僕のライバルは吉祥寺「小ざさ」社長稲垣篤子さんです《天狼院通信》
天狼院書店店主の三浦でございます。
吉祥寺から、たった今戻って参りました。
どうしても今書きたいことがあり、天狼院に戻りました。
幻の羊羹で有名な吉祥寺「小ざさ」のこと、その社長であり、絶対名著『1坪の奇跡』の著者でもある稲垣篤子さんのことについては、天狼院を知っている方なら、ご存じかも知れません。
先日も、「THE READ」という新しい知的体験イベントを開催したのですが、そのタイトル作品とさせていただいたのが『1坪の奇跡』でございました。
今日はその稲垣篤子さんとダイヤモンド社の寺田庸二さん、装丁デザイナーの石間淳さん、そして紀伊國屋の中村君たちと食事会だったのでございます。
この前、「THE READ」で出された、『1坪の奇跡』に関する疑問点などを、まるで答え合わせのように稲垣さんに聞いていきました。
「小ざさが今の場所で商売を始める前に、団子などの朝生と呼ばれる商品が人気だったと思うのですが、今の場所で商売を始めてから、その人気商品をスッパリと止めて、モナカと羊羹で新しく勝負に出ることになったということは、そこで始めるまえに、お父様の伊神照男さんは稲垣さんが店頭で売っている間に、究極の羊羹を作るために研究をしていたということですかね?」
僕のその質問に対して、稲垣さんは、そうなの、と頷きます。
「朝生だけでは自分たちが食べて終ってしまう。そうなると武蔵野だけが商圏になってしまって、伸びない。でも、羊羹やモナカならそうじゃないでしょ。進物にできるので、売上が伸びることになる」
「でも、それまでのヒット商品を捨てるのは、勇気がいることでしょう」
「私も、困りましたよ。あの場所でオープンしてから10年は言われましたらね」
「団子をまたやらないのかってですか?」
そう、と稲垣さんは笑います。
「でも、父はスッパリと止めたんです」
「あの場所を確保する時、相場よりもかなり多くのお金を前にそこにいた人に渡して、しかも、その後の生活の面倒もみたと言いますが、あれも思い切ってますよね」
と編集者の寺田さんが聞きます。
「やっぱりね、ここが絶対にほしいと思ったときは、相手が驚くほどに積んででも取りに行かなければならないのよ。ズバッとね。父は世の中の流れを読めと言ってたんですけど、あの当時はまだ1時間に60人しか降りないと言われていた吉祥寺の駅ですが、今ではああなっていますからね」
話は本当に尽きませんでした。
稲垣さんは、まさに僕にとってビジネスの師匠であり、大切なコンシリエーレ、つまりは相談役の一人です。そして、『1坪の奇跡』は僕の永遠のバイブルと言っていい。
今日も、様々な僕らの疑問に対して、稲垣さんは楽しみながらも的確な答えを返してくれます。
得がたい至福の時間だと僕は思いました。
本当にありがたいことだと思いました。
ところが、帰りしな、稲垣さんが仰ったことに、僕ははっと気付かされました。
本当に楽しいわ、本当に楽しい、と実に楽しげに言ったあとに、こう続けたのです。
「125歳まで元気で生きると本にも書いたんだけど、80歳を過ぎるとなんだかね、こう」
と、稲垣さんは顔の前で水平に浮かべた手のひらを下に落とす仕草をします。
「こう、なってきたように思えてて。でもね、今日は元気をもらったわ。いい刺激になったわ」
と、少女のような笑みを浮かべます。
そして、実際に、その目の奥に小さな炎のようなものが宿るのを、僕は確かに見たのでした。
もしかして、と僕はこのとき思いました。
もしかして、僕たちは大きな勘違いをしていたのかもしれない、と。
御年80歳。普通に考えれば、すでに隠居してもいいお年です。
そして、最近では工場に立つ時間も減って、若手に任せているとも言います。
けれども、僕は重要なことを忘れていたのです。
稲垣篤子さんは、今なお、吉祥寺小ざさという会社の代表取締役社長なのです。
現役の企業のトップなのです。
普通、隠居した経営者なら、こう言ったのではないでしょうか。
「若い人たちの役に立てるのなら嬉しいわ」
けれども、稲垣さんはそうは言わなかった。
「今日は元気をもらったわ。いい刺激になったわ」
それは、明らかに自分は現役者の言葉です。僕らはあまりに成功した小ざさというビジネスモデルを、ビジネスの傑作を前にして、もはや、クラシックのように見ていたのではないでしょうか。
けれども、違う。少なくとも稲垣さんはそうは捉えていない。
これから大きな変化がここ1、2年で来るのではないかという寺田さんの言葉に、稲垣さんはこうも言いました。
「私も変化があると思っています。けれどもね、私たちがそれに対応するというのは違うような気がするんです。もちろん、それは業界によると思うんですけど、私たちは我慢しなくては」
深い言葉です。時代の流れに対して、即応性を求められる中で、小ざさの現役船長は、舵を急に切ることはしない、それが小ざさの針路だと言う。
もしかして、稲垣さんは僕のことを面白い経営者の後輩として見ていたのではなく、どこか、ライバルとして見ていてくれているのではないでしょうか。
だから、あの言葉になった。
稲垣さんは、福岡天狼院がオープンしたら、絶対に行くとも行ってくれました。
それを本当に楽しみにしてくれている。
たとえば、稲垣さんが仰るとおり、125歳まで現役でいるとすれば、あと40年はあります。
それは、本気なのではないでしょうか。
だとすれば、本当に面白い。
これから、吉祥寺小ざさは、さらに進化する。
けれども、きっと、小ざさの時計は、我々の時計とは少し違います。
小さく、確実な進化を続けていくことでしょう。
そして、ブランドをさらに高めながら、行列を絶やすことなく、あの1坪の店舗の火を灯し続けるだろうと思います。
40年後、いったい、吉祥寺小ざさは、そして天狼院はどうなっているでしょうか。
そう考えると、見えてくるものが違ってきます。
小ざさには、40年後も、きっと行列ができているでしょう。
けれども、天狼院はどうでしょうか。
正直、イメージがつかないのです。
僕はまだまだ、もっともっと頑張らなければならない。
「稲垣さん、僕はもう750日も休みなく働いているのですが、大丈夫ですよね?」
ええ、と稲垣さんは笑顔で頷きます。
「だって、私なんて小ざさを開いてから、3年間は1日も休みませんでしたら」
「3年ぶりの休み、稲垣さんは何をしましたか?」
「寝ましたよ、思う存分寝ました」
そう言って、稲垣さんは本当に少女のように可愛らしく、実におかしそうに笑うのです。
敬愛を込めて、こう言わせて頂ければと思います。
稲垣篤子さん、あなたは僕の師匠であり、相談役であり、同時に、ライバルです。
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