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「毎日何してるの?」と言われるアラフィフ子なし専業主婦の言い分《週刊READING LIFE Vol.361「フリー」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:maruha (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

「毎日なにやってるんですか?」

 

私が「アラフィフ子なし専業主婦」だとわかると、決まって返ってくる質問だ。ほとんどの場合、何の屈託もない子供のような眼で聞かれるので、自分でも一瞬「なにやってるんだろう私は?」とわからなくなる。

 

この質問をされるシチュエーションは意外と多い。久しぶりに会った友人や親族、美容院や整体などの軽い会話を必要とする場面など……

 

返答にも困るが「どこまで自己開示するか問題」もある。

「なんにもしてないですよ。でへへ」で済ますこともあるが、これは軽いウソだし、「ヒマでいいわね」と嫌味を言われる恐れもあれば、「大丈夫なの?」と心配される恐れもある。

 

「いろいろあるんですよ」とごまかすと、「例えばどんなことですか?」なんて会話を広げられても困る。いまだに正解がわからない。

 

もごもごしてると、「なんで働かないんですか?」という純粋無垢なド直球まで飛んできたりもする。

 

「働かない理由はこれでーす!」と一言で済む、芯の通った理由なんてない。ちゃんと答えようとすると1〜2時間はかかると思う。しかし、いちいち自分の挫折や病歴をパワーポイントで説明する勢いで話し始めたところで、相手もそこまで興味はないし、求めてもいないだろう。

 

そこでつい、「いや……体調がアレなんでフガフガ」と免罪符(体調)を理由にお茶を濁してなんとかしてきたことに、自分が一番モヤついていた。まるで悪いことをしているかのように言い訳をしてしまうのだ。

 

相手に悪気がない(多分)ことは百も承知。

なのになぜ私は、この質問に被弾したぐらいのダメージを受け、言い訳めいたことを言ってごまかそうとしてしまうのだろう?

なぜこんな反応を起こすのか。答えは、たぶん自分の中にある。

「(仕事もしないで)毎日なにしてるの?」という言葉は、無職の状態で聞かれると責められているように感じるもの……そんな人、きっと私だけではないはず。

 

聞かれた瞬間に「時間があるなら働けよ」と変換されてしまう。頭の中では、「働かざる者食うべからず!」という垂れ幕がはためく、ディストピアの風景が広がるのだ。

 

さらに脳内では、「架空SNSのコメント欄」が勝手に炎上しており、その火消しと謝罪に追い込まれた私が頭を下げているシーンまで見える。

 

ヒマがあるのに働いてない=悪。

そんな価値観が私の中に根付いているから、こんな反応を起こすのだと思う。なぜそんなことになってるのか? それを話すには、私のルーツまで遡る必要がある。よければ少し付き合っていただきたい。

 

まず「働かざる者食うべからず!」という確固たる価値観を作った、我がルーツの話をしたい。それは、四国の田舎町に生息する、母方の女性陣……私が勝手に「ハイパーマルチワーカー」と呼んでいる人たちの存在だ。

 

私の母を含め、母の姉妹、兄嫁、めいなど……

彼女たちは、人間の皮をかぶった超人なのである。

 

ダブルワーク、トリプルワークは朝飯前。家事、子育て、ジジババの世話、畑、地域のイベントまでぶん回す。みんな現在は70才前後になっているが、いまだに仕事や農作業、行事に出かけて行くぐらいパワフルな人も多い。

 

そんな超人たちの背中を見て育った私の脳内には、10代のころから「ダラダラしてるヒマがあったらタメになることをしろ」「生産性のないやつは人間失格」みたいな価値観が完璧にインストールされていた。

 

母はよく自分の妹や、従姉妹たちを自慢した。

「あの子は3つも仕事を掛け持ちしててすごい」

「妹は働きながら建築士の資格までとった」

「働きながら畑もやって、手作り梅干しや作物をいっぱい送ってくれる」

 

ティーンの私は「自分もそれを目指さなければいけない」とどこかで思っていて、そうなれると信じていた。しかし結論から言うと、私は彼女たちの足元にも及ばないミジンコだった。

 

社会人になってからの私はそもそも、「フルタイムで働く」というベース自体しんどかった。なんとか続けられる仕事を、気合で乗り切っているような状態だったのに、頭のどこかではいつも、「超人たち」を目指そうとしてしまっていた。

 

「無理のきく若さ」のみを己の武器として、フルタイムで仕事しながら、家事もやり、スキルアップのスクールに通いながら、料理教室や英会話、ペン字教室に行くタスクまで入れていた。

 

私の中の「超人を目指そうとする人格」は、なんとかやれてる皿回しに、どんどん追加の皿を渡してくる。すでにセルフ・デスマーチと化しているにもかかわらずやめられない。そんな状態を続けていた。

 

そんなある日、回す皿で両手と片足が埋まり、アゴやデコにも乗せて、「まだ増やせる」ともう一枚追加しようとしたところで——私は皿ごとガッシャーンと倒れた。

 

強制終了だった。

「無理なことは無理」ということを、体が不調と言う形で示してくれるまでやってしまう性分だった。

 

しかし、しばらく休んで、また少し回復すると、また皿を回し始める自分がいた。休養している間も落ち着かない。「何の生産性もない自分は迷惑でしかない」という思いが気を焦らせる。もはや自分が無理をしているのかしていないのかも自分ではわからないまま、性懲りもなく、ひとつ、またひとつと皿回しを始めている。(ここで気づけばいいものを……)

 

ある時はメンタルをやられ、またある時は体調不良によって強制的に終わる。

 

そんなことを長年、繰り返していたが、更年期が近づき、若さという武器が弱体化したころには、いよいよ心身ともに無理がきかなくなってきた。トドメには「自己免疫疾患」を発症し、リアルな全身の痛みという「肉体からの強制終了」を喰らってしまう。

