買えないはずの時間を買えた幸福
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
【10月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:岡 健一郎(ライティング・ゼミ木曜コース)
「まあ本人にバレることは無いし良いだろう」
当時はそんな気持ちでやってしまったという記憶だけある。今から16年前、2002年のはずだ。話は更に2年前の1999年にさかのぼる。最初は日本酒好きの妻の「酒蔵を見に行ってみようよ」という一言がきっかけだったと思う。当時兵庫県に住んでいた私と妻は兵庫県姫路市の本田商店という酒蔵へ行った。「龍力(たつりき)」や「米のささやき」という銘柄の酒蔵だ。当時20代だった私たちを相手に蔵の中を案内してくれた方はとても親切だった記憶がある。そして最後にこう言われた。
「来年お子さんが産まれるのであれば是非その年の日本酒を購入して新聞紙で包んで押入れの奥に入れておいて下さい。そしてお子さんが20歳になった時に一緒に飲んでみると楽しいと思いますよ」
その言葉ははっきり覚えている。そして2000年1月に長男が生まれた時に日本酒を買い、押入れにしまったのだが、それを20年待ちきれず2年経たずに飲んでしまった。
当時は吟醸酒ブームと言われた頃で、私は妻の影響から日本酒が美味しくなってきはじめたころだった。置いていた日本酒を飲んだ時は「どんな味なのだろう」という興味が勝ってしまった。結構軽い気持ちだった。その後しばらくして忘れてしまったくらいだ。だからどんな銘柄を買ったのかも覚えていない。しかし、2009年頃、私の日本酒熱は高まっており、次第に「熟成酒」というジャンルが気になってきた。そして自分の犯した失敗の大きさに気が付いた。
時間は買えないのだ。
日本酒はワインとは違い、元々その年のお酒を飲むものだ。熟成酒として置いておかれるもの自体が少ない。あのまま飲まずに置いておけば9年熟成となったはずの日本酒と同じくらいのものはお店でも見たことがなかった。調べてみると、ひとつだけ熟成酒にこだわり、20年熟成などもある酒蔵が見つかった。しかし当然高価であり、かつ息子との関係は「年」だけ。その銘柄である必然性が全く無い。やはり時間は買えないと嘆き、自分がやってしまった事への後悔の気持ちが大きくなった。さらに2003年から生活の場を関東に移していた私は兵庫県にある本田商店との縁も遠のいてしまっていた。
その後も加速度的に私の日本酒熱は高まっていき、日本酒好きの仲間がどんどん増えた。そして自分の失敗談は酒の席でのお決まりのネタになっていった。そんな中、2015年に仕事仲間の一人から相談を持ちかけられた。
「実は親が先日一升瓶を買ったんだけど、思っていた味と違うからいらないって言うんだよ。栓は開いているけど貰ってきたから皆で集まって飲めないかな」
そのお酒は本田商店の「龍力」の1999年醸造の熟成酒だというのだ。
「これって最近買ったの?」
「先月って言っていたよ」
実物を見るまで信じられなかった。早速熟成酒の会を開催し、当日見たものは確かに「1999年醸造」と書かれた龍力の熟成酒であった。当時で15年ものだ。味も熟成酒らしいコクがありとても上品なお酒だった。帰ってから調べてみると酒蔵が保管していて最近売り出したらしい。それからネット上でこの龍力を探し回った。見つけたものは、それまでに私が買った数百本の日本酒の中でもベスト5に入る価格だったが、時間を買うことを思えばなんてことは無かった。むしろ安いと感じたくらいだ。そうして2016年に私はその龍力を手に入れた。時間を買い戻した気分になった。
私は年を追うごとに様々な酒蔵や飲食店を通じて様々な日本酒と出会ってきた。そして日本酒に関わる多くの方の想いを聞かせてもらうことが増えた。偶然何人かのキーパーソンとの出会いに恵まれたおかげで自らの仕事であったシステムアプリケーション開発を日本酒とつなげ、日本酒の海外販売促進サイトを企画・開発することができた。そして私はサラリーマンを辞めて今年関東から兵庫県に戻り、日本酒専門の酒屋になった。
2016年に手に入れた「龍力」は引越も乗り越えて今は我が家の廊下のクローゼットの奥に置かれている。私が一番開けない扉、つまり目にしない場所だからだ。この15年間で日本酒を取り巻く世界も少しずつ変わり、熟成酒にスポットライトがあたり始めている。色々な酒蔵から秘蔵酒が出てきている。そして私もそれを理解している立場にいる。息子は3カ月後に19歳になる。20歳まではあと1年と3カ月。熟成酒の価値を知った私は今度は待てるはずだ。いや今度は息子のフライングに気を付けた方が良いかもしれない。
私は偶然ながら1999年醸造のお酒を熟成管理してくれていた本田商店さんに助けられて息子との夢を復活させることが出来た。今度は酒屋の私が誰かの幸せな夢の手助けが出来ると信じている。
***
この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
http://tenro-in.com/zemi/59299
天狼院書店「東京天狼院」
〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】
天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。