「良い子」の仮面をかぶって「親不孝」をつづけた私のこと
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記事:777(ライティング・ゼミ11月コース)
私は手のかからない子どもだったと思います。正確に言えば、手をかけさせない子どもで、いわゆる「良い子」でした。
しかし実際は、「親不孝者」でしかありませんでした。
私は中学校に進学したころから急に自意識が強くなって、自分のプライバシーを過剰に守るようになりました。しかしこれは小さな家庭では至難の業でした。
内面を見透かされ、それを話の種にされ、ときには注意を受ける。自分の部屋や心に、家族という気安さでずかずかと入ってこられる環境は大きなストレスでした。親にとっては当たり前のふれあいも、私にとっては耐え難いほどの干渉だったのです。
とは言うものの、家出する度胸はなく、親の庇護がなければなにもできない甘ったれでもありました。
そんな私が自分を守るために選んだ手段が、「問題を起こさない」ということでした。問題を起こせば当然叱られますし、下手をすれば監視の目がつきます。
反対に自分を出さず、見せず、おとなしく「良い子」にしていれば、かなりの部分で干渉を避けることができました。
高校卒表後は東京に進学し、念願の一人暮らしになりました。
この時点でほぼ完全に私のプライバシーは守れるようになったのですが、ひとたび問題を起こせば両親の干渉は発生しますから油断はできません。
私の生活に付け入る隙を与えないため、「良い子」をつづけました。
そうして帰省も電話もほとんどせず、両親との関係はいっそう疎遠になっていきました。
社会人になっても「良い子」を変えることはありませんでした。
もはや習い性で、自意識を持て余していた思春期が終わる前に親元を離れたせいもあって、健全な親子関係の築き方がわからなくなっていたのです。
私は仕事を口実にして、ますます実家に寄り付かなくなりました。
こんな私に、母がなにを感じていたのかを思い知らされる出来事がありました。
私がマンションの購入を検討した三十代後半、いくつか両親に調べてほしいことがあったのですが、思うように動いてもらえませんでした。それで私が電話で「自分でやるから、もうなにもしなくていい」と言ったところ、急に母が暗い声で「切るんだね」と返してきたのです。
唐突に「親子の縁を切るのか」と言われ、私は言葉を失いました。
「自分でやる」という言葉に他意はなく、ましてや縁を切るなんて考えたこともありませんでした。しかし母はそこまで思い詰めていたのでした。
この一件は、私が言葉足らずだったと謝罪して表面上は落ち着きましたが、私の心にしこりとなって残りました。
それから数年後、いよいよ「良い子」ではいられない、決定的な事件がおきました。
父が癌になったのです。それも最悪の結果も考えないわけにはいかない病状でした。
私が両親と疎遠でいられたのは、まだまだ会う機会があると気楽に考えていたからです。しかしその機会が永遠に失われるかもしれない事態になって、私は激しく動揺しました。
父は地元ではなく東京で手術を受けることになりました。入院生活は1カ月近く。身の回りの世話は、東京で暮らす私の役目となりました。
毎日仕事のあとは病院に飛んでいきました。普段なら疲れ果てているような過密なスケジュールなのに、自然と駆け足になっていました。
一分一秒でも早く、父の顔が見たかったのです。
「しっかり治ってほしい。長生きしてほしい」
そう願う気持ちは、一人で留守番をして親の帰りを待っていた子どもころの不安にそっくりでした。仕事中に抑え切れないほど気持ちが高ぶり、たまらず非常階段に飛び出して泣いたこともありました。
これが親子の愛情なのだと、はっきりと自覚しました。ようやく思い出したと言ってもいいかもしれません。
久しぶりに長い時間を共にした父は、私の想像以上に老いていました。体はいくぶん小さくなり、私より高かった身長も私のほうが高くなっていました。
病室で父は、自分の幼少期や学生時代の話をとりとめもなく語って聞かせてくれました。本来寡黙で物静かな人でしたが、人生で初めて大病を患い、不安だったのだろうと思います。
ベッドの縁に腰掛け、足をぶらぶらさせながら話す姿は、まるで小さな子どものようでした。しかも入れ歯をはずして話すので、口元がとてもやわらかく動くのです。私はいたいけな少年を見るような気持ちで父を見つめていました。
父が子どものように見えた瞬間はほかにもありました。
面会時間を大幅に過ぎたのでこっそり病室から私が帰ろうとしたとき、見送りはいいと言っているのに、ひょこひょこと廊下までついてきて看護師さんたちの様子をのぞき見た父の顔は、小さな悪戯を企む少年のようでした。
また術後、運動のため廊下を歩いていたときは、手術したお腹をかばうように体を少し傾けて、「ふう、ふう」とリズムをとりながら歩くさまが、健気な少年のように映ったりもしました。
父は私の三十年以上も人生の先輩ですが、それまでずっと見上げるように捉えていた私の父親像は大きく変わりました。
同時に母親像も変わりました。
母は父の入院日と手術日、そして退院日に合わせて上京しました。
非常にきっちりした人で、だらしない姿やくだけた姿を家庭でもほとんど見せたことはなく、いつも父の一歩うしろを歩くような女性でした。
その母が、「ずっとお父さんといっしょにいたいから」と言ってベッドのそばを離れず、まるで恋をする女学生のように目を輝かせて父と話し、軽やかに笑い声をあげる姿に、私は驚かされました。
人目を気にせず心のままにふるまう母を見たのは、これが初めてだったからです。
父の大病は、私自身も変えました。
父の退院後、度々こちらから実家に電話をかけて体調をたずねたり、体に良いサプリメントがあれば買って送ったりするようになりました。帰省する回数も増えました。
恥ずかしいかぎりですが、以前の私はこの程度のこともしていなかったのです。
一方、父と母からもメールや手紙がよく届くようになりました。
父の手紙には、読んだ本の感想や古書の収集依頼などが丸っこい字で書かれていたり、母の手紙には、私の健康を気遣いながら作家を目指す私へのエールが達筆な字で書かれていたりしました。
「ふたりの子どもでよかった」
父と母が深い愛情を持って私を育ててくれたことが、どれほど有り難く幸福なことか、人生の半ばをすぎてようやく心の底から感じられるようになりました。
長年、子どもとして顔も見せず声も聞かせなかったことが、どれほどの「親不孝」だったか。いまはただ後悔し、反省するばかりです。
しかしそうは言っても、私のなかの「良い子」はなかなか根深く、万事うまくやれているわけではありません。気恥ずかしさや照れ臭さから自分の気持ちを隠してしまうことは相変わらずあって、一番伝えたい言葉すら未だに伝えられていないのです。
ですが、もう「良い子」は必要ありません。
近々帰省する予定で、そのとき両親に伝えようと思っています。
謝罪と感謝、そして未来への願いを込めて、
父さん、母さん、ありがとう。
***
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