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私の帰る場所《週刊READING LIFE Vol.366「もう戻れない」》


 

 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事:立野 亜美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

もう戻れない。

6歳の私は覚悟を決め、お気に入りのリュックサックに、リカちゃん人形とそのお洋服、お菓子を詰め、自分の部屋を出た。

 

心の中では、今から冒険に向かう勇ましいBGMが流れている。

 

キッチンで夕飯を作っている母の後ろ姿に向かって

「今から家出する」

と堂々と声をかけ、玄関を開けた。

 

……そういえば、家出って、どこへ行けばいいんだろう。

 

さっきまでの勇ましさは、どこへ。

母から怒られたことを根に持ち、家出計画を立てたものの、行き場がない。

 

玄関の前で悩むこと、数秒。

私はやっぱり帰ることにした。

 

帰るも何も、家の敷地からは、出ていないのだけれど。

 

何事もなかったふりをしてキッチンに顔を出す。

「ほら、言わんこっちゃない」

と呆れた顔で母は言っていた。

 

祖母が笑いながら

「ヨーグルト食べる? 」

と聞いてくれたので、怒られたことも家出のこともすっかりどうでもよくなり

私はヨーグルトを美味しく食べた。

 

そして、この家だけはきっと知っている。

当時の私は、夜に、外でひとりになることが急に怖くなって、ビビったから。

だから、安心できる場所へ戻ったことを。

二階建ての一軒家、海の近くにあるこの家は、坂のちょうど真ん中に建っている。

夏になると、心地よい海風が窓から入ってくる。

逆に冬になれば日本海の荒れた風が容赦なく吹き付けてくる。

 

我が家は、ごくありふれた、一般的な家庭だったと思う。

 

春になれば、祖母と母と私の3人でお雛様を飾ることが定番で

 

夏になれば、父の運転で家族旅行に行く。

 

秋になると、家のモミジが咲いて綺麗な赤が映える庭になったし

 

冬になると、親が雪の中にミカンを埋めて、弟と一緒に探し当てるゲームをした。

 

小学6年生の時、私が修学旅行から帰ってきたら、

母の髪型がモワモワのパーマ姿になっていた。

 

修学旅行に行く前は、きれいなストレートのショートカットだったのに。

 

聞けば、パーマに失敗したのだという。

まさか二泊三日いないうちに母がパーマに失敗していると知らなった私は爆笑した。

 

そして、旅行用に買ってもらった使い捨てカメラの最後の一枚で母を撮った。

 

 

「さて、夕飯の支度をしようかな」

 

私の旅の思い出を一通り聞いてくれた母は、いつものエプロンに手をかけ

一階のキッチンへ向かう。

 

まだまだ話足りない私は、手伝うこともしないのに一緒についていく。

 

そしたら祖母もやってきて、祖母も一緒に夕飯を作り始める。

 

私は、母と祖母が話しながら夕飯をつくるこの光景が好きだった。

 

 

人は、ショックなことがあると、眠れなくなるらしい。

目がさえて、何度も何度も、同じこと、つまりは最悪の未来を思い浮かべていく。

 

夜がとてつもなく長く感じていた。

 

私の短大卒業を控えたある日、母がガン宣告を受けた。

余命は3週間。

 

私たち家族にとって、誰も、本当に誰も思ってなかったことだった。

 

予兆は確かに、あったかもしれない。

でも、本人が「大丈夫 」と言っていたので、それはきっと

“大丈夫”なことなのだろう、と思っていた。

 

何より、私は短大生活を謳歌していた。

学校の授業はどれも自分の興味のあることを学べて楽しかったし

好きなことが似ている気の合う友人たちと話すことが楽しかった。

 

まだこの時の私は、“親が病気になる未来”というものを想像なんてしていなかった。

 

20代になったばかり。

急に母の死に向き合わなければならなくなった。

 

これまでの楽しい時期から、

乗りたくもなかったジェットコースターに気付いたら乗せられていて、

一気にどん底の闇の中へ、急降下していくような気分だった。

 

最初の母の入院は3週間ほど。

 

これまでずっと、母は家にいるものだと思っていた。

 

私が学校の行事や友人との旅行へ行った時も

帰ってきたら、母はいつも「ただいま」と言ってくれたのだ。

 

