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「死」にまつわる想いの話


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:菊子(ライティング・ゼミ3月コース)
 
 
タロット占いのカードに、「死神」という死と再生を表すカードがある。カードの種類によって絵柄は様々だけど、骸骨の死神が今まさに目の前の命へ終止符を打とうとしている絵が描かれていることが多い。
カードを見ていると、死神と人間の、こんな会話が聞こえてきそうだ。
 
「お前もここでおしまいだ。最後に、言いたいことはあるか?」
「……はい。私はこれから死の世界へ参ります。ただ、心残りは『伝えられなかったこと』。大切な家族と仲違いをしたままここへ来てしまいました。もし叶うなら、言えなかった想いを、どうしても伝えたいのです」
 
――これは、私が想像した架空の話。
しかし、本当に「架空の話」だろうか。
現実にはこういった、「伝えられなかった」は至るところに存在するのではないか。
 
今回はそんな、「死」にまつわる想いの話を書いてみたいと思う。
 
 
私が子供の頃、母が動物好きで家には小鳥や猫が常にいた。小さい生き物は人間より寿命が短い。子供の頃から「死」は身近にあった。けれど、「死」は私にとって理解の難しいものでもあった。
 
もう、うごかない。
もう、かえってこない。
ただ、いなくなる。
 
それは、どこかとおくへいって、にどとあえないことと、なにがちがうんだろう。
てんごくにいけば、このこたちとまたあえるのかな。
 
私が10歳くらいの頃、家で生まれた仔猫が病気で死んだ。冷たく、固くなってしまった仔猫をぼんやり見ていると、母から「泣かないお前は薄情だ」といった意味合いのことを言われた。
 
薄情と言われてとても辛かった。悲しい気持ちがなかったわけじゃない。ただ、「死」というものがわからなくて、悲しみという実感にまでたどり着けていなかった。
でも、子供の私は、そんな形にならない想いを言葉に変換するすべも持っていなかった。
 
今ならわかる。
「死」がわからず悲しみの実感が持てなかったのは、
心が向き合えていなかったからだ。
「死んだら二度と会えなくなる」という現実に。
 
私の父は10年ほど前に他界した。
父は、亡くなるまでの2年間、何回か入退院を繰り返し、入院の時は大抵救急車で搬送されていた。初めて救急の連絡を受けたときは死を覚悟したが、集中治療室でなんとか命を取り留めた。
 
父はもう高齢で、私は「そういうことがあっても仕方がない」と、割り切っていたはずだった。ところが、救急外来の出口へ続く、人気のない真っ暗な廊下を歩くと、涙がぽたぽたと落ちた。
 
私、お父さんに死んでほしくないって思ってたんだ。
 
自分の気持ちなのに、自分で理解していなかった。
この時、「父はいつかいなくなる」現実とようやく対面した。
 
それから父は入院しがちになった。姉と二人で交互に病院へ通う。私は、父が「もう早く死にたい」と口にした時、深刻な雰囲気にしたくなくてわざと茶化した。みんないつかはあの世に行くんだから、そんなに急がなくてもちゃんと行けるよ。だからそんなこと言わないの。
 
我ながら、父の辛い気持ちも受け止めず、ひどい言い草だと思う。父は、「姉さんは、俺に死んでほしくないって思ってるみたいなんだけどな……」と、ぽつりと言った。
 
私も、思ってるよ。思ってるけど、そんなの言っちゃったら、お父さんが死んじゃうって、認めたことになっちゃうじゃない。嫌だよそんなの。
 
私は、この期に及んで父の「死」に、まだ向き合い切れていなかった。
 
ほどなくして、父は終末期高齢者を受け入れている病院へ転院し、その後すぐ昏睡状態になった。
 
父のむくんだ足をさすりながら話しかけた。数年前、二人でお墓参りに行けて嬉しかったよ。望んだような病院に転院できなくてごめんね。甲斐性のない娘で申し訳ないよ。
 
もう返事のできない父に、今までずっと言えなかった想いを、全部話した。
涙が止まらなかった。
今まで、父の前では絶対に泣かなかったのに。
 
父は翌日、旅立った。
勝手な想像だけど、父は私の本心を聞いて、なんとなく納得がいったのかもしれない。だけど本当は、ちゃんと会話ができている間に、伝えなければいけないことだった。勇気が、どうしても出せなかった。
 
 
「死」については、もうひとつ、心に強く残った出来事がある。
 
以前、勤務していた会社で取引先と電話で話していた時のこと。先方が、「……! 地震なので!!」と言って、突然電話を切った。向こうで大きめの地震があったらしい。
 
その店は今までほぼ取引がなかったものの、数百円程度の未清算が見つかった。私が担当を引き継いで、初めて電話を掛けたところでこの地震だった。
しばらくして電話を掛け直すと、驚いたけれど無事だったと聞き、安堵した。先ほど中断した清算の対応について話をして、電話を切った。数日後には明細が届くだろう。
 
その翌々日に、東日本大震災が起きた。
 
店の住所は宮城県で、地図で調べると海からとても近かった。
あの人は、無事だっただろうか。
一昨日は、普通に話していたのに。
 
掛けても繋がらなかったと思うけれど、この後一度も、電話を掛けることが出来なかった。どうしても確かめる気になれなかった。
 
この時知った。
明日も自分が生きているとは限らないということを。
 
そして思った。
いつかやろうと思ったことは、今、やらないと。
いつか言おうと思ったことは、今、言わないと。
「いつか」が来るとは、限らないから。
 
訪れる「死」と向き合うことは、命の限りある時間を大切にすること、無駄にしないことだと思った。
 
父の死も、震災も、だいぶ前の出来事になった。
だから、私は最近「後回しにしてはいけない」という思いが薄れてしまっていた。この記事を書いて、「今すべきこと」を、気後れしたり面倒がって先送りにしてはいけなかったのだと思い出した。
 
私の好きな言葉で、こんな一文がある。
マハトマ・ガンジーの名言だという。
 
 永遠に生きるかのように学べ。
 明日死ぬかのように生きろ。
 
いつかやりたいと願い温めている夢があるなら、今、一歩を踏み出して。心の奥にしまい込んだ大切な想いがあるならば、今、伝える勇気を。
常に学び続ける情熱を胸に抱いて、いつ何があったとしても後悔しないための勇気を持って、日々を生きてゆきたい。理想過ぎるかもしれない。でも、そう願う気持ちが大切だと思っている。
 
 
 
 
***

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