小さな頭越しに見えるもの
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: 福乃 玲(ライティング・ゼミ名古屋会場)
「今度、ライブやるんだけど、来ない?」
仕事でご一緒している女性から声を掛けていただいた。
「行きます! 息子も連れて行っていいですか?」
思わずそう聞くと、
「もちろん、いいよ!」
と即答してくださった。
その方は、二足のわらじどころか、三足目まで履いている。
高校教師を定年退職された後も非常勤講師として教壇に立ち、私たちの仕事も手伝ってくださっている。
そして、もう一つの顔がある。
ジャズシンガーだ。
私はその方が大好きである。
豪快で、よく笑い、誰に対しても気さくで、それでいて人に寄り添える温かさがある。
ある日、
「明日からニューオリンズに行くのよ」
と聞いたとき、私はてっきりそういう名前のライブハウスか何かだと思った。
すると、
「ジャズの勉強!」
と笑われた。
本当にアメリカのニューオリンズへ行くのだという。
聞けば所属しているバンドは六つ。
週末はそれぞれのバンドでライブ活動をしているらしい。
「それって、もうプロじゃないですか」
と言うと、
「待ってて。あと少しで有名になるから!」
と笑った。
定年後も新しいことに挑戦し、好きなことに夢中になり続ける。
そんな生き方がとても素敵に見えた。
だから誘われたときは迷わなかった。
そして、せっかくなら息子にも見せたいと思った。
音楽を好きになってほしいとか、将来ジャズをやってほしいとか、そういうことではない。
ただ、人生を楽しそうに生きている大人を見せたかったのだ。
当日、息子と二人で電車に乗った。
夜の電車に乗るだけでも、息子は少し特別そうだった。
窓の外を眺めたり、駅名を読んだりしながら、
「まだ?」
「あと何駅?」
と聞いてくる。
ちょっとした冒険に出掛けるような気分だったのだろう。
会場に着くと、そこは普段私たちが行く場所とは違う空気だった。
照明は暗く、なんだか大人な雰囲気だ。
客席を見渡すと、お客さんも出演者も私たちよりずっと年上の方ばかりだった。
息子は少し緊張した顔で私の隣に座った。
やがて演奏が始まった。
ベースが響く。
ドラムが刻む。
そして、その方が登場した。
なんと、全身赤にトランプ柄の被り物をしている!
思わず笑ってしまった。
けれど、歌い始めると、その空気は一変した。
歌声は、ハスキーで、力強くて、それでいてどこか優しい。
そして何より楽しそうだった。
歌っている人も、演奏している人も、聴いている人も、みんな笑顔だった。
私はビールを飲みながら演奏を聴いた。
こんな場所で歌えたら気持ちいいだろうな。
好きな仲間と音楽を続けて、こうして歳を重ねられたら幸せだろうな。
そんなことを考えていた。
そして、ふと隣を見た。
息子は体をステージに向け、じっと演奏を見ていた。
真剣な表情だった。
私はその小さな頭越しにステージを見た。
この子は何を考えているのだろう。
楽しそうな大人たちをどう見ているのだろう。
格好いいと思っているのだろうか。
それとも音楽そのものに聴き入っているのだろうか。
あるいは、単に暗い会場が珍しいだけかもしれない。
私がこの子くらいの年齢だったらどうだっただろう。
こんな場所に連れて来られて、何を感じただろう。
退屈だっただろうか。
それとも何か心に残っただろうか。
そんなことを考えているうちに、ふと気付いた。
ああ、子どもがいるってこういうことなのかもしれない。
私はありがたいことに結婚してすぐに子どもを授かった。
だから、
「なぜ子どもが欲しいのか」
ということを深く考えたことがなかった。
また、子どもには子どもの人生があると思っているので、
「こういう人になってほしい」
という願いも、それほど強くない、と自分では思っている。
世の中には色んな景色があることは知ってほしいので、
できるだけ色んな場所に連れて行こうとは思っている。
だから、今回のような場所に息子を連れてきた。
でもどちらかというと、自分の人生と子どもの人生は別だと思っている。
だから正直なところ、子育ての醍醐味が何なのか、よく分かっていなかった。
けれど、その日少し分かった気がした。
もし一人でライブに来ていたら、
「私もあんな大人になりたいな~」
で終わっていたと思う。
しかし隣に子どもがいると違う。
この子はどう感じているのだろう。
何を考えているのだろう。
こう感じてくれていたらうれしいな。
そんなことを想像する。
そして、その想像の途中で、自分が子どもだった頃のことを思い出す。
私自身はどんな子どもだっただろう。
どんな大人に憧れただろう。
何を見て、何を感じていたのだろう。
子どもを見ているようで、自分自身を見つめ直している。
そんな不思議な感覚だった。
夫に対してはそうならない。
もちろん夫が何を考えているのか気になることはある。
けれど夫は完成された別人格だ。
一方で子どもは成長の途中にいる。
だからつい、その心の中を想像してしまうのかもしれない。
普段の私は忙しい。
仕事をして、家事をして、子どもを送り迎えして、一日が終わる。
子どもと同じものを見ながら、ゆっくり考える時間は案外少ない。
だからこそ、あの日の時間は特別だった。
ライブが終わり、息子と並んで帰りの電車に乗った。
息子は
「楽しかった!」
と目を輝かせて言った。
「どういうところが楽しかった?」
と聞いてみた。
けれど、あまりはっきりした答えは返ってこなかった。
でも
「また行きたい?」
と聞くと、
「行きたい!」
と即答した。
息子がどう感じていたのかは分からない。
もしかしたら何も考えていなかったのかもしれない。
遅くまでママとお出かけできたことが楽しかっただけなのかもしれない。
私が想像もつかないことを考えていたのかもしれない。
それでもいい。
ライブの帰り道、私の隣には息子がいた。
そして私は、その小さな頭越しに見える世界を、少しだけ楽しめるようになった気がしている。
いつか大人になった息子が、人生を楽しそうに生きている誰かを見て、
「格好いいな」
と思う日が来るかもしれない。
そして、そのときふと、赤い服に身を包み、楽しそうに歌っていたあのジャズシンガーのことを思い出してくれたらうれしい。
私にそんな時間をくれたジャズシンガーに、心から感謝している。
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