安心して戻ることのできた家は、母がいない間、途端に不安定な居場所になってしまった。

 

それでも、母の頑張りと治療のおかげで入院から通院に切り替わり、

家に母がいる日々が戻ってきた。

 

 

だから、私たちも安心しきっていたのだ。

急降下していたジェットコースターは上っているときの方が、怖い。

この時はまだ、一番上まで登り切った状態のままだった。一番グラグラのこわいところ。

 

本当に急降下しはじめるのは、これから先。

 

突然、祖父が亡くなった。

まだ元気で、通院はしていたものの大きな病気はしていなかった祖父が。

 

お酒を飲んで、そのまま寝ていると思っていたら

意識を失っているらしかった。

祖母が異変に気付き、救急車がきて、祖父はそのままあっという間に

眠るように、亡くなってしまった。

 

祖父は、私が母のお腹のなかにいると知った時に、この家を建ててくれたのだ。

建築士だった祖父は、いつか自分の家を建てたいと思っていたらしい。

今の実家は祖父が設計した、いうなれば理想の家だったのかもしれない。

 

祖父がいつも座っていた場所がぽっかり空いてしまった。

 

でも、誰も座ろうとしない。

 

座りたくないわけじゃない。

そこは、今でもちゃんと祖父の居場所なのだ。

 

その10か月後、母が亡くなった。

3週間だった余命は、2年半に伸びていた。

 

母方の親戚や近所の方がたくさん、我が家にお線香をあげに来てくれた。

それはもう逆に祝いの席かと勘違いしそうなほど。

 

なぜか弟は、男だからという理由でお茶出しは免除され、

親戚のおじさんたちに囲まれて仕事の話で盛り上がっている。

 

足の悪い祖母は、叔母たちに来てくれたことへの感謝を告げて、

母との思い出話に花を咲かせている。

 

父は、葬儀会社の担当者と、親戚と、大事な葬儀の打ち合わせ。

 

みんな、余裕はなかったのかもしれない。

それでも、母のそばにいられることが羨ましかった。

 

なんで、私だけ。

なんで私だけが、キッチンと往復してひたすらお茶くみに徹していなければならないのか。

 

悲しむ時間くらい、くれよ。

 

ひとり、キッチンでやかんを沸かしながらひとり、泣いた。

祖母と母が賑やかに夕飯を作っていた大好きな場所が、私の戦場になってしまった。

 

ジェットコースターが一気に急降下し始める。

ぐるん、ぐるんと、大きな輪っかの中を廻り、真っ逆さまのまましばらくとまる。

 

母が亡くなってからの生活は、ガラリと変わってしまった。

 

掃除、洗濯、料理に町内会。

母が入院しているときもやってはいた。

でも、メールで近況報告できた。

 

どこに、なにがあって、こういう場合はこうして。

 

家にいなくても何かあれば聞ける状態と

もうなにも聞けない状態は、精神的な負荷が違う。

 

私のストレスはまるで自分の部屋の汚さと比例していく。

もともと片付けは苦手なタイプではあったものの、さらに

ぐちゃぐちゃになってしまった。

私は今の現実を生きているのか、いないのか。

よくわからない気持ちのままだった。

 

すべてが、どうでもいい。

 

部屋の天井を見つめ、ふと、思った。

 

なんか、家を出るタイミング、なくしちゃったな。

 

短大卒業近くに母のガンが見つかり、今では祖母のことも気がかりだ。

それに父は家事のすべてを私が担当だと思ってる。

 

まあいいか。どうせ。

 

自暴自棄になる日々が続いた。

6人家族だったこの家は、3人になってしまった。

 

本当は安心して過ごせる家が

急に負担として伸し掛かってくる。

 

私は、この日々を変えたかった。

もう一度やり直したかった。

 

本を読み、ジャーナリングをして気持ちを整理する。

朝5時に起きて、規則正しい生活をする。

部屋の中にあるいらないものを手放して、ちゃんと掃除をした。

 

最初は、大変だった。これまでの考え方を変えていくのは。

なにより、自分と向き合い続けるのはしんどい。

それでも、私は毎日この家に帰ってきて、何年も自分自身を変えるために

必死にもがいていた。

 

 

何年か経ったある日、部屋の窓を開け、ぼんやりと外を眺めていた。

青い空、風に揺れるカーテン、心地いい風が吹いてくる。

 

