生きているかぎり、死ぬもんだ《週刊READING LIFE Vol.198 希望と絶望》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/12/19/公開
記事:冨井聖子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
朝、ふっと目が覚めると、お日様の光が、薄暗い部屋を少しずつ明るくしていく様子に出逢うことがある。
まだ覚醒していない脳みそを持ったままで、その様子を見守る。
そんな時間が、意外と好きだったりもする。
窓から差し込むその光が、私の方に伸びてきて、頬に当たって、少しだけジリジリとしてくるのだ。おひさまが、私の頬を撫でる。
「おはよう。朝だよ?」
と言われている気分になってくるから不思議。
あったかいなぁ……。
そう感じながら、今日も1日が始まるんだ。
布団から出て、キッチンに行くと、もう起きてる子どもたち。
元気に「おはよう」って言ってくれる。
その4文字で、子どもたちの機嫌までわかるから面白い。
いい夢見たのかな? 今日は元気だ。
今日は、いやなことがあるのかな?
まだ眠いのかな?
たった4文字が、すごい情報量だったりもする。
おいしい朝ごはんも食べて、小学校に送り出す。
洗濯機のスイッチを入れたり、洗い物をしたりしながら、全てが終わったころ、やっと1人の時間。
ゆっくりコーヒーを淹れる。
気に入ってる豆。気にいっているコーヒーポットとカップ。
そして、ゆっくりとお湯を落とす。
落ちるお湯が、豆をふわっと踊らせる。ふんわりと立つコーヒーの香り。
そんな何気ない毎日。
きっと状況だけ見れば「幸せでしょ?」と聞かれるし、世間がいう勝ち組のイメージは、これなんだろう。いい主婦代表? そんなイメージがある光景だ。
私自身、子どもが2人。しかも男の子と女の子に恵まれた。
ふたりともアレルギー体質なので、気をつけなくちゃいけない事は、多々あるけれど、それでも、大きな入院や大きな怪我をすることもなくここまできた。すくすくと育っているほうだと思う。
年齢はひと回り以上離れているが、夫もいる。彼は、毎日仕事に行き、毎日ほぼ同じ時間に帰ってくる。結婚当初は深夜までの残業もあったが、転職のおかげで、ほぼ定時に帰ってくるようになった。
一軒家に住まわせてもらって、大阪なのに車も二台。
しかも、私は自営業という形で20代から事業主をさせてもらってる。
23歳で結婚して、24歳、25歳のときに、子どもを産んだ。
あの子たちが18歳、成人になった頃には、私はまだ43歳。
まだまだこれからって自分でも思える。
状況だけ見たら、きっと「キラキラして充実した主婦」と言われるものなのかもしれない。文面だけ見たら、雑誌に載るような「切り取られた幸せ像」をなぞっているようにも見える。
これのどこに不安や不満があるんだろう?
そう、思われるのかもしれない。
だからといって、夫とは別に可もなく不可もなく、という仲だ。
仲が悪いわけではない、と思っているが真相は夫にも聞いてみないとわからない。
昔は仲が良かった、と言い切れるけど。
「誕生日プレゼント、何がいい?」
「わたし、ときめきが欲しい」
「コンビニに売っていればなぁ」
そう言われて、大笑いしていたのは、もう昔のことだ。今はそんなことはない。
子供たちが元気なこと。
夫も元気なこと。
夫のお仕事がまだあること。
私の仕事もあること。
そんな日常が、当たり前になったのか?
それとも、何かが足りないと初めて気づいたのか?
何故かわからないけど、そんな日々は、いつしかモノトーンの幻になったのだ。
はて、いつから変わったんだろう?
