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タイムカプセルにはオムライスが半分入っています


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:あき(ライティング・ゼミ9月コース)

9月の空気には夏の終わりと秋の始まりが同居していて、その曖昧さが、私の心を毎年不安定にする。

日常のふとした瞬間に、いつまでも褪せない記憶に捕まってしまう。闘病中の姿、医者から「これ以上の治療は……」と告げられた絶望的な瞬間、そして最後の会話。それらが一気に蘇り、周囲が夏の終わりを受け入れて新しい季節へと進む中、私だけが過去に取り残されてしまう。それが、母の命日が近づく9月なのだ。

そんな9月のある日のこと。

昼休みの終わり、研究室に戻る途中の窓の外に、薄曇りの空が広がっているのが見えた。ぎゅっと胸が締めつけられ、母の最後の日の記憶が立ち上がってくる。あの日もこんな空だった。病院からの電話に、足元が崩れ落ちるような感覚と共に職場を飛び出したのは30年以上も昔のことなのに、鮮明な記憶に体が震えた。

その時、視界の端に人影が映り、ぼやけていた現実が少しづつ輪郭を取り戻していく。記憶の中の顔がその人物に重なり、見覚えのある笑顔がはっきりと浮かび上がってきた。

水谷くん! どうしたの?

今日休みなんだ。いるかなと思って来てみた。久しぶりだね。元気?

懐かしい同級生が笑顔で登場したことが、苦しい記憶に引き込まれそうになっていた私を、現実に引き戻してくれた。水谷くんが、またしても助けてくれた。

「お昼ごはん、まだなんだ」と水谷くんが言うので、「じゃあ学食に行く?」と提案すると、嬉しそうに頷いた。外に出ると、柔らかな日差しの下で、思い思いに学生たちがくつろいでいる。30年前と変わらないキャンパスの風景の中、私たちも自然と昔と同じように並んで歩き出した。

卒業後しばらく連絡がなかった水谷くんが、結婚や転職を経て再び東京に戻ってきた頃に、母が亡くなった。私が30代に入ったばかりのことだ。お葬式を済ませた後の空虚感の中にいた私を気遣い、水谷くんがある日食事に連れ出してくれた。今はもうないが、青山にあったカフェで、水谷くんおすすめのオムライスを注文した。

だけれど、その時の私には1人前のオムライスを食べきる体力がなかった。水谷くんがさっさと空にしたお皿とほとんど手つかずのままの自分のオムライスを比べて、私は焦った。持て余す黄色の塊に目を落とすと、母の死が胸に迫ってくる。母を失った私は、情けないことに、オムライスさえ食べることすらできなくなってしまった。オムライスに心が圧し潰されるかのように感じて、息をするだけで精一杯になる。

その時だった。「これだけは食べられる? こっちは食べてあげるから」と、水谷くんの優しい声が私の耳に届いた。次の瞬間、私のオムライスにスプーンがざっくり入り、黄色い塊が半分無くなった。

水谷くんがまるで手品師みたいに思えた。だって、私が持て余す小山を、まるで大したことじゃないというように、一瞬で半分にしてくれたのだ。びっくりしたと同時に、心の重石が軽くなり、呼吸が楽になるのを感じた。

うん、と小さく答え、やっとスプーンを手に取った。

毎年9月になると、あの時の自分を鮮やかに味わい直す。母を亡くした痛みも蘇るけれど、母の死という「終わり」を改めて受けとめる。そして、母のいない世界に向かって歩き始められるようにと、水谷くんが重荷を半分にしてくれた思い出に、心が慰められるのだ。

ランチタイムのピークを過ぎて、学食のオムライスは売り切れていた。今日は水谷くんにオムライスを食べてもらいたかったという気持ちに後押しされて、「あの時は、オムライス1.5人前も食べてくれて、本当にありがとう」と、少し照れながらも感謝の言葉を口にした。ラーメンの食券ボタンを押していた水谷くんは、ちょっと記憶を探るような顔をした後、ああ、とふわっと笑った。「あきには大学の時たくさん助けてもらったから。いつもノート気前よく貸してくれたおかげで、卒業できたんだよ〜。本当にありがとうね」と懐かしむように言った。

そうなんだ。水谷くんの思い出のタイムカプセルには「あきのノート」が入ってるんだね。ノートを貸すなんて私には大したことではなかったけど、卒業に苦労した水谷くんにとっては大切な思い出なんだね。私のタイムカプセルに「半分のオムライス」が大事にしまわれているように。

いつもは1人で開けるタイムカプセルを、たまにはこんな風に友人と一緒に開けて眺めるのも悪くない。というか、すごくいい。

そろそろ次の授業だからと私が言い、じゃあ図書館にでも寄っていこうかなと水谷くんが言う。このやりとり、大学生の時もした気がして、思わず微笑んだ。

うん、じゃまたね
またね

次に会うのがいつになるかわからない。でも、私たちは18歳の時のように、また明日会えることを疑わない気軽さで、無邪気に手を振り合った。

夏の名残をほんの少し含んだ9月の風が頬を撫でる。一瞬だけ寂しさを感じたが、心の奥底でじんわりと温かさが広がり、満たされていく感覚に包まれた。水谷くんとの再会は、いつでも過去と現在を繋いで、私を未来に押し出してくれる。

図書館の階段を上っていく水谷くんの後ろ姿に、心の中で呟いた。

9月に会いにきてくれてありがとう

***

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