メディアグランプリ

ラスボス同盟


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:吉田倫子(ライティングゼミ・2026年5月開講)

 

「田舎くさいな、この百合の花。近所の、いまいちな花屋のじゃない?」

ラスボス(最強の敵)が毒づいた。
百合は、少し遠い、母のお気に入りの花屋でわざわざ買ってきたものだった。

そう、私にとってラスボスは、母だった。私は、母のことがずっと嫌いだった。

半年ほど前のこと。
「あんた、新しく作った印鑑、持って帰ったやろ」
母にそう言われた。
「新しい印鑑って、それすら知らないし。持って帰るわけがない」
どれだけ強く言っても、母は納得しない。
「あんたがここから持っていったのを私は見た」
5回も6回も言われた。何か気に入らないことがあると、
「あんたがちゃんとしてないし」
すぐに私が悪者にされる。

そんな母のことは、昔から苦手だった。そのくせ、華のある人だった。美的感覚にも優れていた。人前に出ることも好きで、私が中学、高校と冴えない学生生活を送っているのをよそに、
「私だけやで。6年間、父母の会の役員やり続けたのは」
と、思いっきりエンジョイしていた。
ねたましかった。

大人になってからは、平気で2、3年、顔を合わせることもなく過ごしていた。けれど父が亡くなり、母が認知症になってから、そうも言っていられなくなった。90歳になった一人暮らしの母を見捨てるわけにはいかない。

「親だから」というより、人として。
心配だからというより、義務感で。
私は週に一度、母の家へ様子を見に行っていた。

そんな母も、私が右足を少し引きずっているのを見逃さなかった。調べてみると、母と同じ右股関節に異常があった。

「私と一緒やな」

人工股関節の先輩であるかのように、母は同じ手術を強く私に勧めた。手術の話はトントン拍子に進み、奇しくも母の執刀医が、私の手術もしてくれることになった。母にとっては、どこか喜びの混じった手術だったのだと思う。

ところが、私の入院する2週間の間、母をどうするのか問題が浮かび上がった。ケアマネジャーは、1人暮らしの高齢者のリスクを考え、定番のショートステイを強く勧める。ところが母はショートステイが、
「絶対に嫌」

行き届いた掃除。
少しずつお気に入りの家具やしつらえを増やしてきた家。
気の置けない、昔馴染みの近所の人たち。
そして、命と同じぐらい大切な仏壇。

そこをたとえ少しの間でも棲み家にしないことは、母が母でなくなるぐらいの大ごとだと、娘の私にもわかった。自分の手術のために母を犠牲にするわけにはいかない。

正論を盾にするケアマネジャーは、なかなか手強い。けれども、私はこのとき、母の味方として真っ向勝負にかかった。

正論vs生きがい

あれ? 
ラスボスが母から、ケアマネジャーに。自分でも、ちょっと驚いた。嫌いなはずの母と同盟を組んでいる。

何とか母をショートステイに行かせず、私は手術を受けることはできないものか。私は三日三晩どころか、一週間、眠れぬ夜を過ごした。ちょうどお盆の時期。お墓参りに行った日の夜も眠れなかった。目はつぶって、体を横たえているけれども、頭だけはキンキンに冴えている。

そのとき、ふと思いついた。母が楽しみにしていた、玄関先の荒れた小さなスペースを枯山水にするプロジェクトが、暑さのせいで延びていた。
「あれを私が9月に入院している間に、庭師さんに来てもらえばいいのではないか」
母の見守りにもなる。
しばらくお休みしていた仏壇の月参りを、9月の入院時期にしてもらえば、それで安否確認になる。お坊さんには快諾してもらえた。
食事はどうする。
作ることは嫌いながら、美食家の母は、配達された老人用の配食弁当を、すべて捨てていた。それを、母の好きな生協のお惣菜が入った夕食配達に変えればいい。

そもそも私は、一週間に一回しか母のもとを訪ねていなかった。ならば、二週間ぐらい、これでいける。

庭師さん。お坊さん。生協さん。
母の名前を取って、「チームひろこ」結成となった。プロデューサーは、私。

何も、「お決まりのパターン」のショートステイに従わなくてもいいではないか。認知症といっても、まだまだできることはある。
母が日除けに必要だとぼやいていた帽子、お坊さんに渡すお饅頭、足りないお仏壇の蝋燭。聞いた翌日に私は気を利かせて、母の家へ持っていった。ところが、
「もう買ってあるよ」
見ると、本当にもう買ってあった。

ジバンシーのロゴの入ったおしゃれな帽子。
そして、蝋燭も、お饅頭もある。
頼もしい限りだ。

しばしばお風呂の水を流しっぱなしにすることはある。
けれど、火の用心だけは、十分すぎるほど十分していた。

母の生命力を信じよう。
できるだけ私は、母が過ごしやすいようにお膳立てをして、少し離れて見守ることにした。

ケアマネジャーがラスボス役を引き受けてくれたおかげで、私は母の最強の理解者になっていた。

思いっきり嫌いなぐらい、私は母のことをよく知っている。
私を悪者にする母が、私の弱った右股関節を案じてくれていることも。
だから、今は同じところに立てる。

以前の私なら、わざわざ買いに行った一本770円の百合を「田舎くさい」と言われれば、印鑑泥棒の容疑をかけられたときのように、めそめそして被害者になりきっていたと思う。

「当たり。近くの花屋で、一本400円」
今回は母の乗りに便乗して、かるーく吹き飛ばした。
もう、どこで買ったか、いくらだったかなんて、どうでもいい。

真ん中にうっすらピンクの入った、凛とした白い百合。
もう一本は、ころころした白いつぼみ。咲けば、八重の華やかな花になる。

そういえば、ころころした白いつぼみは、確かに少々田舎くさく見える。
でも、このつぼみは、これから咲く。
「田舎くさい」と言われても、まだどんなふうになるかわからない。

先のことは、誰にもわからない。今は、信じることを選ぼう。

気がつけば、母はもう、私にとってのラスボスではなくなっていた。
そして私はやっと、母と並んで立てるようになった。

《終わり》

 

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