毎日を過ごす。
それは生きていくことなのだ。
でも、生きていくこと自体、希望なのか絶望なのか、実は、私にはよくわからない。
「生きてるかぎり死ぬもんだ」
そう祖父から教わって、ずっと生きているから。
小さかったからこそ、文字通りに受け取った。
私の祖父が10歳の時に、戦争が終わった。
そこから、復興まで、なかなかに過酷な時代だったそうだ。
祖父は北海道の田舎に住んでいた。農村部といわれる場所だ。
食べることに困る、というのはあまりなかったけれども、落ちてる鉄屑を拾っては業者に届けて、買い取ってもらったりしていた。そうしないと、現金は手に入らなかったから。
お金、としては持ってなかったけど、サツマイモやかぼちゃなど、そういったものを育てていたから、食うに困る、というのはなかったらしい。
その小さいときの記憶は、86歳になった今でもあるのだ。
だからこそ、いも、くり、カボチャは好きじゃない。
「その時に食べすぎたからな」と苦そうな顔で笑いながら教えてくれる。
ご飯に何か雑穀が混ざっているのも嫌がる。
白いご飯が大好きで、お刺身が大好きで、仕事があることが幸せ。
そんな祖父だ。
「健康と知識だけは、誰にも奪うことができない。でもな、生きてるかぎり死ぬもんなんだ。家は空襲で燃やされる。お金は、何かがあったら価値が変わる。
そんなものを当てにして生きるわけにはいかないんだ。
だから健康な体があって、知識があれば、何度でもやり直せる。何度でも立ち上がれる。
だからその2つだけは、絶対になくしちゃいけないんだぞ」
そんなふうに教わった。
うちの祖父の尊敬するところは、生きてるかぎり死ぬもんだと言った後に「だからこうしなさい」とか「だからアレしなさい」とかを言わないこと。
【だから】の後は自分で決めるところなのだ。
それぞれで考え方が違うって教えてくれる。
「生きてるかぎり死ぬもんだ。だから俺は精一杯生きる」なのかもしれない。
「だから今を生きる」なのかもしれない。
まだ、たった35年しか生きていない私に【だから】につながる答えは、まだ見つからない。
だから人のために生きるのか?
人のために生きようって思ったこともある。
自分を犠牲にしてもいいって思ったこともある。
けれど、どちらもやっぱりどこかで、つらくなってしまった。
きっと、その時々の最適だったのかもしれないけれど、人生の最適解では無いんだろう。
実は、「生きてるかぎり死ぬもんだ」と育った私は、生への執着が淡白だ。
でも、そんな私に「生きててほしい」と言った人がいた。
祖父でも親でもない。
他人から、そんなことを言われたこと自体が、奇跡的な出来事だった。
私自身の感覚としては「死にたい」と常に思ってるわけじゃなくて「生きる理由がない」ってだけなのだ。
しかし、あまり理解されることがない。
子どももいるのに、この世に未練が少なめなのだ。
「生きてるかぎり死ぬもんだ」を、そのまま額面通りに受け取って
「死んだら、そこまでって、だけだなぁ」と思って生きている。
「明日死ぬと思って今日を生きよう」というキャッチコピーもあるが「ごもっともで」と思ってしまうのだ。
「やり残したことがあるでしょ? 悔いが残らないの?」
と聞かれることもある。しかし、やり残しがあったとしても「そこで退場」と神様が言ったなら、仕方ないかな、と思ってしまう。
生まれたからには、生きる運命にあって、確実に100%死に向かって進んでいるのだ。子どもでも大人でも、きっとそれは変わらない。
誰かが生きていたかった今日を、私は生きている。
誰かがあきらめた明日を、きっと私は生きるのだ。
地に足がついているような、ついていないような、ふわっとした私に
「生きてて欲しい」と言ってくれた。しかも、他人が、である。血縁じゃないのだ。
「素直になっていい」
「生きてるだけで価値がある」
「価値がない人間なんていないし、キミに生きててほしい」
「そのままでいい。そばに居てくれるだけでいい」
「キミが死んだら、僕はきっと生きているけど、心は生きていけない」
私は「生きてるかぎり死ぬもんだ。だから……」の続きは知らない。
けど、そう言ってくれる人がいるから、生きていようと思える。
こう言ってもらうこと自体が、生まれてきた意味、とは思わないけど、生まれてきた意味の1つかもしれない、と思えるのだ。
先日見たワンピースという国民的アニメで、かなり衝撃的な技があった。
相手の悲しみや後悔の残る部分を、幸せな幻に変換して見せて、その幻に浸ってる間に攻撃をする、というものだった。
幻に浸ってる間は、確かに幸せなのかもしれない。
人間って誰しも後悔がある。
こうだったらよかったのに、とか。
こうしたらよかったのに、とか。
「あの出来事があったら今がある」と思えるのは、その【今】が幸せだからだ。
本人がふりきってしまったからだ。
そこまで行きついて、はじめて言えることなんだと思う。
でも、その後悔が、幻の中のように、後悔にならなかったら?