 

それ以降は、週3のパートすら頑張れなくなった。身体に痛みがある上、更年期で自律神経もやられ、不眠などの不調も重なった。

「これはいよいよ本気で、回復するまで休んで治さないと」と、ようやく思った。

 

そんなこんなで、アラフィフになってから私は、完全専業主婦になった。ダンナも別に文句を言うわけでもない。元々私もダンナも「子どもはほしくない」という意見が一致していたので、子育てをするわけでもなく、私は完全な自由を手に入れた。

 

……はずなのに、仕事をやめても、脳内の「皿回し係」は常駐したままだったので「休まなきゃ」と「動かなきゃ」の葛藤状態が続いた。ヤツは、せっかくの自由時間を手に入れた私に、常にこう言い続けた。

 

「おい、ヒマなら資格でもとれ」

「やれることで小銭を稼げ」

「起業や副業の勉強しろ」

「梅干しを漬けろ」

「少しは役に立て」

 

ストレスを減らして心身の回復に専念するはずが、謎のタスクで1日はパンパンだった。それなのに1日の終わりには「今日も何もできなかった」という自己嫌悪にさいなまれる。

 

そんなしんどさを感じる日々を送っていたある日、私はまたしても限界を迎えたのだと思う。飼っている猫が、あちこちにゲロを吐いていて「またタスクが増えた……」と思った時に、イライラと絶望が混ざったような感覚に襲われた。

 

そしてゲロを掃除していて、ふとこんな疑問がわいた。

「待て、私は本当に”何もしていない”のだろうか?」と。

 

猫というのは、エサを早食いした時や、毛玉を吐くために唐突に「一番吐いてほしくない場所(ラグや布のソファ等)」にゲロを吐く生き物である。うちには2匹の猫がいるので、換毛期などあちこちに吐いてあったりする。1日に何回も掃除する日もある。誰も褒めてもくれないし、生産性もゼロだけど、絶対にスルーできない労働でもある。

 

よくよく考えてみると、ゲロの掃除だけではない。朝から名もなき家事をこなし、通院や、人生を立て直すためのなにかしらのインプット、こうして文章を書いたり……あえて口にするほどでもないことばかりだが、やっている。「何もしていない」のではなく、「言語化しにくいことをしている」のだと気がついた。

 

ゲロを吐いた張本人である猫を見る。こいつらは出されたエサを食べて、寝て遊んですごし、たまにゲロを吐くだけのカワイイ存在だ。なのに私はこの子たちを「生きてるだけで尊い」と愛している。

 

なのになぜ私は、自分の身体が悲鳴をあげたり、葛藤でしんどくなっているのに「他の人のようにできない自分」を許さず、裁いているのか?

 

無意識に自分に負荷をかけ続けていたからか、病気の症状も治りが悪く、追い詰められていたのかもしれない。このしんどさを解消するためには、現状の自分をありのまま受け入れるしかないという考えに至り、「もういいかげん、超人を目指すのやめてもいいかも?」とようやく思い始めた。

 

そして、私は降参した。

「母や親戚のようにはなれない」

「できない事はできない」

「なれないものを目指すのは諦めよう」

 

強制終了になることで、自分に合っていない生き方に気づき、それを手放すためには「自分と向き合う、何もできない空白の時期」が必要なのかもしれない。

 

その過程で、私は「母方の女性陣たちの生き方をなぞらないと、母に認めてもらえない」という思いがあったのだな、と気がついた。条件付きでしか認めてもらえないと感じるのは悲しいことだが、自分までも同じように認めないまま生きるのはさらにシンドイ。

 

世間から見れば「ヒマ=悪、サボり」かもしれない。けれどその価値観で行き過ぎると私のように心身が悲鳴を上げる状況になることがある。

 

「無職を続けるにも才能が必要」なんて言葉を聞いたことがある。

無職をやるには……世間体や将来の不安と戦い、精神的に病まず、低コストの生活に適応する力が必要だというのだ。言い得て妙だと思う。

 

なかなか完全には「ヒマですけど何か?」とはまだ言えないけど、今は「能動的にただ生きる」をやるという、これもまたエネルギーのいる大切な過程なのだと確信している。

 

私もまた、「このまま一生のらりくらりと生きるのか?」というと、そんなにタフではないと思う。何よりそのうち「ずっと何もしないこと」に飽きるだろう。現状を受け入れながら、自分にとって苦しい価値観を手放していく。無理しない生き方を定着させる。それに飽きてきたら、またその時にできることを「心地よい歩幅」ではじめればいい。(この記事を書いていること自体が、その第一歩であるように)

 

不思議なもので、「今は何もしなくていい」と認めたころから、ダンナの稼ぎで生活はなんとかなっている(低コスト生活だけど)。もし今後困るようなことがあったら、頑張って働くけどね。それでもまた、ぶっ倒れるような働き方は避けたい。

 

だから次に、「子なし専業主婦って、毎日なにしてるの?」と聞かれたら……

もう言い訳も、免罪符の提示もしない自分でありたい。

 

「”ただ生きる”をやってます」ぐらいは言いたいものだ。

猫のように生きたって、それを自分で許すことができれば、意外と問題はなかった。

 

そもそも、ブッダが「人生は苦である」と説いたくらいのこの世の中、寝て起きてちゃんと生きているだけで私たちは偉いのではないでしょうか?

 

ようやくそんな風に思えるようになった私。

かつて脳内にあった、ディストピア世界の教壇に立って、拡声器で叫びたいのです。

「ヒマは、悪や罪ではない!」と。

 

《終わり》

 

 

 

 

 

記事:maruha (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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