銀色の車は、最後の旅と、未来への補助輪
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:ひらいさおり(ライティング・ゼミ日曜コース)
「え! こんなにかかるの」
ディーラーの担当者が出してきた見積もりに、驚いた。
「今回は、35万になりそうですね。次の車検には、他にも交換箇所が出てくるかと思うので、また30万前後かと……」
「やはり、そろそろ、銀色の車も替え時か……」
ある年の冬、実家に帰った時だった。
突然、駐車場に、銀色の車が届いた。
「お車の納品に伺いました。のちほど、請求書をご郵送しますので」
「え? 車? 買ったなんて聞いてないけど」
車に乗ってきた男性2人は、車のキーを手渡し、帰っていった。
銀色の車は、中古車なのだろう。年季がはいっている。
「なんか車が届いたけど。誰か車買ったの?」
「そうよ。この車を運転して、海の見える家を探すのよ」
母は上機嫌で笑った。
銀色の車が届く、半年前のことだった。
「海沿いに連れて行ってほしいの」
昔から、海が好きだった母は、高速を飛ばし、葉山の海沿いをよくドライブしていた。
「きっとまた気晴らしがしたいのだろう」私は母を乗せて海沿いの道を走った。
「ちょっと、あそこの不動産屋に行ってきてくれない」
「え? 不動産屋? なんで?」
「海の見える家を買いたいのよ。平屋か2階建てで、3LDK以上あれば十分だから。条件は、とにかく海が見えること。以上。よろしく。私はここで待ってるから」
「え? 家買うの? 何? 自分は行かないの?」
「まぁいいから、お願い。行って、物件聞いてきて」
私は1人、海岸近くの不動産屋に入った。
「お住まいになるのは、お客様ですか? ご予算は? 時期はいつ頃でしょうか」
母の希望条件を伝え、担当者からの質問に、想像の範囲で答え続けた。
訳もわからないままに、海が見える戸建物件を数件出してもらった。
車へ戻ると、窓を開け、海風を感じて気持ち良さそうにしている母がいた。
「物件はいくつかあったけど、本当に買う気? どうするの? 一人で住むの?」
「そうよ。あなたは一緒に住まないでしょ。海を見ながら、毎日を過ごしたいの。海が私を呼んでいるのよ」
ただのドライブが、突然、物件めぐりになり、4つの物件を車で周った。
建物の外観を見て、敷地からの景色を眺める。
室内は見ていないものの、小さな漁港が見える家と、岸壁の家、2つにしぼった。
「本当に買うの?」
「そうよ。候補はまだ。探すわ」
その日以来、母の口から「海の見える家」の話題はなかった。
だから、「きっとやめたのだろう」私はそう思っていた。
「なんでまた、車を買ったの?」
「あの車で、私は未来の家を。海の見える家を探しに行くの。すぐにでも行きたいんだけど、最近体に力が入らないのよ。体力が戻ったら、自分で運転して物件を探すわ」
この頃、明らかに、母の体力は落ちていた。食欲もなく、体はどんどん痩せ細っていた。
危機感を感じた私は、母を銀色の車の助手席に乗せた。
行き先は海。2泊3日、初めての母娘旅行に出た。
天候は、あいにくの曇り。
街を抜け、海岸沿いの道路に出ると、目の前に大きく広がる海が見えた。
空は分厚く曇っていたが、曇り空の中に、大きな穴が開いていた。
大きな穴から、太い光線のような光が、海を照らしていた。
初めて見る、神秘的な光景に、目が奪われた。
天界につながる不思議な光線のようにも見えた。
「あぁ……海……」
車窓を全開にし、ただずっと、母は海を眺めていた。
海岸沿いを走り、海が見える高台のホテルに泊まった。
ホテルの部屋に入っても、母はずっと海を眺めていた。
夜遅くまで、ベッドに入ったまま、母と沢山話をした。
少し気になったのは、夜じゅう、母が咳をしていたことだった。
咳をするたび、「うるさくてごめんね」と言った。
「のどが乾燥しているのかな。白湯、ここ置いておくよ」私は白湯を母の枕元に置いた。
帰る日の朝、カーテンを開けると、窓の外は真っ白な雪景色に変わっていた。
「歴史的な大雪になりそうです」TVのアナウンスが流れた。
「家に帰りたくない。もっと海を見ていたい」母は何度もそう言った。
「ごめんね。これ以上仕事をずらせなくて。今日帰らなきゃ。また行こう。母娘旅行も、いいものだね。今度はどこに行きたい?」
「そうね。そしたら。蓼科で沢山のお花を見たいわ」
「じゃあ、春になったら、今度は蓼科に行こう」
窓の外では、綿のように大きな雪が、吹雪のように舞っていた。
「こんなにすごい大雪、久しぶりね。いいことがあるわよ」
「なんで?」
「昔から言うのよ。大雪が降ると、いいことがあるって」
1ヶ月後。銀色の車のハンドルを、一度も自分で握ることなく、母はこの世を去った。
結局、母が銀色の車に乗ったのは、あの旅だけだった。
母は、私との最後の旅のために、あの銀色の車を買ったのだろうか。
銀色の車は、その後、私が引き継いだ。
ちょうどその頃、私は遠く離れた場所に、ずっと探していた念願の「畑」をみつけた。
偶然にも銀色の車があったから、遠く離れた「畑」に通うこともできたし、気持ちも晴れた。
銀色の車は、喪失感でいっぱいだった私の世界を、広げてくれた。
母が未来のために買った銀色の車は、私の未来を支えてくれたのだ。
銀色の車は、母が私にくれた、前へ進むための「補助輪」だったのかもしれない。
役目を終えたのだろうか。
銀色の車のタイムリミットは、近づいている。
私はもうすぐ、銀色の車を卒業する。
誰かがつくりたかった未来は、きっと、様々なカタチで、誰かにつながっている。
「補助輪」を外して。
次は、新しい車で未来へ進もう。
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