あとからおいしいもの
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:山本知歩(ライティング・ゼミ7月コース)
コーヒーは、熱いうちに飲むのがいちばんおいしい。
そう思っていたのは、つい最近までのことだ。
湯気の立つカップを前にすると、急かされるようにすぐ口をつける。やけどしても気にしない。むしろ、その「熱さ」こそがごちそうだと信じていた。冷めてしまったコーヒーは「失敗」だ。何かに夢中になって、うっかり忘れてしまった証拠のように見えた。
ところが最近は、冷めたコーヒーをあまり悪く思わなくなった。むしろ、「これも悪くない」と感じるようになってきた。
熱さがなくなった分、苦味がやわらぎ、舌にするりと馴染む。派手さはないけれど、心を落ち着けるような穏やかさがある。まるで、「今日はここまででいいんだよ」と囁いてくれるみたいに。
机の上のマグカップ
職場にいた頃、よく机の端に置きっぱなしのマグカップがあった。
朝の始業と同時に淹れたはずのコーヒーが、夕方近くになるとまだ半分残っている。メールのやり取りや会議に追われて、気づけばすっかり冷めてしまっていた。
以前の私は、それを見て「今日は失敗した」と思った。せっかく淹れたのに台無しにしてしまった、という気持ちになった。
けれどある日、夕方の光の中でその冷めたコーヒーを口にしたとき、ふと気づいた。
熱くはないけれど、落ち着いた味がする。
苦味が角を丸め、舌に静かに残る。
そのときの私は、なぜか安心した。
「ここまで頑張ったんだな」と、自分をやさしく肯定されたような気がした。
カフェの片隅で
休日、ひとりで入ったカフェ。文庫本を開きながらコーヒーを頼んだのに、読みふけっているうちにカップの中身はすっかり冷めてしまった。
気づいて慌てて口をつけると、やっぱり温かさは失われている。
けれど、本の世界に少し疲れた頭には、そのぬるさがちょうどよかった。
ほっと息をついたとき、窓の外には午後の光が差し込んでいた。
「熱さがすべてじゃない」と思わせてくれる瞬間だった。
友人の家のコーヒー
もうひとつ思い出すのは、友人の家で出された一杯だ。
話に夢中になっているうちに、カップの中のコーヒーは冷めてしまった。
それでも気にせず、ふたりで笑いながら飲み干した。
「ぬるくなっちゃったね」と友人が笑い、私も「でもおいしいよ」と返した。
あのとき、温度よりも会話の温かさのほうがずっと大事だった。
今思えば、あれもまた冷めたコーヒーの良さだったのだろう。
冷めたコーヒーと午後
冷めたコーヒーは、人生の午後のようなものだ。
朝のような勢いも、昼のような熱気も過ぎて、落ち着いた時間。
熱さを失ったかわりに、やわらかく広がる味わいがある。
若い頃の私は、いつも「熱いうちに」と焦っていた。
仕事も、恋も、人間関係も、すべてを勢いでつかみ取りたかった。失敗しても「それも経験」と自分に言い聞かせ、また走り出す。まるで熱いコーヒーをやけどしながら飲んでいたようなものだ。
けれど少し年を重ねると、考えが変わってきた。
熱いうちに慌てて飲まなくてもいい。冷めた頃に口をつけても、十分に味わえる。
「今でなければ」と思っていたことの多くが、実は「少し待っても大丈夫」なことだった。
午後の光に包まれるように、人生にも穏やかな時間が訪れる。
体力や勢いは落ちても、その代わりに「冷めてなお残る味わい」を知ることができる。
人との関わりも同じ
人間関係も、若い頃は熱さを求めていた。
みんなと仲良くしなければ、と無理に輪の中に入ろうとしていた。たくさんの人とつながることが安心材料だった。
けれど今は、無理に熱くならなくてもいい。少ない人と、静かに過ごせれば十分だ。
冷めたコーヒーをすすりながら、穏やかに言葉を交わせる関係のほうが、むしろ心に沁みる。
仕事もまた
仕事も同じだ。
若い頃は「もっと」「早く」と自分を急かしていた。成長曲線を描かなければならないと焦り、夜遅くまで働き続けた。
でも午後になってわかるのは、熱さだけがすべてではないということだ。
失敗や迷いが積み重なった冷めた時間こそ、自分を支える力になる。
冷めたから見えるもの
冷めたコーヒーには、物足りなさもある。
「あの熱さが恋しい」と思うこともある。
けれど、熱さがないからこそ見える景色もある。
窓の外の午後の光。机に広がる静けさ。友人との笑い声。
そうしたものは、熱いときには気づけなかった。
もう少し長い人生を想像してみる。たとえば夕方や夜があるとしたら、そこではまた違う味わいが待っているのかもしれない。
薄暗がりで飲む冷めたコーヒーは、もはや飲み物というより「思い出」に近いのかもしれない。
若さの熱気が遠ざかり、穏やかな時間の中で過去を振り返る。そのとき手にしているのも、やっぱり冷めた一杯なのだろう。
だから私は、冷めたコーヒーをすすりながら思う。
これは「失敗」でも「残念」でもない。
ただ、そういう時間が巡ってきただけなのだ。
熱さを失っても、まだ味は残っている。
そしてその味は、以前よりもやさしく舌に沁みてくる。
冷めたコーヒーは、午後の人生に寄り添ってくれる一杯だ。
穏やかで、静かで、それでいて確かな温もりをくれる。
そんな午後を、私はこれからもゆっくり味わっていきたい。
***
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