電車の中の水分補給
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:きんもくせい(2026年8月開講 ライティング・ゼミ福岡)
令和8年7月24日 金曜日
授業があるのは今日まで
子どもの頃の私は、夏休み前の最後の登校日が苦手だった。
自分でハッキリと自覚しているわけではないけれど、私は両親や兄妹、友達といった身の回りの人たちが気にしないこと(のはず)に、敏感に反応する子どもだった気がする。
夏休み前の最後の登校日が苦手な理由もその1つ。
昭和生まれにとって、夏といえば
「下敷きで あおいでは いけません!」
と注意する先生の目を盗んで、エアコンのない教室でパタパタと下敷きを団扇がわりに使うことが、ごく自然な風景だった。ともすると、かわいいキャラクターの下敷きは柔らかいから不便で、高学年ともなるとクリアな硬い下敷きを好んで使っていた。
それと同等に夏の風景として思い出すのは、終業式に突然体育館に響く、
バタン!!
体調不良で友達が倒れ、先生たちが駆け寄る風景。
前で話している校長先生の長い話はほとんど耳に入らず、その光景を見届けているうちに今度は自分の気分が悪くなるのだった。
この、つられて自分も気分が悪くなってしまう現象は年々恒例となり、中学2年生ともなると予見して、朝から憂鬱になるのだった。最終日になると行き渋る私に、母親はあきれて理由を尋ねるが、当然聞いてもらえないだろうと私は我慢して学校に行った。
楽しみな夏休みを迎えるまでの数時間。
体調不良者が出ず、終業式が無事に終わると初めて私に解放感がやってくる。友達と話しながら、『また1年。あの恐怖はやってこない』と安心するのと同時に、今度は些細なことに怯えている自分がおかしくなり、少しの申し訳なさを感じるのであった。そして、『理由を尋ねられても言わなくて良かった』と母親とのやり取りを振り返っていた。
時は流れて、令和3年。
コロナ禍による緊急事態宣言から少したった頃、ひょんなことから私は小学校で働くことになった。
長いこと家庭に入っていた私にとって、そこは様変わりしていた。
赴任したのは、開校100年を超える歴史にふさわしく、教室や廊下、そして体育館と変わることなく学校特有のにおいがする校舎の学校であった。
けれども、子どもたちには教科書、ノート、筆記用具に加えてICTの端末が一人一台割り当てられていて、黒板脇には大きな電子モニターが各教室にある。
若い担任の先生は、見事に自前のiPadを使いこなし(最近はさらに厳しくなり、個人端末で写真や動画を撮らないことを条件に、申請済のiPadなら持ち込める)、外国語の授業も当たり前のように行われている。エアコンが効いているはずの教室の気温が上昇しても、下敷きで扇ぐ子どもの姿はほとんど見かけない。
そういえば、クリアな硬い下敷きは両端を掌で挟んで動かすと、ポコポコと水が湧き出るような音がするだよなぁ。この音を一定のリズムでポコポコ鳴らすことが心地よくて好きだったなぁ。なんてことを思い出すも、その不思議なポコポコをどれだけの子どもが知っているのだろうと思うのだった。
そして、あの苦手だった終業式の風景。
体育館に全校児童が集まって、起立して校長先生の話を聞く美徳はすでに絶滅しており、耳に入ってこなかった長い話は、きれいに生成された画像と共に流れてくる。教室からの音声マイクは切ってあるので、校長先生の問いかけに答える子どもの返事は届かない。それでも、子どもたちは返事をして、姿勢を正して話に集中している。
『あの子、具合悪そうだけど大丈夫かな。先生、早く気が付かないかな』と、ハラハラして話が耳に入らない子なんておそらくいないだろう。令和の今ならば、私のあの恐怖は感じなくて済んだのにと思うのだった。
令和8年8月8日 土曜日
炎天下の街を歩き、運良く座ることのできた電車の中でハンディファンを使って顔を冷やしていた。目の前には優しそうな高齢の夫婦が座っている。同様に暑い中、座れてホッとしているのだろう。隣に座る旦那さんに奥さんが水筒の飲み物をキャップに注いで手渡した。とても、和やかで長年寄りそってきた空気がそこにある。水筒のキャップに注がれた飲み物を飲み干す旦那さんを見届けてから、同じキャップで同じように水筒の中身を奥さんが飲む。それを見て、私も鞄の中からコンビニのペットボトルの水を出して3口ほど飲んだ。『あぁ ぬるい。でも、おいしい』
目の前の光景を見届けているうちに、暑さよりも水のおいしさを感じていた。
≪終わり≫
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