タスキはそのとき、途切れたけれど
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記事:ユリ(ライティング・ゼミ平日コース)
もう10年くらい前の話になるが、私は横浜市内で四代続く老舗豆腐屋の社長である、Sさんにお会いする機会を得た。高校生のときに友達の影響で豆腐ダイエットを行い、ダイエットには見事に失敗したものの、それ以来豆腐自体にハマり、大の豆腐好きになった私にとっては、豆腐を作っている会社の社長さんに直々会えるなんて、願ってもないチャンスだった。
当時の私の豆腐の食べ方といったら、「醤油をかけて食べる」しか選択肢がなかったが、ダイエットのため毎日食べていると、さすがに一週間も経たずに飽きてしまう。醤油の代わりにドレッシングをかけてみたり、めんつゆをかけてみたり、試行錯誤を重ねていた。
「たまには違う豆腐買ってきてよ」
3つで100円くらいの3連豆腐を、わざわざ毎日買い与えているというのに、「他の豆腐を買ってこい」と、リクエストしてくるワガママな娘。そんな私に母は半ばキレながらも、「これでもか!」とばかりに、いつもとは全く違う豆腐を買ってきてくれた。
佐賀県産大豆フクユタカ使用のザル豆腐。一丁500円。
それまで私は豆腐のことを、どんなにアレンジを加えたとしても、脇役止まりの俳優のような存在にしか思っていなかった。「いつもとは違う豆腐を」と母にお願いはしたものの、豆腐独特の淡白な味は、たとえメーカーや種類が変わったとしても、そんなに大きな差は無いだろうと、高を括っていた。しかし私は、良い意味で見事に裏切られた。
それ以来私は、スーパーやデパートで買った豆腐を食べ比べするだけではなく、美味しい豆腐を求めてクーラーボックス片手に遠方の豆腐店へ赴いたり、豆腐に関する書籍や雑誌をわざわざ神保町まで探しに行ったりするようになった。
そんな私の「豆腐愛」溢れる話に、Sさんとはすぐに打ち解け、どこの豆腐が美味しかったか、どこのパッケージデザインがおしゃれだったかなど、本題そっちのけでマニアックな豆腐談義で盛り上がった。
元は某有名楽器店でトップクラスの成績を収めていた営業マン。佐賀県の実家では、味噌や醤油を作る家業を営んでいたが、Sさんが大学生の時に店をたたんでいる。それもあって、モノ作りという商売にSさんが手を出すことを、親兄弟は猛烈に反対してきた。しかしSさんの意思は固く、反対されたまま現在の奥さんの実家である豆腐屋を継いだ。昔ながらの豆腐の味を重んじながらも、職人気質の先代たちの作り方とは180度違った「すべてを数値化する」ことをあえて試みただけではなく、当時の豆腐業界の常識とされていた添加物の使用を見直し、無添加の豆腐作りを先駆けた。豆腐職人としてのSさんの毎日は、失敗の連続だった。しかしチャンレンジすることを決して止めることなく、万人受けするような豆腐も広めたいと、デザートとして食べられる豆腐を開発したり、豆腐の売店にカフェを併設させたり、新しい試みをどんどん実行していった。そんな努力が報われてか、大反対していた親兄弟からも次第に認められ、四代目として忙しい日々を送っている。
「これからも新しいことにチャレンジしながら、全力疾走し続けます」
お会いしたその数年後、Sさんの老舗豆腐屋は、億単位の負債を残して破産した。そして、それからまた数年後、私は偶然Sさんの名前を、他の豆腐屋のホームページ上で見付けた。
「長いから良いこともあるけれど、長いことが弊害になることもある」
「時代と共に変化するものは、変化していかなければ淘汰されてしまう」
そんな覚悟を持ってまで老舗豆腐屋の社長として走り続けていたSさんが、どんな思いで会社をたたみ、どんな思いでライバル会社で働き始めたのか、私にはまったく想像がつかない。けれど私はそんなSさんの姿を、箱根駅伝の繰り上げスタートに重ねる。
毎年1月2、3日に行われる箱根駅伝は、関東学連に加盟している大学生選手たちが、東京大手町から箱根芦ノ湖間を2日間で往復する駅伝であり、「これを見なければ新年が始まらない」と言い切れるほど、昔から私はこの駅伝の大ファンだ。
箱根駅伝には毎年いろんなドラマがあるが、その中でも、時間的な判断のもと、前走者がその区間をゴールしないうちに次の区間の走者をスタートさせる「繰り上げスタート」は、ファンとしては挙げずにはいられない。繰り上げスタートをしたからといって、その前走者が途中で止められることはなく、チームとしても失格することはない。けれど、繰り上げスタートをしたか、しなかったかによって、大きな違いが生まれる。
通常の走者たちは、出場大学がそれぞれ独自で用意した「母校のタスキ」を肩に、ゴールを目指して走り続ける。しかし繰り上げスタートで出発する走者の肩には、そのタスキではなく、大会本部側が用意した「共通のタスキ」が掛けられる。そのため繰上げスタートが行われるということは、母校のタスキが途中で繋がらなくなることを意味する。
母校のタスキには、前の区間を走ってきた選手や他の部員、部の関係者だけではなく、学校関係者や諸先輩方など、たくさんの人の思いや伝統までもが込められている。そんなタスキリレーを途切れさせないよう、選手たちは一生懸命走り続ける。
Sさんは、四代続く老舗豆腐屋から受け継いだ伝統のタスキを次の代へと繋ぐことはできず、今や、他の豆腐屋のタスキを肩に、新たな区間を走っている。今Sさんが肩に掛けているタスキは、今までのものとは別物だ。けれど私はそのタスキには、四代続いた老舗豆腐屋の伝統や先代からの思い、Sさん家族からの思い、そして、今働いている豆腐屋からの思いまでもが、しっかりと込められていると思う。
もしかしたら今のタスキは、今まで掛けていたものよりも、ずっと重いものかもしれない。けれど私はそんなことを物ともせず、たくさんの人からの思いや自身の悔しさを追い風に変え、今まで以上に全力疾走しているSさんの姿が想像できる。
私はそんなSさんを、これからもずっと、沿道から応援し続けていこうと思う。
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