「大好きなまま、お別れしよう」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:ゆっこ(ライティング・ゼミ朝コース)
「私、仕事辞めるから。」
深夜1時、母とテーブル越しに向かい合いながら
泣きながら私はそう言った。
昨年の12月、実家に帰省した時の出来事である。
私は、今年の5月で11年間、務めた某大手企業を、退職しようと考えていた。
退職しようと考えていたのは、今回が初めてではない。
11年間の間に頭をよぎったことは何度も、何度もある。
友人との飲み会で、「もう仕事辛くてさ~」愚痴を聞いてもらった日々も数え切らない程ある。彼氏がいた時期は、「仕事辞めたいよー」と泣きながら夜な夜な話を聞いてもらい、このまま彼と結婚して仕事辞めようかなと安易なことを考えていた自分もいた。
それでも、私は辞めなかった。
11年間の間に、仕事が忙し過ぎて過労で倒れたことも何度もある。
胃腸炎、盲腸で半年間で2回も入院した時は、さすがに「もう無理かな。辞めようかな」と病院のベッドで退職届の書き方をスマホで検索しながら考えていた。
それでも、私は働き続けた。
年々、やる仕事が増えてきた。
忙しい時期は、休みの日でも家でも仕事をすることも当たり前になり、
気がつくと、仕事中心の生活が日常化してしまっていた。
男の人が彼女から、
「仕事と私どっちが大事なの?」と詰め寄られるシーンをテレビドラマで
見たことはあったが、
まさか同じ言葉を自分の彼氏から投げかけられることは、
想像していなかった。
それでも仕事を優先してしまった私。
可愛くない彼女だったことは、言うまでもないでしょう。
不満や寂しさを抱えながらも、一緒にいてくれた当時の彼氏には今でも感謝している。
今ではお別れし、もう伝えられることはできないけど、
本当にありがとう。きっと、仕事が一番だったのではない。
あなたがいてくれたから、仕事を一番頑張れたんだよ。
心の中でそんなことを思う私がいる。
今までの話の流れだと、随分ひどい会社に務めていたと思われてしまいそうだが、
誤解しないで欲しいのは、過酷な働き方を会社から強要されたことは一度もない。
たしかに、仕事量が多かったことは否めないが、それは私に限ったことではなく、働く人にとっては誰もが抱えているミッションだろう。
中には、会社から異常なほどの過酷な労働を余儀なくされて、苦しんでいる人もいるだろう。そういう人は、一刻も早く逃げた方がいい。
しかし、少なくとも私の場合は、違った。
私は、自分の意思でそのようなもの働き方を選択していたのだ。
なぜなら、私はものすごく熱中していたのだ。
もちろん、肉体的にも精神的にもしんどかった。
しかし、それ以上に自分の仕事に夢中になっていた。
会社から100%のクオリティを求めていたとしても私は120%、可能なら150%で仕上げたいと思ってしまう。
そこに、自分のプライベートの時間ですら惜しみなく差し出すことができる。
とてつもなく苦しいけど、とてつもなく楽しかった。
時間を忘れて夢中になれた。
そして、気がつけば11年経っていた。
新入社員だった頃がついこの前のようにも思えるが
今では、40~50人の部下を抱え、
多くのプロジェクトを任されていた。
プレッシャーと常に隣り合わせだったが、それ以上のやりがいかがあったのだと今となって思う。
11年と言う時間は、長いようであっという間だった。
たくさんのことにチャレンジさせてもらった。
見たことのない世界をたくさん見れた。
数えきれないくらい多くの人と出会った。
社会人としても、そして人としても、
大きく自分を成長させてくれたことは言うまでもない。
自分が創り上げてきたモノ、過ごしてきた時間、
その全てがとても愛おしい。
一緒に歩んできた大切な仲間たちと
これからも、この景色をいつまでも見ていたい。
そして、私はこの春に退職した。
退職することのメリットなんて何一つなかった。
この会社にいる限り、定年まで働ける保証もあった。
自分のやりたいことをやれるポディションも与えてもらっていた。
普通に考えたら、辞める必要なんてない。
では、なぜか。
やり切ってしまったのだ。
燃え尽きたと言えばわかりやすいかもしれないが、それとは違う。
決してネガティブな感覚ではなく、清々しい気持ちなのだ。
達成感を感じきった先に見えたのは、新たなステージの光だったのかもしれない。
11年間、私は全力投球してきた。
妥協した記憶もないくらい常に全力で走ってきてしまった。
速度の緩め方もゆるやかに走る方法を知らなかったのだ。
だからこそ、達成感ともにこれからの道すじが分からなくなってしまった。
またゼロから新しいことを、新しい場所でをスタートさせたいという欲が出てきてしまったのだ。
退職すると決めた時、案の定、恐怖心に襲われた。
それは、想像以上だった。
11年間、築いてきたものを失うの?
今の年収を手放すの?
生活はどうするの?
何の保証もないのに?
そんな囁きがひっきりなしに聞こえて来た。
寝ても覚めてもそんな声がする。
やはり、長い年月をかけて、培ってきたものを手放すことは怖い。
それは、人間関係も同じだ。
やはり、私は居心地のいい環境、喜びも苦しみも共有してきた同志である仲間たちと、離れることは辛い。それが一番、退職の決断を渋らせる要因だったと思う。
それくらい、私はこの会社と仲間たちを大好きになりすぎてしまっていた。
そして、シラフで伝えられるほど勇気はなかったので
信頼する仲間たちにお酒を飲みながら、
退職を打ち明けた時、
一瞬時が止まったのを感じたが、
「受け入れられないけど、応援するよ。」
そう言ってくれた。
私が泣く前にみんなが泣いてくれたから
私は泣けなかった。
なんか悔しいけど、私はあなたたちが大好きだよ。
そして、退職の日。
共に頑張ってきた仲間たちに対する罪悪感がなかったかと言えば嘘になる。
そんな私に1番の支えであった同僚がこう言ってきた。
「あなたが幸せでいてくれたら、何でもいいよ。」
今、書きながらも涙が止まらない。
ありがとう。
退職して、3ヶ月経った。
大好きな会社を、大好きなまま退職した私は、
ふとした瞬間に、退職したことをうっかり後悔しそうになる。
そんな私を見て、どこからともなくビンタが飛んできそうだ。
大好きな場所から別れを選んだのは、私。
だから、もう振り返らない。
絶対に幸せに生きるしかないのだから。
そう心に誓った。
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