセアン各地の観光地を飛び回っていたが、まとまった休みが取れて、選んだデスティネーションがインドだったのだ。有名人や芸術家がかの地を訪れ、「人生観が変わった」という話をよく耳にしており、異国情緒あふれる旅を期待していた。
 
しかし、結論から言うと、日を重ねても、なぜか期待したわくわく感は募ってこなかった。往路の機内食に始まり、さぞかし、カレー続きの食事だろうと想定はしていたが、本当に毎日三食、カレーがサーブされる現実は、想像以上に辛かった。また、どこを歩いても、道にあふれる自動車の多さと鳴りやまないクラクション、目的地など無さげに雑多に歩き回る人々や、所狭しと居座って動かない牛の群れ、そしてその糞のニオイに、ほとほとうんざりさせられた。
 
インドは世界遺産登録の多さでも知られた国だった。滞在期間中、できるだけ効率的に壮大な遺産群をこれでもかと見て回った。すべての建造物が偉大で、規模も想像を超えていて、かつての在りし日を思い描くと、その栄華はいかほどかと愕然とさせられたが、残念だったのはそれらがすべて遺跡だったということだ。あれだけの栄華を築きながら、今の世に何も引き継がれていないこの国の現実が悲しかった。
 
そして、そうした遺跡の入口には決まって子供たちの物乞いがいた。その時のガイドが言っていたことを今でも思い出す。「絶対に何も与えないでください。彼らの後ろには親がいます。中には、観光客の哀れを誘うため、親自らが子供たちの腕や足を折ることもあるのです。彼らのためを思うなら、絶対にものを与えないで」 子どもたちの目が悲し気で胸をえぐられた。
 
道中、にぎやかな行列にも遭遇した。事前に聞いていたお葬式で、ガンジス川に遺体を流しにいくのだという。観光客にも人気だというガンジス川の沐浴の現場にも行ってみたが、ただ、汚水にしか見えないガンジス川の水を恍惚と浴びている人々を見て、何も感じない自分が世界から取り残されたような気がしたものだ。
 
インドに行くまでは、旅というものは、何かしらの高揚感を与えてくれるものだと思っていた。しかし、ここまで冷めた、そしてすべてに悲しい旅も珍しかった。インドに来て、人生観を変えることが出来た人々に見えて、私に見えなかったものは一体何だったのだろう。
 
そんな中、唯一、美しいと思えたのがタージマハルだったのだ。誰でも一度は教科書等で目にしたことのある写真そのままに、その墓廟は立っていた。当時の権力者であったシャージャハーンが愛するムムターズ王妃のために建てたものだが、大理石の経年劣化のため、絶えず修復作業が必要だという。タージマハルの修復作業は、若い職人たちの訓練場所にもなっていると当時のガイドが話していたのを覚えている。
 
現地の人気のお土産に、タージマハルを思わせる大理石に美しい彫刻を施した工芸品があった。私もコースターを一枚買い求めたが、もう20年以上も前の話だ。インドは、当時からGDPを4倍に跳ね上げ、世界から認められるIT大国にもなった。遺跡群の前に座っていた物乞いの子供たちの数も、今では大幅に減ったのだろうか。
 
いや、そもそも、考えてみれば、インドに行った時の話を思い返すのはこれが初めてではないだろうか。訪問した国を語るとき、テーマは大体「今まで行った国の中で一番良かったのは?」か、「もう一度行きたい国は?」で、インドが話題に上ることなどなかった。ニュースでもいろんなインドに触れてきたし、カレーだって何百回と食べてきたにもかかわらず、たった一枚のタージマハルが当時の記憶を引っ張り出したことになる。何もなかったインドへの旅も、実は奥深くに刺さるものがあったということか。
 
ナンとカレーの店の責任者は若く、現地の人らしかった。アクセントは外国人特有のものだったが、日本語も上手で、店のマネジメントもうまくこなせているようように見えた。客への気遣いも日本人スタッフ以上だっただろう。コロナ禍を、彼はこの異国でどう生き抜いてきたのだろう。
 
ふと思う。もしかしたら、20代後半の私にインドは早すぎたのかもしれない。今なら、あの頃に見えなかったものも見えるのではないだろうか。何の予定もなかった12月の一休日。人生100歳時代に向けて、叶えたいリストの一行目に新たな予定を書き加えた。
 
 
 
 
***
 
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