肚をくくったスタバの店員さんを見て思ったこと
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:カワハラチエコライティング・ゼミ6月コース)
彼は、片手にスプレー、左手にフキンを持ったまま、凍りついたように立ちつくしていた。
まだ若い。おそらく大学生ぐらいだろう。髪は長めで、黒いシャツとパンツにグリーンのエプロンを身に着けたその男性スタッフの視線は、ある一点にくぎ付けになっている。
お盆の初日、行きつけのスターバックスの店内は珍しく空いていてた。
入口を入ってすぐのところにある大きな正方形のテーブルと、そのまわりを囲むような形で置かれている広いソファー席には、誰も座っていなかった。
彼が見ているのはそのテーブルの上にある小さな黒っぽい物体だった。
私のすわっている席からは、私の視力が良くないせいもあり、物体の正確な大きさはわからないが、おそらくは3cmくらいのまるっこい形だった。
たっぷり10秒くらい、彼はそれを見ていた。
それからゆっくり、フキンとスプレーをまるでお守りででもあるかのように握りしめながら、おそるおそるテーブルに近づいて行った。
そしてまた物体から1メートルほどの距離を置いて、立ち止まった。
2、3秒じっくり眺めて、彼はその物体がなんであるかをとうとう確信したらしい。
そのうえで、それがスプレーとフキンごときでどうにかできるものではないと判断し、一時撤退を余儀なくされたようだった。
彼はくるりとテーブルに背を向け、カウンターの向こう、バックヤードに入っていった。
あー、虫だったんだな。
と私は思った。Gのようなまがまがしいものでないことは遠目にもわかった。
おそらくは小さめのカナブンだろう。すでにお亡くなりになっていることは、まったく動かないことからも明らかだ。
だが、私も虫は大嫌いで、幼稚園の遠足ではレジャーシートにのぼってくるアリが怖すぎて、しゃがんだままお弁当を食べている不名誉な写真が残っているほどだ。
彼の気持ちは痛いほどによくわかった。
だが彼は、ほかのスタッフさんに助けを求めることはしなかった。
しばらくして、彼が持ってきた新兵器はチリトリと、(おそらく店の外を掃除するための)デッキブラシのセットだった。
あれをどうやって使うんだろう?
私は息をつめて見守った。
彼も必死で考えているようだった。
柄の長いデッキブラシで虫(たぶん)を落とすには、テーブルのかなりの部分をブラシで撫でる必要があった。
さすがにそれには彼もためらいがあったのかもしれない。
しかしどうしても、ティッシュなどでつかむ勇気はなかったのだろう。
彼はなんどかテーブルをデッキブラシで撫でたのち、ついに虫を床に払い落とすことに成功した。そしてチリトリに収納した後、店外に出て行った。
その後、彼は急いで戻ってきて、ふたたびスプレーとフキンでもって、テーブルをきっちりと消毒した。
「がんばったね」私は心の中で彼に喝采を送った。
虫が平気な人にはわからないかもしれない。でも虫って、ダメな人は本当にダメなのだ。
たとえ相手がどんなに小さかろうとも、死んでいようとも、たとえティッシュ越しだろうとも。
きっと彼にとっては相当勇気のいる案件だったのだと思う。でも彼のプロ意識が恐怖を克服させたのだ。
彼の奮闘を見届けて店を後にしながら、私はもう20年以上むかし、娘が生まれたばかりのある夏の夜のことを思い出した。
当時我が家は私鉄の線路際の(本当に、石塀一枚へだてたところを電車が通っていました)古い日本家屋に間借りしていた。
始発から終電まで、特急、急行、各駅停車と電車が通過するたびにひっきりなしにミシミシと揺れる家だった。
台所の裏には駅のトイレがあり、忘年会シーズンには……いや、やめておこう。
おまけに完全に北向きの家なので、日中1、2時間しかまともに日が差さなかった。
娘はまだ生後2か月ほどで、こんな家で育てられるんだろうか、と不安に思っていた。
古い家なので天井裏にネズミがいて、夜になるとドタバタと運動会をしていた。
ネズミって本当に夜行性なのだなと変なところで感心した。
さすがに昼間に居住空間で見かけることはなかったが、ミルクが口のまわりについたままだった赤ちゃんが、ネズミにかじられて亡くなったという都市伝説を祖母によく聞かされて育った私は、いつもびくびくしていた。
ある日のこと、夜中に目が覚めると、どこからか、継続的に大きな物音がしている。
ハッとして耳をすませると、どう考えても私のベッドから2メートルほど離れたところにある、ベビーベッドのすぐ近くからしている。
とっさに
ネズミだ!!
と思った。ゴキブリならもっとカサカサして、静かなはず。
バタバタというその音は明らかに哺乳類だと感じた。
私はベッドからとびおり、まわりを見回し、今となってはスリッパだったか、丸めた新聞紙だった覚えていないのだが、何かをつかんでじりじりとベビーベッドに近寄った。
ネズミと戦ったことはまだなかったが、明らかに私より強い動物に思えた。
だってげっ歯類なのだ。
強烈なばい菌を持っているともきいていた。
噛まれたら死ぬかも。
でも死んでもいい。
私はどんなことがあってもこの子を守る。
そして思考が消えた。
ベッドのまわりをすり足でまわりながら、音の正体を探った。その音はどうやら、ベビーベッドの足元にある紙袋からしていた。
暑さのせいだけではなく、脂汗が流れた。
紙袋ごとたたきつぶそうか。でも破れたら飛び出してくるかも。
逡巡のすえ、紙袋をつかんでできるだけベビーベッドから遠いところへほうり投げた。
音はまだしていたが、敵は出てこない。
意外に臆病なのか。
「出てこいやー、相手になってやる!!」
その時点ですでにファイターズハイになっていた私は、思い切ってそばまでいって紙袋の中をのぞいてみた。
すると……
真っ黒なあいつがいた。
巨大ではあったが、ネズミではなかった。
紙袋がツルツルすべって、出られなかったのだ。
だから必死にあがいていたので、あんなに大きな音がしていたのだ。
そのあとそのGをどうしたのかは、なぜかまったく記憶にない。やっつけたのか、逃げられたのか……。Gだって震えるほど嫌いだけれど、ネズミと戦う覚悟を決めていたあとだったので、どうでもよくなったのかもしれない。
だが今でも、あのときの自分は肚をくくっていたなー、と思う。
それは飲食店スタッフとしての使命感かもしれない。
あるいは、生まれたばかりの子供に対する責任感かもしれない。
ただ何かを守ろう、と強く思うとき、人はきっと、本能的な恐怖にも立ち向かうことができるのだ。
***
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院書店「東京天狼院」
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00
■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168
■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」
〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325