父が残してくれた最高のプレゼント
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:松本尚美(ライティング・ゼミ/9月コース)
「小川先生、小川先生。本日11時5分、女の赤ちゃんが誕生されました。おめでとうございます!」
父が勤務する中学校で、校内放送が流れた。昭和35年のこと。
それからはもう、授業にならなかったそうだ。「先生、赤ちゃんの名前考えよう!」
父は中学校の技術家庭の教師をしていた。自転車の組み立て方、木製の本箱作り、アルミ板を使ってのチリトリ作り、ミシンや洗濯機の修理の仕方等など。父は器用で、そのようなことを人に教えるのが得意だった。
幼い頃の私と母が、中学校の宿直室に泊まっている父に会いにいったことがある。今では考えられないが、男性教師が順番に宿泊して学校の夜間警備をしていた時代があった。
4歳くらいの私と母が顔を出すと、父は宿直室の横で自転車を組み立てていた。楽しそうだった。それを見て私は、「お父ちゃんは、自転車の組み立てが好きなんだ」と子ども心に思った。自転車の組み立てが楽しかったというより、妻と幼い一人娘が会いに来て、仕事をしている姿を見てくれたのが嬉しかったのかもしれない。これは今書いていて気がついた。
私が中学生になった頃、たった1度だけ映画に連れて行ってくれたことがある。
エミリーブロンテ作の「嵐が丘」と言う洋画だった。
雨が窓をつたい、風が窓を叩く。細かいストーリーは全く覚えていないのに、この場面だけが記憶に残っている。
今も嵐の中、窓を叩く雨音を聞くと「嵐が丘」の映画の一場面を思い出す。そして「この雨音と風の音が好き!」と思う。
写真が趣味だった父。中学校の部活でも写真部の顧問をしていたようだ。
自宅の隅に狭い、二畳くらいの写真現像室があった。「暗室」と呼んでいた。
私が小学生だった頃、暗室に入れてもらって写真の現像現場を見たことがある。
ネガフィルムに特殊な光を当てると、白い印画紙に何やら、じわじわと形が浮かび上がってきて少しずつ「写真」になって行く。面白かった。
できた写真を、父はいそいそと風呂場に持って行き、タライの水に浸す。すっばい匂いのする現像液。水道水をチョロチョロと出して時間をかけて洗い流していた。
父は喜びのそばにいつもいた。作品が生まれ出てくる創造的な現場。酸っぱい匂いが風呂場から漂って来るたびに、「次はどんな作品ができたのかな?」と私もワクワクしたものだ。
写真グループに所属していた父は、毎年のようにグループ展や展覧会に出展していた。
父が年を取ってから一度だけ搬入に立ち会ったことがある。独特の華やいだ雰囲気。父の背中が実に嬉しそうだった。
そして、学校を退職する数年前に陶芸にはまり、父は京都清水の焼き物教室に通いはじめた。
父の焼き物は、初めは分厚くゴツゴツして、いかにも素人っぽかった。しかしだんだん上手になった。たまに絵付けもしていた。父が鳥獣戯画図を真似して描いた「ウサギを投げとばす蛙の図」の大皿がある。なかなか上手にかけている。器用な人だった。
平穏な毎日が続いた。ところが。
中学校を退職してしばらくたったある日のこと。母と私の目の前で父が突然ぐったりし、意識を失った。「お父ちゃん!」何度呼んでも全く反応がなかった。急いで救急車を呼んだ。
父が運び込まれた病院から、仕事中の弟に連絡した。急いで駆けつけてくれた。
「このようにして、突然別れが来るのか! まだまだ時間は、たっぷりあると思っていたのに」覚悟を決めなければならないのか。
だが、不思議なことに父の意識が戻った。検査をすっかり終えて出てきた父はいつもと変わらない様子だった。
病院としては「色々と検査してみたが、取り立てて異常もないのでこのまま帰宅してください」との事だった。「入院して一晩様子を見必要もありません」
びっくりした。今でも不思議で仕方がないのだがこれが「天の計らいだった」と感謝している。
このことがあってから、「いつ別れが来ても良いように備えよう。後悔しないように」父との時間を大事にするようになったからだ。
「病気になってから介護をするのも親孝行かもしれないが、元気なうちに一緒に楽しく過ごして、良い思い出を作っておくのがいい!」
そう考えた私は、無理してでも時間を何とか工面した。自営業だからできたのだが、
父が通う陶芸教室に一緒に参加することにした。
細い階段を上っていく2階フロアの教室。窓が大きくて比叡山の連邦が一望できた。景色の美しい教室だった。
父と私は2人して比較的分厚いデニムのエプロンをつけ、粘土をこね、ろくろを回した。
まず作りたいものを絵に描くのだが、父は時に「ワイングラスのような形にしたい」だとか、「アラジンの魔法のランプのようなカレー容器を作りたい!」だとか。陶芸の先生を困らせていた。先生は、わざと顔をしかめながら「考えてみること自体が、新しい挑戦。面白い」と楽しみながら一緒に頭をひねってくれた。
父の「わがまま?」な側面に触れ、土の感覚を手で味わいながらの創作時間。
静かで豊かな時間が流れた。この時間を父と共有できたことが至福だった。
父が亡くなる前の最後の1年間は入院生活だった。規則により3ヶ月に1回は転院した。
最後の病院に変わる直前は、体力が落ちてもう寝返りもできないような状態だった。
新しい病院での、主治医との初顔合わせ。
「小川先生ではないですか?中学校の技術家庭の先生で、写真クラブの顧問をされていませんでしたか?」
なんと。その主治医の先生は、父が勤めていた学校の卒業生だった。当時の父のことを知ってくださっていた。
元生徒さんとの不思議な再会。「この病院に変わってよかった!」と嬉しそうだった。
翌日、家族でお見舞に行くと、看護師さんから「寝たきりで、寝返りも打てない状態。と前の病院から引き継ぎをもらったが、よく動くのでベッドから落ちそうです。危ないので柵を設けさせていただきます」父は教え子に出会った喜びで、少しだけ元気になった。「そのようなこともあるのか」と家族一同、びっくりした。
もとより人工的な延命措置は望まず、自然に近い死を望んだ父だった。
「もう危ないかもしれない」と個室に移動したその当日、父は亡くなった。
弟夫婦と甥夫婦、妻の妹。妻と長男そして長女の私。沢山の家族が見守る中、父は最後の息を引き取った。
モニターの異常に気付いてすぐに駆けつけた元教え子の主治医が脈拍をとり、光彩をチェックし、自分の腕時計をチラッと見た。死亡時刻の確認。父の死を告げたのは元教え子さんだった。これを「教師冥利に尽きる」というのだろうか。
苦しいことも山ほどあったと思うけれど、父の人生はよい人生だったと思う。そして、そう思えることこそ、父が私たちに残してくれた最高のプレゼントだ。
***
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