この家は、いつだって私の味方じゃないか。

 

ふと、そう思えた。

家のことが負担になる、重い、そう感じていたのに。

この家はただ変わらずに私を守ってくれていたというのに。

 

やがて、少しづつジェットコースターが緩やかになっていく。

 

最初は母の変わりに、家のためにやっていた家事が

いつの間にか自分の為へと変わっていった。

 

祖父と母亡くなってから15年ほど、私はようやく自分を立て直すことができた。

 

 

2026年、4月初旬。

ようやく春の日差しが心地よくなってきて、

ピクニックにでも行きたくなるような、そんな透き通るくらい綺麗な青空が広がる日だった。

 

市内にある火葬場は、海の近くに佇んでいる。

中に入ると白い壁、シンプルだけれど、ここが火葬場ではなければ

どこか高級ホテルのロビーのようなそんな雰囲気もある。

でも騒々しさはない、静かな空間がどこまでも、どこまでも続いている。

 

係の人がとても丁寧に説明して、私の祖母を連れていく。

 

「こちらで最後のお別れです」

 

これから私のおばあちゃんは、骨になってしまう。

引き留めることはできない。

 

ただ確実に時間が、私の気持ちや意志とは関係なく、そこへ進んでいく。

 

 

 

98歳、大往生だったと思う。

晩年は施設での生活になっていたけれど持ち前の明るさとコミュニケーションの高さと

本人のおしゃべり好きが高じて、楽しく過ごしていたみたいだ。

 

家に一緒に住んでいた時は、特に私が大人になってからは

日々の忙しさからなかなか話し相手になってあげられなかった。

 

日中、日がな一日家でテレビをみていた祖母を思うと

施設でいろんな方に囲まれて、おしゃべりする方が楽しかったかもしれない。

 

本人が、心の中でどう思っていたかはわからない。

もう、聞くことは出来ない。

 

私の実家も、海の近くにある。

火葬場とは、一本の道路で繋がっている。

海沿いを走るその道は、小さいころに祖母と車でよく通った道でもある。

 

「台所から海の風が入ってきて気持ちいいよ」

 

夏になると、祖母はよく言っていた。

 

私が生まれた年に、完成した実家。

私と同い年のこの家は私たち家族をずっと見守ってくれていた。

 

どんな時でも。

 

ついに、あの実家は父1人になってしまった。

 

私が結婚して家を出てしまったので、父は一軒家を持て余しているようにみえて

実は一人暮らしを楽しんでいるようにも見える。

 

一階にある祖父母がいたリビングにいたほうが、キッチンもお風呂も

一階にあるのだし便利だろうに、父はいまだに二階の私たち親子が過ごした居住スペースにいる。

 

でも、気持ちはわかる気がする。

 

自分のスペースは、もう決まっているのだ。

それ以外のところに座るのはなんだか、むず痒い。

 

 

久しぶりに、実家へ戻る。

ここ最近の温暖化の影響で、窓を全開にしていても風は入ってくるけれど

暑いむわっとする風だ。

 

仏壇には、3人の写真が並んでいる。

祖父母と、母と。

 

 

私は、お気に入りのエコバックに、

実家に置いたままだった、お気に入りの洋服を入れる。

 

父から、これ食べろ、と言われ持たされたお菓子の袋を持ち

昔は狭く感じていたのに、すっかり物がなくなってしまった部屋から出る。

 

とりあえず娘を見送ろうと玄関をうろうろしている父に

「じゃ、また」

と声をかけ、一歩外に出る。

 

夏の日差しがまぶしい。

 

私は坂の下を降りていく。

夫が車で待ってくれている。

 

坂の下を海の方へ向かってゆっくり下る。

 

あの時の日々はもう戻らないけれど

あの家だけは、すべての時間を刻んでくれている。

 

≪終わり≫

 

 

 

□ライタープロフィール

立野 亜美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

新潟在住。
日々の暮らしの中で感じたことや、心が動いた瞬間を文章にしています。

好きなものは、紅茶、かき氷、カフェ巡り、手帳時間。
最近は「自分らしく生きること」や「小さな行動が人生を変える瞬間」に興味があります。

不器用ながらも、日常の中にある感情や気づきを、等身大の言葉で書いていきたいです。

 

 

 

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