子供が巣立つ日、母が老いてゆく日――人生のバトンリレー
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:エバリン(ライティング・ゼミ3月コース)
子供が独立し、ようやく肩の荷を下ろしたと思った頃、今度は親の介護が始まる――。60代を迎えた私たちに訪れる、静かで深い人生の節目。そのとき胸に去来するのは、安堵と寂しさ、そして誰にも言えない葛藤でした。
88歳の母が、自宅の部屋で転倒し、大腿骨を骨折したのはこの春のことだった。その瞬間、私たち親子の生活は、静かに、しかし確実に大きく変わった。
母は定年まで、男性社会の中で“バリバリのキャリアウーマン”として働いてきました。「女だから」と言われることも多かった時代に、決して屈せず、自分の能力と努力で立場を築き上げた人でした。2018年にアルツハイマー型認知症と診断されたときも、同じ質問を繰り返すことや短期記憶の衰えは少しずつ進んでいましたが、生活の自立にはほとんど影響がありませんでした。
しかし今回の3か月に及ぶ入院で、状況は一変しました。骨折と長期入院、環境の変化は認知機能を一気に低下させ、母は今、車いすや歩行器で室内移動ができる程度になり、介護なしでは日常生活が難しくなりました。
なにより、母自身が「なぜ帰れないのか」という現実を理解できない苦しみに苛まれていたのです。
「どうして私は帰れないの? 家に帰りたい。今すぐ帰りたい」
そのたびに私は同じ説明を繰り返し、母はそのたびに初めて聞くような顔をしました。
入院中のある日、母は骨折していることを忘れたまま、車椅子から突然立ち上がろうとしました。医師からは「次に転倒したら命に関わる」と言われ、私は悩み抜いた末に、母を車椅子に固定することに同意しました。
母の自由を奪うことになると分かっていながら、それでも命を守るために選んだ決断。
心の中で何度も「ごめんね」と呟きながら、母の命を守るために、私は子としての責任を選んだ。
あの時の心苦しさは、今も私の中で消えていない。
話が変わります。先週、ヨーロッパへ移住した娘が、三週間ほど日本に一時帰国してきた。向こうでの生活にもすっかり慣れた彼女は、久しぶりに東京に戻り、まるでインバウンド客のように日本の食事やショッピングを楽しんでいた。
これまで私は仕事に追われる日々で、娘とゆっくり過ごす時間をほとんど持てなかった。しかし退職した今、やっと時間ができて、今回こそはと決めた。
娘が日本に滞在している間、できるだけ一緒に過ごそうと。そして実際、彼女が物心ついて以来、こんなに長い時間をべったりと一緒に過ごしたのは初めてだった。
再び旅立つ日が近づくと、私は娘が遠く離れていくことを寂しく思い、胸が締めつけられた。それでも、この短い一時帰国が私たち親子にとってかけがえのない貴重な時間となったのは確かだ。
私たちは、生まれた瞬間に母の体から切り離され、ひとつの命としてこの世に生を受ける。それが最初の“親離れ”だ。その後、成長とともに自我が芽生え、思春期、進学、就職、結婚と、人生の節目で少しずつ親から距離を取っていく。
親にとっても、それは“子離れ”の連続だ。やがて自分が家庭を持ち、子育てを経験するようになると、親はさらに一歩引いた存在になる。けれど、人生の終盤になると、再び親子の距離は近づいていく。老いが進み、今度は親が子に依存するようになるのだ。
そして、今回私が決断した「介護付き老人ホーム」への入居は、“人生最後の親離れ・子離れ”だったのかもしれない。
儒教の影響を受けた文化の中で育った私は、親孝行とは「親の老後の世話をすること」だと、どこかで当然のように信じていた。子を持つことの一つの目的は、将来自分の世話をしてもらうため――そんな価値観が、今も社会の根底にある。
けれど、人生100年時代。老老介護や介護疲れ、限界家族といった現実を前に、本当の親孝行とは何なのかを考えさせられた3か月だった。
自分ひとりで抱えるには限界がある。だからこそ、プロの介護の力を借りて、母が母らしく穏やかに暮らせる場所を選ぶことも、私にできる愛のかたちだと思いたい。
母は今、新しい環境で少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。昨日のことは覚えていなくても、今日の笑顔を見せてくれる。それが、私にとって何よりの救いだ。
人生は、「離れる」ことの連続なのかもしれない。けれど、その“離れ”の先にこそ、新たな形の“つながり”が生まれると信じて、私は今日も母のもとへ向かう。
母は今、老いという人生の最終章を生きながら、その姿を通して私にたくさんのことを教えてくれている。人の尊厳とは何か。幸せとは何か。支えるとは、見送るとはどういうことか――。
それはまるで、母から私への最後の“教育”のように思える。そして私もまた、いつか同じ道をたどる者として、どう自分の人生を閉じていくかを考える時期に来ている。
「終わり」を恐れるのではなく、丁寧に迎える準備をすること。母の背中から学んだその姿勢を胸に、私もまた、自分の終活を前向きに進めていこうと思う。
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