メディアグランプリ

「あんた」と呼ばれ続けて


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記事:平沼仁実(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「先生、どうしますか」
具合の悪い患者を前に、看護師から何度も声がかかる。
私は、ただただ無力だった。
 
私が医師を志したのは、田舎の町医者だった祖父の影響だ。
内科医だが、子どもも診るし、呼ばれれば往診もする。
地域の人たちのために働き、信頼される姿に憧れて、私も祖父のような医師になりたいと思った。
 
子どもから高齢者まで、とにかく何でも診る。まずは何でも相談に乗る。
病気だけでなく、そのひと全体、家族や生活背景、地域まで診る。
その診療に「家庭医療」という名前が付いていて、家庭医療が専門の医師を「家庭医」と呼ぶ。
医学部6年生の時にそのことを知った私は、家庭医になろうと決めた。
 
医師国家試験に合格すると、将来進む専門科に関わらず、まずは「研修医」になる。
内科や外科など様々な科を回りながら、入院患者の担当医として働く。
それが研修医の主な仕事だった。
 
私のいた病院では、研修医が「主治医」となり、その上に指導医が付いていた。
当然のことながら、研修医の判断では何も決められないし、決めてはいけない。
どんな検査をするか、治療はどうするか。
一つ一つ、指導医に相談しながら決めていく。
 
それでもあくまでも主治医は、研修医である自分だ。
医師になった途端、いきなり「先生」と呼ばれ、看護師からは薬の処方や注射の指示を、患者や患者の家族からは病状説明を求められる。
実際には、何かをする能力も、決める権限もないのに。
そのギャップがとても苦しくて、病棟のトイレで泣いていたこともある。
 
遅くまでひとり病棟に残って仕事をしていた、ある夜のこと。
担当の患者の病状が悪化した。
「先生、どうしますか」
看護師から判断を迫られる。
患者を診察して、評価する。最終判断は、指導医に仰ぐ必要があった。
しかし、指導医はすでに退勤していて、そこにはいない。
 
指導医に連絡をする。
その指導医はなぜか、携帯電話の番号を教えてくれなかった。
分かるのはポケベルの番号だけ。
ポケベルを鳴らし、コールバックを待つしかない。
 
折り返しの電話はなかなかかかってこなかった。
待っている間にも、何度も看護師から声がかかる。
「先生、どうしますか」
夜はなかなか明けなかった。
ただただ無力だった。
 
研修医を終え、「家庭医」として働き始めたばかりの頃。
その人は進行した癌を患い、手術などの治療ができない状態だった。
通院も難しくなり、私は家庭医として、彼の家に訪問して診療する「訪問診療」を行うことになった。
 
初めて会った日から、彼は私を「あんた」と呼んだ。
 
そして私からの提案には何も乗らなかった。
腹痛などの訴えに対して、診察して、薬の処方を提案する。
しかしどんな提案をしても、「薬漬けになりたくない」「そんな薬は効くはずがない」と言って、何一つ首を縦に振らない。
薬の処方どころか、血圧を測ったり血液検査をしようとしたりする度に、拒否された。
「そんなことして何の意味があるのか」と。
 
彼のところに行くのが苦痛だった。
行く度に自分の無力さを感じた。
 
けれど逃げられなかった。
何もできなくても、行き続けた。
 
訪問を続け数か月が経った頃。
「二本足で歩くことこそが、人が人たる所以だ」と言っていた彼も、いよいよ歩くことが出来なくなった。
診察を終え、帰ろうとした時。
ベッドに横になったまま私に向かって手を差し出して、彼は言った。
「先生、ありがとう。お願いしますね」
 
徐々に増していく痛み。
彼は、痛み止めの提案に同意するようになった。
 
亡くなって少し経った後、妻が私のもとを訪ねてきた。
遺書に家のことなど細かく指示があり、その中に「自分が死んだら先生のところにきちんとご挨拶に行くように」と書いてあったという。
 
彼はこれまでの人生において、「何でも自分で決めてきた」人だったのだ。
病気になり徐々に身体が衰えていく中で、自分でコントロールできないことが増えていくことへの葛藤や抵抗感が人一倍あったのだろう。
その気持ちを、医師を「あんた」と呼ぶことや、提案には乗らないという形で表出していたのかもしれない。
 
「あんた」と呼ばれ続けた日々は、明けない夜の中にいるようだった。
ポケベルの折り返し電話を待つしかなかった、あの日のように。
 
「先生、どうしますか」
あの日看護師からかけられた言葉を、今度は自分自身でかけていく。
私はどうするべきか。
できることを探し続けた。
できることがなくても、そこに居続けた。
 
私を「あんた」と呼ばなくなったあの時。
彼は自分の病気のこと、そして医師である私のことを、初めて受け入れたのだと思う。
 
「これは私の専門ではない」「これは医師の仕事ではない」とは決して言わない。
家庭医の仕事は、外科医にとっての手術や、臓器別専門医にとっての専門的治療のように、「できること」を限定しない。
むしろ患者によって変化させる。
 
目の前の患者に向き合い、その時その人に何ができるか。
生き方や価値観を大切にしながら、できることを探していく。
 
できることが見つからない時もある。
それでも共に居て、共に考える。
 
明けない夜の中でも、光を探し続けるように。
 
 
 
 
***
 
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2023-05-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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