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「ごめんなさい」は、大人の味


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ニシモトユキ(ライティング・ゼミ朝コース)
 
「すいません」は言えるけれど、「ごめんなさい」が言えなかった。
なぜだろう。
思えば、小さいころから、謝ることが苦手だった。
まだ小学校低学年のころ、従姉妹の家に遊びに行ったとき、花瓶をうっかり倒して水浸しにしまったことがあった。
伯母さんにきちんと言うべきだったけれど、怒られるのも、謝るのも、自分にはキャパオーバーで言えなくて、知らないふりをした。
心にどこか引っかかったままだった。
大人になってからも、「ごめんなさい」が苦手なのは変わらなかった。
大学生のころ、男友達とゲームセンターに遊びに行った。
どこのゲーセンにも置いてあるエアホッケーで遊ぶことになった。
友達が、冗談半分で、「負けたほうが勝ったほうに土下座しよーぜ」と言ってきた。
早稲田大学のアメフト部にいた彼からしたら日常茶飯事の他愛もない提案だったと思う。
私だって立派なワセジョ。
普段は冗談だって、きわどい絡みだって、ぽんぽん打ち返してきたはずだった。
だからこそなんとなしに提案した、彼とすれば、ただそれだけのことだったと思う。
が、負けてしまった私の目からは大粒の涙が流れてきた。
土下座しなきゃいけないかもしれないことが受け入れられなくて。
彼は、一体何が起こったのかと呆然としていた。
きっと、今もなぜ、私があの時泣いたのか、分からないままだろう。
だって、私にも言葉で説明できないことだったから。
 
謝るような機会を避けて生きてきた。
謝らないで済むように、なるべく「いい子」で生きてきた。
長い人生、謝るべきときは、必ずくるというのに。
 
それからも、私の「ごめんなさい」問題は続いた。
普段何かうっかりやってしまった小さなことに、「すいません」となら謝れる。
けれど、「ごめんなさい」を言おうとすると、何かが喉につかえたように、言葉がひっかかるのだ。
そして、言葉の代わりに、目から涙がこぼれそうになる。
やっかいだ。
 
仕事に就いて、4年が過ぎたころ。
職場の先輩がとった行動に、どうしても解せないことがあり、悶々としていた。
本社の健康管理室という、全社の健康管理の施策を考える、そういう部署にいた。
その会社には、いくつか大きな支社があり、私はそのひとつを担当していた。
私が担当する支社から、海外に駐在する従業員のメンタルヘルス対策もしてほしいという要望が健康管理室に出された。
支社で打ち合わせしたときに、私も聞いていた内容で、海外駐在員のメンタルヘルス不調のリスクの高さから、提案に賛成していた。
が、しばらくして支社から要望の取り下げがなされた。
何か事情が変わったのだろうか、と首をかしげていたのだが、支社の担当者があるとき、私にこう漏らした。
「うちはぜひ強化したいと思っていたのだけど、健康管理室のMさん(先輩のこと)に、やるならフィジカルのこともやらないとダメ、と言われて、うちの保健師にその余裕はないし……ということで取り下げたのよ」
全く聞いていない話だった。
その先輩からは、支社側から取り下げがあった、とだけ聞いていた。
リスクの高い海外駐在員のために、せっかく対策を講じたいと言っているのに、なぜ健康管理室側から停滞させるようなことを言ったのか。
腹が立った。
その支社は、事業構造改革で1年半後の縮小が決まっていて、ただでさえ不調のリスクが高い。
主要な機能を海外拠点に移す、そのために現地に行っている社員には、さらに高い負荷がかかっていた。
そんな背景だったからこそ、この支社の担当を任せてもらっていたのだと思っていた。
そして、その先輩は、私がその会社で働き始めるきっかけを作った憧れの人だった。
彼女の志を、そして、行動力を尊敬していた。
なのに、どうして。
尊敬が強かっただけに反動で失望が大きかった。
自分が働く場で、あれほど腹を立てたのは初めてのことだった。
大人げないと思ったが、口数が減った。
けれど、そんなこと、いつまでも続けているわけにはいかない。
意を決して、先輩が残っている日に私も職場に残り、話ができる機会をうかがった。
2人になったとき。
先輩も話があることが分かっていたのだろう。
 
先輩に率直に伝えた。
私がその支社の状況をどう捉えているか。
今回の提案に前向きな気持ちだったこと。
取り下げられて驚いたこと。
担当者から、先輩の発言を理由に取り下げたと聞いて、さらに驚いたこと。
私の話を聞いた、先輩の反応にさらに驚いた。
先輩は手をそろえて、頭をしっかり下げて言った。
 
「ごめんなさい。申し訳ありませんでした。」
 
それはそれは見事な「ごめんなさい」だった。
怒りも忘れて、あっけにとられた。
そして、他の支社との兼ね合いや、健康管理室のキャパシティを懸念してのことだったと説明された。
説明はすっきり納得のいくものではなかったが、すでに私は度肝を抜かれていた。
先輩の、見事なまでの「ごめんなさい」に。
潔く、真摯に、25歳も年下の私にこうして謝ることができる。
何も言えなくなった。
 
私の中の、「ごめんなさい」が塗り変えられた瞬間だった。
「ごめんなさい」は悪いもの、誤りの象徴、自分に傷がつくもの……。
そう思ってきたけれど、そうじゃなかった。
善悪。
正誤。
世の中は、そんな二元論じゃない。
やむにやまれないこと、飲み込まなければいけないこと。
「間」がたくさんある。
それを受け入れられていなかったから、そういう立場に自分を置くことを許せなかったから、私はこれまで、ごめんなさいを避けていたのだ。
常に正しくいなければいけない。
常に「善い人」と思われていなければいけない。
だから、そうでない自分から目を背けていたのだ。
それは私の仕事を、そしてきっと周りの人をも息苦しくさせていた。
それから少しずつ、受け入れられるようになった。
今もまだ少しぎこちないけれど、ちゃんと言える。
 
ごめんな、
さい。
 
最近、周りから、雰囲気がやわらかくなった、と言われ始めた。
仕事もなんだか進めやすくなった。
先輩に言いたい。
ごめんなさいを教えてくれて、ありがとう。
 
***

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2018-07-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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