きっとそれは、その人が選ばなかった未来なのだ。選ばなかった生き方なのだ。
だからこそ、幸せと感じるのかもしれない。
だって、まだ見ぬ道だから。その道が幸せに続いている確信はないけど、幸せだったかもと希望はもてる。
でも、アニメの中では、いつまでも幻の中には居られない。居たらやられてしまうのだ。
幻から覚めたら、また後悔した現実を突きつけられる。
何度も、何度も、喪失を味わうことになる。
失ってしまった人に幻なら会えるけど、目が覚めたら、やっぱり居ないんだと感じてしまう。幸せだった思い出とともに、失った瞬間の痛みも、同時に思い出してしまうから。それは、何度味わっても慣れないし、慣れてはいけない感覚かもしれない。
死んでしまった人にも、幻なら会えるけど、目を開けたら、その人がいない現実は続いていく。居たときのうれしかった記憶を思い出して、ほっこりするかもしれないが、また失う怖さまでも思い出してしまう。
幻なら、隣にいて欲しいと恋願う人にも会えるけど、現実はもう手が届かない人だったりもする。なかなかに残酷な技だな、と思ってしまったのだ。
生きているかぎり死ぬのは事実だ。
そこに後悔があろうと、なかろうと、不老不死はないのだから。
そんなときにふっと思う。
もしかしたら、【死ぬからこそ……だから……】を探すのが人生なのかもしれない。
出逢いの1つ1つに「生きててよかった」と感じられるから、今日を生きる人もいる。
毎日、毎日、生きててよかった、と思うことはないけれど。
ふっとした瞬間に感じるんだ。
「あっ、生きててよかったかも」って。
その思いが、ふわふわと積み重なっていくように思えるのだ。
あの人にまた会いたい。そう思える人が周りにいること。
その人の笑顔や会話が思い浮かぶこと。
ケーキを食べに行って、今度はあの人と来ようと思い浮かぶこと。
一緒に見たいと思える風景があること。
迷惑をかけあってもいいよね、と、笑い合える人がいること。
強がらなくていいよ、と言ってくれる人がいること。
私も同じように「弱っているあなたのことも好きだよ」と言えること。
その人の前でなら、素直になれる、と思えること。
そんな出逢いと別れが、折り重なって人生をつくっているような気がしてくる。
あふれるほどの光の束に包まれた街。
そこで大事な人に出逢えたこと。
空に見えるこぼれ落ちそうな星。
それを見せたいな、と思える人がいること。
眼下に見える人の生き様というネオン。
その夜景を見下ろすなら、あなたと一緒がいい、と思えること。
満員電車に乗らなきゃいけない。
そんな憂鬱なときでさえ、あなたが隣にいてくれたら、きっと二人だけの空間と思い込むことができるかもしれない。
朝、ゆっくり落としたコーヒー。
一緒に飲む? と声をかけたい人がいること。
おはようと言うと、おはようと返ってくること。
おやすみと言うと、おやすみが返ってくること。
そんな「誰か」がいなかったとしても、私たち人間は一人で生きてはいないのだから。
おにぎりひとつでも、自然に寄り添いながら、お米を作ってくれた人がいる。
それを炊いておにぎりにしてくれた人がいる。工場であっても、その機械を動かしている人がいる。
ひとりで生きているような錯覚にとらわれることもあるけれど、きっと誰かの支えがあって生きているのだ。
生きてるかぎり死ぬもんだ。
だから……に続く答えは、やっぱり持ち合わせていないけど
「生きてて、よかったかも」と思える瞬間をたくさん集めていきたいな、と思うのだ。
集めているうちに、何かの答えにたどり着くかもしれないのだから。
□ライターズプロフィール
冨井聖子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ、北海道育ち。
15歳以上年上の夫と小学生二人の母でもあり、個人事業主として独立している。
料理教室のかたわら、コラムニストとしても活動中。
戦争経験者である祖父から大きな影響を受けて育ち、「俺の娘はお前だな」と祖父に冗談で言われるほどである。
等身大で悩み、向き合い、言葉にしているコラムは、男女問わず支持されている。
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