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母とともに生きる


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:前田三佳(ライティング実践教室)
 
 
「お母さんにこれ以上働けって言うの?」
母が珍しくキレたあの日を憶えている。
社会人1年生の私と妹がお金を出し合いエプロンをプレゼントした、40年以上前の母の日のことだ。
「え? 何を怒ってるの?」
妹が問うた。
2人で選んだ薄い紫のエプロンはきっと母に似合うと思った。
「わからないならいいわよ。お母さんはもう寝ますから」
テーブルには赤いカーネーションが添えられたデパートの仰々しい箱と薄紫のエプロンが残された。
「何怒ってるんだろうね。アンタ何かした?」
「何もしてないってば。ミカちゃんこそ何かやらかしたんじゃない?」
結局わからぬまま、翌朝目を覚ますと母はいつも通りに「おはよう」と朝食を出してくれた。
「あ、ありがとう」
母はもういつもと変わらぬ優しい顔に戻っていた。
蒸し返すのも気が引けて、私たちは母の怒りをいつしか忘れていった。
あれから何年経つのだろう。
 
母は専業主婦だった。
きっと誰よりも普通の「奥さん」になることに憧れたひとだった。
なぜなら母の最初の結婚は「妾妻」としてのそれだったからだ。
大正14年、母は静岡市にある芸者置屋の長女として生まれた。
幼い頃から将来、置屋の跡を継ぐよう、芸事のすべてをたたき込まれたという。
小学校から帰ると毎日日替わりで舞踊、笛、三味線、鼓、長唄のお稽古。
稽古が嫌いではなかったが、ほかの子のように友達と遊んだり勉強したりしたかった母。
成績もよかったので教師は進学を勧めたが母親の「女に学問は要らない」のひと言で
進学もできなかった。
 
母が18歳になると母親が縁談を持ってきた。
しかしそれは妻としてではなく、ある資産家の「妾妻」としての縁談だった。
恋愛経験すらない母が見知らぬ男の妾となるのが嬉しいはずもない。
泣いて抵抗したが母親は聞く耳を持たなかったという。
やがて母は2人の子を授かるが、戦争が激しくなり引き継いだ料亭や置屋も廃業を余儀なくされ、母親も病死した。
母は昼夜を問わず働き続け、なんとか2人の子どもを育てた。
そして戦後シベリア抑留から帰国していた私の父と恋に落ち、紆余曲折ののち父と正式に結婚したのだ。
そして私と妹が生まれた。
母はよく言っていた。
「普通の奥さんになるのが夢だったの」と。
それは親が決めた道ではない、ようやく掴んだ堅気(かたぎ)の道だったのだ。
 
母は学歴が低いのを気にしていたが賢明で器用な人だった。
私が幼かった頃、買い物に出かけるとよく洋品店のショーウィンドウで立ち止まっていた。
じーっとガラス越しに子どものマネキンが着るワンピースを眺める。
「お母ちゃん、早く行こうよお」
「うん、ちょっと待っててね」
通る度にじーっと眺める。その繰り返しである。
そしてある朝目が覚めると、あの服が母の手にあった。
「どう? あててごらん。ほら! よく似合う」
そう言って満足げに微笑む母。
当時サラリーマンの父の薄給で贅沢はできなかった。
頭の中に服のデザインをたたきこみ、母が私のために夜中に縫い上げたワンピース。
何度も独学で子どもたちの服やセーターを作ってしまう母は魔法使いのようだと思った。
 
その一方で文字を読むことは苦手だった。
考えてみれば小学校が母の最終学歴なのだから無理もない。
父は良かれと思って毎月、主婦向けの雑誌「暮らしの手帖」を買ってきたが「読むのに時間がかかるからイヤ」と嘆いていた。
それでも妻としての役割を果たそうと母は努力を怠らなかった。
今でこそ手紙のやり取りは少ないが、昭和の時代妻は夫に代わって季節毎の便りやお礼状など何かと手紙を書く機会が多かった。
「こうして上手な人の手紙を取っておいて、真似するの」
裏が白いチラシで作った母手製のノートには、季節の挨拶やお礼の言葉などを書き写した文字がびっしり並んでいた。
ハガキの最後に父の名を書いて(内)と書く時が、嬉しいと言っていた母。
なんて、けなげな努力のひとだったんだろう。
 
そんなある意味万能の母を持つ私と妹は、すっかり母に甘えて育った。
たまには家事を手伝ってと言う母に「学生は勉強するのが仕事でしょ? お母さんの仕事は家事じゃない?」なんて生意気言ったことを憶えている。
確かに母は料理も手際よくうまかったが、なぜもっと手伝わなかったのか、あの頃の私に一発げんこつしたいくらいだ。
 
母の日にエプロンを娘たちからもらってキレた気持ちが今なら痛いほどわかる。
6人家族の、毎日毎日繰り返される終わりのない家事労働。
専業主婦だからこその悩みも怒りもあっただろう。
(1年1度の母の日だけ感謝するフリして、それでエプロンって!!)と怒りがこみ上げたのかもしれない。
家族の誰もが母無しではいられないクセに、思いやることができなかった。
母はずっと母のままで元気でいてくれると誰もが疑わなかった。
憧れの「普通の奥さん」の座も歳をとるにつれていつの間にか色あせたかもしれない。
 
そして家族が結婚や独立で順に巣立ち、母もようやくラクになったと思う。
さあこれから親孝行という矢先だった。
あっけなく母は膵臓ガンで逝ってしまった。
 
母の亡くなった歳を越えた今、母に謝りたいことがたくさんある。
それに今なら女同士、主婦の愚痴だって言い合えるのに本当に残念だ。
 
妻となり、母となり、子を育て、孫を持ち、その都度私は思った。
(お母さんはこんな気持ちだったのかな?)
(お母さんならどうしたかな?)
そうやって乗り越えていった気がする。
姿かたちは見えないけれど、きっと母はそこにいた。
そしていまだ私は母とともにいる。
これからもずっと。
 
 
 
 
***

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